システム・運用#116

スペクトラムアナライザとVNA — RF性能を「測る」計測技術の総合工学

雑音指数・Sパラメータ・VSWR・変調精度——これまで数式で定義してきたRF性能指標を、現場では実際にどんな測定器でどう測るのか。スーパーヘテロダイン式スペクトラムアナライザの掃引原理とRBW-掃引時間トレードオフ、VNAのSOLT校正、変調精度を表すEVMの定義とBERとの関係を数式で押さえ、打ち上げ前のRF性能検証試験における位置づけを見る。

前提知識: 伝送線路理論とVSWR — アンテナと送受信機をつなぐケーブルの物理

スペクトラムアナライザベクトルネットワークアナライザEVMRF試験校正

この回で学ぶこと

ここまでのレッスンで、探査機・地上局のRF系を評価するためのさまざまな指標を数式で定義してきました。雑音指数と雑音温度Sパラメータと2端子対網理論伝送線路理論とVSWR、そして変調方式の回で扱ってきたビット誤り率(BER)。雑音指数の実測の回では、そのうちの1つ、雑音温度をY-factor法という個別の手法で実測する方法を扱いました。

しかし実務のRF試験現場では、雑音指数だけでなく、Sパラメータ、周波数スペクトルの形、変調信号の品質など、多種多様な量を日常的に測定する必要があります。それらの測定を一手に担っているのが、**スペクトラムアナライザ(スペアナ)ベクトルネットワークアナライザ(VNA)**という、RF試験室の主役とも言える2大測定器です。この回では、

  1. スペクトラムアナライザが「周波数軸上の電力分布」をどうやって物理的に作り出しているのか(スーパーヘテロダイン掃引受信の原理)、そして分解能帯域幅(RBW)と掃引時間の間に潜むトレードオフ
  2. VNAがSパラメータの回で定義した S11,S21S_{11}, S_{21} などを実測するための校正手順(SOLT校正)の考え方
  3. 変調された信号の品質を1つの数値にまとめる指標**EVM(Error Vector Magnitude、誤差ベクトル振幅)**の定義と、それがBERとどう結びつくか

を扱います。個々の性能指標の定義や、なぜそれが重要かという議論はすでに済んでいるので、この回はあくまで**「測定器そのものがどういう原理で動き、実務でどう使われているか」**に焦点を絞ります。

直感的導入 — 「測る」ための道具はなぜ専用化されているのか

オシロスコープは電圧の時間波形 v(t)v(t) をそのまま表示してくれる、直感的にわかりやすい測定器です。しかし探査機のXバンド送信機(8.4 GHz付近)のような高周波信号を扱うとき、オシロスコープには根本的な限界があります。GHz帯の信号を時間領域でサンプリングして正しく再現するには、少なくとも信号周波数の数倍のサンプリングレートが必要であり(ナイキストの定理)、また時間波形をいくら精密に見ても「中心周波数からわずか数十kHzだけ離れたスプリアス成分がどれだけ漏れているか」といった、周波数軸上の微細な構造を目で読み取るのはほぼ不可能です。

そこで必要になるのが、信号を時間領域ではなく周波数領域で、つまり「どの周波数にどれだけの電力があるか」という形で直接表示してくれる測定器、スペクトラムアナライザです。これは電圧計や電流計のように1つの数値を返すのではなく、周波数を横軸、電力を縦軸にとった1枚のグラフ(スペクトル)を作り出す装置です。

一方、Sパラメータのように「入射波に対する反射波・透過波の複素比」——つまり振幅だけでなく位相を含む複素数量——を周波数を掃引しながら測定するには、スペクトラムアナライザだけでは足りません。既知の振幅・位相を持つ信号を回路に注入(刺激)し、その応答の振幅と位相の両方を、注入した信号を基準にして測定する仕組みが必要です。これを担うのが**ベクトルネットワークアナライザ(VNA)**です。名前の「ベクトル」は、振幅だけのスカラー量ではなく、振幅と位相を持つベクトル(複素数)を測定することに由来します。

つまり、「周波数軸上の電力分布を見る」ならスペクトラムアナライザ、「周波数ごとの複素な伝達特性(Sパラメータ)を見る」ならVNA、という役割分担がRF試験室にはあります。さらに変調された信号については、単なる電力やSパラメータだけでは「この信号にちゃんと正しいビット列が乗っているか」という変調品質までは評価できません。そこで登場するのが、ベクトル信号アナライザ(VSA)機能によって計算されるEVMという指標です。以下、順に数式で見ていきます。

数式定式化1: スーパーヘテロダイン掃引方式の原理

現在も広く使われているスペクトラムアナライザの多くは、PCM/PSK/PMの回や受信機の回で触れたスーパーヘテロダイン方式を、掃引という発想と組み合わせて動作しています。ブロック構成は次のようになります。

  1. 入力信号(周波数 finf_{in})を、**掃引局部発振器(swept LO)**の出力 fLO(t)f_{LO}(t) とミキサで混合する。
  2. 混合によって生じる中間周波数(IF)成分のうち、固定のIFフィルタ(通過帯域幅 = 分解能帯域幅、RBW)を通過したものだけを取り出す。
  3. IFフィルタを通過した信号の包絡線(振幅)を検波し、そのときの fLO(t)f_{LO}(t) に対応する横軸位置にその電力値をプロットする。
  4. fLO(t)f_{LO}(t) を掃引範囲(スパン)全体にわたって時間とともに直線的に変化させながら1〜3を繰り返すことで、周波数軸全体の電力分布を再構成する。

ミキサの出力にはヘテロダインの原理により fin+fLO(t)f_{in} + f_{LO}(t)finfLO(t)|f_{in} - f_{LO}(t)| の2つの成分が生じますが、固定のIFフィルタは中心周波数 fIFf_{IF} 付近だけを通すので、実際に信号が表示されるのは

finfLO(t)fIF|f_{in} - f_{LO}(t)| \approx f_{IF}

を満たす瞬間、すなわち fLO(t)finfIFf_{LO}(t) \approx f_{in} - f_{IF} (あるいは fin+fIFf_{in}+f_{IF})のときだけです。fLO(t)f_{LO}(t) を時刻 tt とともに既知の形で(fLO(t)=fstart+SpanTsweeptf_{LO}(t) = f_{start} + \frac{\text{Span}}{T_{sweep}}\,t のように)直線的に変化させているため、「IFフィルタを信号が通過した瞬間の掃引時刻 tt」と「その瞬間の fLO(t)f_{LO}(t)」の対応関係から逆算して、入力信号の周波数 finf_{in} を横軸の目盛りとして復元できます。つまりスペクトラムアナライザは、時間軸上を掃引するLOを使って、周波数という量を時間という量に変換してから、その時間軸上の応答を再び周波数軸のグラフとして描き直している、という一段仕掛けのある装置なのです。

RBWと掃引時間のトレードオフ

この掃引方式には、避けられない物理的なトレードオフが潜んでいます。IFフィルタは通過帯域幅 RBW を持つ有限のフィルタであり、フィルタが入力の変化に応答して出力が安定するまでには、フィルタの帯域幅にほぼ反比例する時間、目安として

τsettlekRBW\tau_{settle} \approx \frac{k}{\text{RBW}}

程度の時定数がかかります(kk はフィルタの形状(段数など)で決まる、おおむね2〜3程度の係数)。掃引周波数がこのフィルタの通過帯域(幅 RBW)を通り過ぎる速さが、この整定時間より速すぎると、フィルタの出力がまだ正しい振幅に達する前に掃引が先へ進んでしまい、表示される振幅が本来の値より低く歪んでしまいます。

スパン全体(全掃引幅 Span\text{Span})を、幅 RBW のフィルタで分解しながら掃引するには、おおよそ Span/RBW\text{Span}/\text{RBW} 回分の「フィルタ幅ぶんのステップ」を経由する必要があり、各ステップに整定時間 τsettle\tau_{settle} を確保しなければなりません。したがって、歪みのない正しい振幅表示を保証するために必要な最小の掃引時間は、

TsweepSpanRBW×τsettle=kSpanRBW2T_{sweep} \gtrsim \frac{\text{Span}}{\text{RBW}} \times \tau_{settle} = k\,\frac{\text{Span}}{\text{RBW}^2}

という形になります。これがスペクトラムアナライザのカタログや取扱説明書に必ず登場するRBW-掃引時間トレードオフの実体です。TsweepT_{sweep} は RBW の2乗に反比例するため、より細かい周波数分解能(小さいRBW)で見ようとすると、掃引時間は急激に(2乗で)長くなります。たとえばRBWを半分にすると、同じスパンを掃引するのに必要な時間は4倍になります。この関係は、近接する2つのキャリアやスプリアス成分を分離して見たい(RBWを細かくしたい)という要求と、測定を素早く終えたい(掃引時間を短くしたい)という要求が、常にトレードオフの関係にあることを意味しています。

なお、現代のスペクトラムアナライザの多くは、広いスパンではこの掃引方式(スワイプトチューン)を使いつつ、狭いスパンではFFT(高速フーリエ変換)によるデジタル処理方式に自動的に切り替えることで、掃引時間を大幅に短縮しています。FFT方式は原理的には掃引を行わず、ある時間窓で取り込んだ波形を一括して周波数分解しますが、RBWと必要な観測時間(窓長)の間に同種のトレードオフ(RBW1/Twindow\text{RBW} \approx 1/T_{window})が存在する点は本質的に変わりません。

表示雑音レベルとRBWの関係

もう1つRBWが直接効いてくる量が、雑音指数の回で扱った熱雑音電力 N=kTBN=kTB です。スペクトラムアナライザが表示する雑音フロア(DANL, Displayed Average Noise Level)は、IFフィルタの通過帯域幅そのものがここでの帯域 B=RBWB=\text{RBW} として効くため、RBWに比例します。単位帯域幅あたりに正規化した雑音電力密度を N0[dBm/Hz]N_0\,[\text{dBm/Hz}] とすると、

DANL[dBm]=N0[dBm/Hz]+10log10(RBW[Hz])\text{DANL}\,[\text{dBm}] = N_0\,[\text{dBm/Hz}] + 10\log_{10}(\text{RBW}\,[\text{Hz}])

という関係になります。RBWを10分の1にすれば雑音フロアは10 dB下がる、というのは実務で微弱な信号を雑音の中から見つけ出したいときによく使われる経験則で、この式がその根拠です。ただし前節で見た通りRBWを小さくすれば掃引時間が延びるため、「微弱な信号を見つけたい」という要求と「素早く測定を終えたい」という要求は、ここでも表裏一体のトレードオフになります。

数式定式化2: VNAによるSパラメータ実測とSOLT校正

Sパラメータの回で見たように、S11,S21S_{11}, S_{21} などは「整合終端に対する入射波・反射波の複素振幅比」として定義されます。VNAはこの定義をそのまま実装した測定器で、内部の**方向性結合器(directional coupler)**を使って、DUT(被測定物)へ向かう入射波 aa と、そこから戻ってくる反射波 bb を物理的に分離して、それぞれの振幅・位相を測定します。

ここで実務上の大きな問題になるのが、測定系自体の不完全性です。方向性結合器は理想的には入射波と反射波を完全に分離しますが、実際には有限の方向性(directivity)しか持たず、入射波のごく一部が反射波の測定経路に漏れ込みます。またケーブルやコネクタの損失・位相遅延、内部の周波数応答のばらつきなど、複数の系統誤差が測定値に上乗せされます。これらを補正しないままでは、測定されるのはDUT固有のSパラメータではなく、「DUT + 測定系の誤差」が混ざった値になってしまいます。

そこで行われるのが校正(calibration)です。もっとも代表的な手法がSOLT校正で、名前は使用する4種類の既知標準器の頭文字に由来します。

  • S (Short, 短絡): 理論上の反射係数 Γ=1\Gamma = -1
  • O (Open, 開放): 理論上の反射係数 Γ=+1\Gamma = +1
  • L (Load, 整合負荷): 理論上の反射係数 Γ=0\Gamma = 0
  • T (Thru, スルー): ポート1とポート2を直結し、理想的な伝達係数(S21=S12=1S_{21}=S_{12}=1S11=S22=0S_{11}=S_{22}=0)を与える

片方向(1ポート)の反射測定だけを考えると、測定される反射係数 Γm\Gamma_m と、DUTが実際に持つ真の反射係数 ΓA\Gamma_A の関係は、方向性誤差 eDe_D、ソース整合誤差 eSe_S、反射トラッキング誤差 eRe_R という3つの誤差項を使って、

Γm=eD+eRΓA1eSΓA\Gamma_m = e_D + \frac{e_R\,\Gamma_A}{1 - e_S\,\Gamma_A}

という1ポート3項誤差モデルで表せます。未知数は eD,eS,eRe_D, e_S, e_R の3つなので、真の反射係数 ΓA\Gamma_A が既知の標準器(Short: ΓA=1\Gamma_A=-1、Open: ΓA=+1\Gamma_A=+1、Load: ΓA=0\Gamma_A=0)を順番に接続してそれぞれの Γm\Gamma_m を実測すれば、3本の連立方程式が立ち、eD,eS,eRe_D, e_S, e_R を一意に決定できます。校正後は、この式を ΓA\Gamma_A について逆に解くことで、任意のDUTを接続したときの生の測定値 Γm\Gamma_m から真の値 ΓA\Gamma_A を逆算できるようになります。これは、雑音指数の実測の回でY-factor法が「測定系の付加雑音をFriisの公式で較正で差し引く」という考え方をとっていたのと同じ発想——既知の基準を使って測定系自身の誤差を数式的に切り分け、あとから補正する——がここでも使われています。

2ポートの透過測定(たとえば S21S_{21})まで含めた完全なモデルでは、両ポートの反射・透過に関わる誤差項をあわせて12項誤差モデルとして扱い、Short・Open・Load をポート1・ポート2それぞれに接続する測定に加えて、Thru標準器で両ポートを接続した測定を行うことで、すべての誤差項を決定します。これがSOLT校正の全体像です。校正が完了したVNAは、DUTを接続するだけで、方向性・ソース整合・トラッキングなどの系統誤差が取り除かれた S11,S21,S12,S22S_{11}, S_{21}, S_{12}, S_{22} を周波数掃引しながら直接出力します。

実務上重要な注意点として、校正の精度は使用する標準器自身の既知精度(校正キットの規格値からのずれ)に直接依存します。また、校正はケーブルやコネクタを含めた「校正面(reference plane)」を基準に行われるため、校正後にケーブルを付け替えたり長さを変えたりすると校正が無効になり、再校正が必要になります。この「校正面をどこに設定するか」という考え方は、DUTを別の場所へ電気的に移動させたように補正計算する**デエンベディング(de-embedding)**という、より高度な手法にもつながっています。

数式定式化3: EVM(誤差ベクトル振幅)による変調精度の評価

スペクトラムアナライザやVNAが評価するのは電力やSパラメータといった量でしたが、変調された信号そのものの「品質」——PCM/PSK/PMの回で扱ったBPSKや、より高次のQPSK・8PSK・多値QAM/APSKなどで、送信されたシンボルが理想的な信号点配置からどれだけずれているか——を1つの数値で評価する指標が**EVM(Error Vector Magnitude、誤差ベクトル振幅)**です。

理想的な信号点配置(コンステレーション)上の第 kk 番目のシンボルを複素平面上の点 sks_k とし、実際に受信・復調されたシンボルを s^k\hat s_k とします。両者の差

eks^ksk\vec{e}_k \equiv \hat s_k - s_k

誤差ベクトルと呼びます。これは、理想の信号点から実測の信号点への「ずれ」を、大きさと方向(複素平面上の位置)を持つベクトルとして捉えたものです。NN 個のシンボルにわたってこの誤差ベクトルの大きさを2乗平均(RMS)し、信号自体の平均電力で正規化した量が、実効値(rms)のEVMです。

EVMrms=1Nk=1Ns^ksk21Nk=1Nsk2\text{EVM}_{rms} = \sqrt{\dfrac{\dfrac{1}{N}\displaystyle\sum_{k=1}^{N} \big|\hat s_k - s_k\big|^2}{\dfrac{1}{N}\displaystyle\sum_{k=1}^{N} \big|s_k\big|^2}}

分子は誤差ベクトルの平均電力、分母は理想信号点配置の平均電力(基準電力 PrefP_{ref})であり、EVMは誤差信号の電力を、本来の信号電力に対する比の平方根として定義される、無次元の量です。この比を百分率で表せば EVMrms[%]=EVMrms×100\text{EVM}_{rms}\,[\%] = \text{EVM}_{rms}\times 100、対数表示にすれば EVMrms[dB]=20log10(EVMrms)\text{EVM}_{rms}\,[\text{dB}] = 20\log_{10}(\text{EVM}_{rms}) となります。表示方法は測定器・規格によって異なりますが、いずれも「理想の信号点からのずれの実効値が、信号そのものの大きさに対してどれだけの割合か」という同じ物理量を表しています。

EVMとSNR・BERの関係

誤差ベクトル ek\vec e_k の主な起源が、受信機の熱雑音や送信機の非線形歪み・位相雑音といった、AWGNの物理的起源の回で扱ったような加法性のランダムな擾乱である場合、EVMrms\text{EVM}_{rms} はおおよそ実効的なシンボル信号対雑音比 SNR\text{SNR} の逆数の平方根に一致することが知られています。

EVMrms21SNR=N0Es\text{EVM}_{rms}^2 \approx \frac{1}{\text{SNR}} = \frac{N_0}{E_s}

つまりEVMは、電力の絶対値を測らなくても、信号点配置の「散らばり具合」を見るだけで、実効的な Es/N0E_s/N_0(あるいは Eb/N0E_b/N_0)を逆算できる指標です。PCM/PSK/PMの回で導いたBPSKのビット誤り率

Pb=Q ⁣(2EbN0)P_b = Q\!\left(\sqrt{\frac{2E_b}{N_0}}\right)

を思い出すと、EVM測定によって得られる実効 Eb/N0E_b/N_0 の推定値をこの式に代入すれば、実際の送受信機システムを流れる信号のEVMから、その系が達成しているであろうBERを間接的に見積もることができます。これは、実際に大量のビットを送ってエラーを数える(直接BER測定は低いBERほど莫大な時間がかかります)ことなく、比較的短時間の信号取得だけで変調系全体の健全性を評価できるという、実務上非常に大きな利点です。

ただし、この関係はあくまで近似であり、注意点もあります。EVMは雑音だけでなく、I/Q不平衡(→I/Q不平衡とDCオフセットの回)、位相雑音(→発振器の位相雑音の回)、送信機の非線形性、シンボルタイミング誤差など、あらゆる種類の実装損失を「信号点のずれ」という1つの数値にまとめて写し取ってしまいます。そのため、EVMが規格値を超えて悪化したときに「原因が雑音なのか、位相雑音なのか、非線形歪みなのか」を切り分けるには、EVMの数値だけでなく、コンステレーション図の歪み方のパターン(全体が回転しているのか、放射状に広がっているのか等)を合わせて診断する必要があります。また、多値変調(高次のQAMやAPSKなど信号点間の距離が近い変調方式)ほど、同じEVMでもシンボル誤りに直結しやすいため、変調方式ごとに許容されるEVMの規格値はより厳しく設定されます。

実務での使われ方

打ち上げ前のRF性能検証試験。 探査機の開発フローでは、機体を組み立てた後、打ち上げ前の総合試験(I&T, Integration and Test)の一環として、EMC試験と並んで**RF性能検証試験(RF Compatibility Test / Comprehensive Performance Test, CPT)**が行われます。この試験では、送信機の出力スペクトル(スプリアス・高調波レベル)をスペクトラムアナライザで、アンテナ・ダイプレクサ・フィルタなどのRFフロントエンドの整合特性とアイソレーションをVNAで、そして変調された下り回線信号の変調精度をVSA(Vector Signal Analyzer、あるいはVSA機能を持つスペクトラムアナライザ)でEVM評価する、という形で、これまでのレッスンで定義してきた性能指標がまとめて実測・検証されます。NASA/JPLのDSN Telecommunications Link Design Handbook(810-005)には、こうしたRF互換性試験の手順や合格基準の考え方が、リンク設計全体の一部として位置づけられています。

具体的な測定器と規格値。 実務でよく使われるスペクトラムアナライザには Keysight PXAシリーズ(N9040B等)や Rohde & Schwarz FSWシリーズが、VNAには Keysight PNA/PNA-Xシリーズや R&S ZNBシリーズがあります。これらの多くは、単体でスペクトラム測定・ネットワーク解析に加えて、オプションのVSAソフトウェア(たとえば Keysight 89600 VSA、R&S FSW-K70復調オプション)を組み合わせることでEVM測定も行えます。変調精度の規格値の一例として、衛星放送・衛星通信で広く使われる DVB-S2X 標準では、変調方式が高次(たとえば32APSK)になるほど信号点間隔が狭くなるため、EVM規格値もより厳しく(数%オーダー)設定されています。CCSDS 401.0-Bにも、変調方式ごとの位相雑音・変調精度に関する要求パラメータが規定されています。

地上局側の校正・監視。 地上局のアンテナ・受信系についても、運用開始前や定期メンテナンスの一環として、VNAによる給電系Sパラメータの確認、スペクトラムアナライザによる干渉波・スプリアスの監視が日常的に行われます。とくに複数の周波数帯を共用する大型地上局アンテナでは、スペクトラム管理とITU電波規則の回で扱うような周波数調整の遵守状況を、実際にスペクトラムアナライザで目視・記録して確認するという運用が行われています。

演習問題

  1. あるスペクトラムアナライザで、スパン Span=100\text{Span} = 100 MHz、RBW =10= 10 kHz、係数 k=2.5k=2.5 として掃引したときの最小掃引時間 TsweepT_{sweep} を、本文の式 TsweepkSpan/RBW2T_{sweep} \gtrsim k\,\text{Span}/\text{RBW}^2 を使って見積もってください。次に、RBWを 11 kHzに変更した場合の掃引時間を求め、何倍に増えるか確認してください。
  2. 正規化雑音電力密度が N0=174N_0 = -174 dBm/Hz(常温の熱雑音)だったとき、RBW =100=100 kHzで表示されるDANLと、RBW =1=1 kHzで表示されるDANLをそれぞれdBm単位で求めてください。RBWを100分の1にすると雑音フロアが何dB下がるか、本文の式から確認してください。
  3. 1ポートSOLT校正について、Short標準器(ΓA=1\Gamma_A=-1)を接続したときの測定値が Γm=0.90+j0.05\Gamma_m = -0.90 + j0.05、Open標準器(ΓA=+1\Gamma_A=+1)接続時が Γm=0.85j0.03\Gamma_m = 0.85 - j0.03、Load標準器(ΓA=0\Gamma_A=0)接続時が Γm=0.02+j0.01\Gamma_m = 0.02 + j0.01 だったとします。本文の1ポート3項誤差モデル Γm=eD+eRΓA/(1eSΓA)\Gamma_m = e_D + e_R\Gamma_A/(1-e_S\Gamma_A) に、この3つの既知点を代入すると何が言えるか(未知数がいくつあり、方程式がいくつ立つか)を確認し、eDe_D の値が概ねどの測定値に対応するかを説明してください。
  4. あるQPSK変調信号を実測したところ EVMrms=8%\text{EVM}_{rms} = 8\% でした。本文の近似式 EVMrms2N0/Es\text{EVM}_{rms}^2 \approx N_0/E_s を使って実効的な Es/N0E_s/N_0(dB)を求め、QPSKでは1シンボルあたり2ビットを運ぶことを踏まえて実効的な Eb/N0E_b/N_0(dB)に変換し、PCM/PSK/PMの回のBPSKのビット誤り率の式 Pb=Q(2Eb/N0)P_b=Q(\sqrt{2E_b/N_0}) を援用して(QPSKとBPSKで近似的にビット誤り率の式が同形になることを仮定してよい)、おおよそのビット誤り率のオーダーを見積もってください。

まとめと次回予告

スペクトラムアナライザは掃引局部発振器と固定のIFフィルタを組み合わせて、周波数という量を時間軸上の掃引に変換してから再び周波数軸のグラフとして描き直す装置であり、その分解能(RBW)を上げるほど掃引時間が2乗で伸びるという物理的トレードオフを抱えています。VNAは、方向性結合器で入射波・反射波を分離し、SOLT校正によって測定系自身の系統誤差(方向性・ソース整合・トラッキング)を既知標準器から逆算して取り除くことで、Sパラメータの回で定義した複素な伝達特性を実測可能にしています。そしてEVMは、変調信号の理想信号点からのずれをベクトルとして捉え、そのRMS値を通じて実効的なSNR、ひいてはBERまで見積もれる、変調品質の統合指標でした。これらの測定器・測定手法が、打ち上げ前のRF性能検証試験という形で、これまで学んできたあらゆる性能指標を最終的に「実測して合格基準を満たしているか確認する」という工程を支えています。

次回は少し視野を広げて、こうした地道な測定技術・リンク設計の先にある、将来の深宇宙通信ロードマップ——光通信への移行や、より高次の変調・符号化方式がどう実用化に向かっているか——に軽く触れます。

参考文献

  • Keysight Technologies, Spectrum Analysis Basics, Application Note 150
  • Keysight Technologies, Network Analyzer Basics, Application Note
  • Keysight Technologies (旧Agilent), Applying Error Correction to Network Analyzer Measurements, Application Note 1287-3
  • ETSI EN 302 307-2, Digital Video Broadcasting (DVB); Second Generation … (DVB-S2X)
  • CCSDS 401.0-B, Radio Frequency and Modulation Systems, Part 1: Earth Stations and Spacecraft
  • DSN Telecommunications Link Design Handbook, DSN No. 810-005
  • J. H. Yuen (ed.), Deep Space Telecommunications Systems Engineering, JPL Publication 82-76