システム・運用#45
探査機RFフロントエンド設計 — ダイプレクサと冗長系が支える1機の通信システム
トランスポンダ・TWTA・LNA・アンテナをこれまで個別の要素技術として学んできたが、実際の探査機1機の中ではこれらがどう配線され、どう統合されているのか。送受信を1本のアンテナで同居させるダイプレクサのフィルタ設計トレードオフと、修理不可能な深宇宙機ならではの冗長系設計の信頼性数理を扱う。
前提知識: transponder
この回で学ぶこと
ここまでの回で、私たちは探査機の無線系を構成する要素技術を1つずつ個別に学んできました。トランスポンダの回では地上からのアップリンク搬送波にコヒーレントに位相同期し、ターンアラウンド比で折り返すコヒーレントターンアラウンドを、QPSK/OQPSKの回やAPSKの回では送信電力を効率よく出力する非線形増幅器TWTA(進行波管増幅器、あるいは半導体式のSSPA)の特性を、AWGN雑音モデリングの回では受信機の入口に置かれるLNA(低雑音増幅器)がシステム全体の雑音温度を左右することを、アンテナ自動追尾の回ではビームを探査機・地球の方向へ向け続ける機械的な追尾を、それぞれ扱いました。
しかし、これらはあくまで「個々の部品の中身」の話でした。実際の探査機は、これらの部品を1枚の金属パネル(バス構体)の上に配置し、同軸ケーブルや導波管でつなぎ合わせ、たった1つの(あるいは数個の)アンテナで送信と受信を同時にこなさなければなりません。この回では視点を「部品」から「配線図(RF系統図)」に引き上げ、次の2つの新しい概念を中心に、探査機のRFフロントエンド全体がどう設計されているかを見ていきます。
- ダイプレクサ (diplexer): 1本のアンテナで送信・受信を同時に行うために、送受信の周波数を分離するフィルタ回路。フィルタの次数(選択度)と挿入損失のトレードオフを数式で理解します。
- 冗長系設計 (redundancy): 探査機に搭載されたトランスポンダやTWTAが、単一故障点(Single Point of Failure, SPF)にならないよう2系統以上を持たせる設計思想と、その信頼性を定量化する数理。
最後に、これらの配線上の要素(ケーブル損失・ダイプレクサ挿入損失)が、変調損失の回で導入したリンクバジェット方程式のどこに位置づけられるのかを確認します。
直感的導入
探査機のアンテナを、電話の受話器のマイクとスピーカーが1つの筐体に同居しているようなものだと考えてみましょう。人間の電話ではマイクとスピーカーは別々の物理素子なので混信しませんが、探査機のアンテナは1枚のパラボラ反射鏡と1つの給電部を、送信(ダウンリンク)と受信(アップリンク)の両方で共用します。しかも送信側のTWTAは数十Wというワットオーダーの電力を出力する一方、受信側のLNAが検出しなければならないアップリンク信号はピコワット( W)以下という、実に10桁以上も違う電力レベルの信号を、同じ給電部の近くで同時に扱わなければなりません。もし送信信号のわずかな漏れ込みでもLNAの入力に達してしまえば、LNAは飽和して受信不能になったり、最悪の場合は破損します。この「1つの口で同時に話しながら聞く」という難題を解決するのがダイプレクサです。
もう1つの直感は「修理できない機械」という制約です。地上の通信設備なら、部品が故障すれば技術者が現地に行って交換すればよいのですが、数億km彼方を飛行する探査機にはそれができません。打ち上げてしまえば、機体の中のどんな部品が壊れても、地球から手を伸ばして直すことは物理的に不可能です。したがって深宇宙探査機のRF系統は、地上の通信機器とは比較にならないほど「壊れないこと」ではなく「壊れても致命的にならないこと」に設計の重心を置きます。これが冗長系設計の出発点です。
数式定式化
ダイプレクサ: フィルタの選択度と挿入損失のトレードオフ
ダイプレクサは本質的に、共通の1つのポート(アンテナ側)に、2つの帯域通過フィルタ(BPF)を接続した回路です。一方はTWTAからの送信信号(ダウンリンク周波数帯)だけをアンテナへ通し、アップリンク周波数帯とLNA側への回り込みを強く減衰させる「送信アーム」、もう一方はアンテナからのアップリンク信号だけをLNAへ通し、TWTAの強力なダウンリンク信号がLNA側に漏れ込むのを強く減衰させる「受信アーム」です。
次のチェビシェフ型帯域通過フィルタの振幅特性は、通過帯域からの正規化周波数オフセット を使って
と表されます。 は 次のチェビシェフ多項式、 はリップルの大きさを決める定数です。通過帯域の外側()では、チェビシェフ多項式は漸近的に とふるまうため、減衰量(アイソレーション)は
という形になります。重要なのは、減衰量の主要項が次数 に比例して と急激に効いてくることです。 つまり送受信周波数の間隔(正規化すると )が広ければ広いほど、少ない次数でも高いアイソレーションが得られます。
一方で、フィルタの次数を上げる(共振器の数を増やす)ことにはコストが伴います。実在の共振器は有限の無負荷Q値 しか持たないため、共振器を通過するたびにわずかな挿入損失が生じます。S. B. Cohnの古典的な結果(1959年)によれば、通過帯域中心での挿入損失は近似的に
で与えられます。ここで はフィルタ通過帯域の比帯域幅(フラクショナル帯域幅)、 はローパスプロトタイプの正規化素子値(次数 が大きく変わらない範囲では、その総和はおおよそ に比例します)。
ここに設計上のトレードオフが現れます。 同じアイソレーション要求を満たすために送受信周波数の間隔 を狭く取ろうとすると、必要な次数 が増え、それに比例して挿入損失 も増えてしまいます。逆に送受信周波数を大きく離せば( を大きく取れば)、少ない次数で同じアイソレーションを達成でき、挿入損失を低く抑えられます。
具体的にXバンドの数値を入れてみましょう。トランスポンダの回で扱ったように、Xバンドのアップリンクは 7145–7190 MHz、ダウンリンクは 8400–8450 MHz です。中心周波数の間隔は
一方、それぞれの通過帯域幅はおよそ 程度です。正規化オフセットは、通過帯域半幅を基準にとると
と非常に大きな値になります。 なので、90 dBのアイソレーションを得るために必要な次数はおおよそ
となります。実際に 、比帯域幅 、導波管空胴共振器の無負荷Q値を 程度とすると、
これは実在の深宇宙機用ダイプレクサの公称挿入損失(おおよそ0.2〜0.5 dB程度)とよく符合する現実的な数字です。このようにS/X/Kaバンドという広く離れた周波数帯がアップリンク・ダウンリンクに割り当てられていること自体が、ダイプレクサをわずか数段の共振器で、低い挿入損失かつ高いアイソレーションで実現できることの土台になっています。 もし仮に送受信の周波数間隔が現在よりずっと狭かったなら、同じアイソレーションを得るために遥かに多い段数のフィルタが必要になり、挿入損失もそれだけ増え、リンク全体の性能を圧迫していたはずです。
冗長系設計: なぜ2系統が標準なのか
探査機に搭載される時間 の間、ある部品(例えばトランスポンダ1台)が故障せず動作し続ける確率(信頼度)を、指数分布モデルで表します。
は故障率(単位時間あたりの故障確率、単位は など)で、その逆数 が平均故障間隔(MTBF, Mean Time Between Failures)です。
もしトランスポンダ・TWTA・LNAがそれぞれ1系統(シングルストリング)しかなければ、無線リンクが生き続けるためにはこれらすべてが同時に故障していない必要があります。これは電気回路でいう「直列」接続と同じ構造なので、システム全体の信頼度は各要素の信頼度の積になります。
積は必ず1未満の数同士の掛け算なので、部品点数が増えるほど は各部品の信頼度よりも必ず低くなります。これは「シングルストリング設計はどれか1つが壊れただけでミッション終了(単一故障点, Single Point of Failure)になる」ということの数式的な表現です。
これに対して、ある部品(例えばトランスポンダ)をプライム系統とバックアップ系統の2台搭載し、クロスストラップスイッチ(導波管転換スイッチや同軸リレー)でどちらか一方を選択できるようにすると、両方の系統が同時に故障しない限りリンクは維持されます。これは電気回路でいう「並列」接続に対応し、スイッチ自体が理想的(故障しない)と仮定すれば
が成り立ちます。実際にはスイッチ自体にも有限の信頼度 があるため、より正確には
となります。ここが冗長系設計の要点です。冗長化のためのスイッチ自体が、それが守ろうとしている部品よりも信頼性の低い新たな単一故障点になってしまっては本末転倒です。したがって切替スイッチには、機械的な可動部を最小限にした極めて高信頼な設計(ラッチング型フェライトスイッチや、電流を切った状態を保持できる機構など)が採用され、その信頼度は保護対象の電子回路よりも一桁以上高くなるように設計されます。
数値例を見てみましょう。あるミッション期間全体でのトランスポンダ1台の信頼度が (打ち上げから運用終了までの期間で故障しない確率95%)だったとします。シングルストリングならこのままミッション全体の信頼度に直結しますが、スイッチが十分高信頼()なクロスストラップ冗長にすると、
故障確率が5%から約0.35%へと、1桁以上改善することが分かります。さらに実際の探査機では、トランスポンダとTWTAをそれぞれ2台ずつ搭載し、両方を自由に組み合わせられるフルクロスストラップ構成(プライム・トランスポンダ+バックアップ・TWTA、あるいはその逆といった組み合わせも選べる)を取ることが多く、これによりどちらか片方の系統内で複数の異なる部品が同時に故障しても、生き残った部品同士を組み合わせてリンクを維持できる可能性が広がります。
リンクバジェットにおける探査機側の損失項
変調損失の回で導入したリンクバジェット方程式
のうち、探査機側が担う (等価等方輻射電力)は、単純に「TWTAの出力電力にアンテナ利得を足すだけ」ではありません。TWTAの出力からアンテナの給電点までの間には、この回で見てきたダイプレクサや、冗長系のクロスストラップスイッチ、そしてそれらをつなぐ同軸ケーブルや導波管そのものが持つ損失が存在します。これらをすべて差し引くと、実効的なEIRPは
という形で表されます。前節で見積もった dBのような値は、一見小さく見えるかもしれませんが、数億km彼方まで電波を届けるリンクバジェットでは0.1 dB単位の余裕が貴重であり、設計段階では必ず正式にリンクバジェット表(Link Design Control Table)に個別項目として計上されます。
同様の議論は受信側にも当てはまります。AWGN雑音モデリングの回で見たように、損失 (真数、)・物理温度 の受動素子は、それ自体が
という等価雑音温度を生み出し、しかもこれがLNAの手前に置かれているため、Friisの雑音公式によりほぼそのままシステム雑音温度に上乗せされます。探査機の受信チェーンでも、アンテナからLNAまでの間にダイプレクサの受信アームやスイッチが挟まる以上、これらの挿入損失は探査機自身の受信感度(コマンド受信のしきい値や、PLLの回で見たループSNR に入ってくる搬送波電力 )を直接悪化させます。設計者は「アンテナからLNAまでの経路をできるだけ短く、損失の少ない部品で構成する」という、地上局の受信機設計と全く同じ原則を、探査機側でも徹底することになります。
実務での使われ方
典型的な深宇宙探査機のRF系統図は、おおよそ次のようなブロックの並びになります。
- アンテナ(HGA/MGA/LGAが搭載されている場合は、その間を選択するアンテナ選択スイッチが最上流に入ります。次回、この使い分けを扱います。)
- ダイプレクサ: 送受信の周波数を分離する。
- 受信アーム: ダイプレクサのRxポート → (冗長スイッチ) → LNA → ダウンコンバータ → トランスポンダの受信部(PLLでアップリンクにロックする)
- 送信アーム: トランスポンダの励振部(ターンアラウンド比を掛けて生成した信号) → (冗長スイッチ) → TWTA/SSPA → ダイプレクサのTxポート
このうちトランスポンダとTWTAは、前節で述べた通りプライム・バックアップの2系統がクロスストラップスイッチで接続されるのが標準的な構成です。NASA/JPLのDSN標準トランスポンダを搭載する多くのミッションでは、この冗長構成がRF系統図(Functional Block Diagram)として設計文書に明示され、DSN Telecommunications Link Design Handbook (810-005) のトランスポンダ/RF系統モジュールにも、こうした標準的な構成パターンが記載されています。
冗長設計が地上機器以上に重視される理由は、繰り返しになりますが修理不可能性に尽きます。地上の通信基地局であれば、故障した部品を交換するまでの数時間から数日のダウンタイムを許容できますが、深宇宙探査機ではそのダウンタイムがミッション運用期間全体、場合によっては数十年に及びます。実際、ボイジャー1号・2号(1977年打ち上げ)は、打ち上げから半世紀近く経過した現在も、当初から搭載されていた冗長トランスポンダ・冗長TWTAの構成のおかげで、片系統に不具合が生じても運用チームが地上からコマンドで健全な系統へ切り替えることで運用を継続してきました。これは「打ち上げ前に想定し得るあらゆる単一故障に対して、地上からの切り替えコマンドだけで生き延びられるように設計する」という深宇宙ミッション特有の設計哲学が、数十年という現実の時間スケールで実証された好例です。同様に、はやぶさ2やカッシーニ、火星探査機群など、長期運用を前提とするミッションのRF系統は例外なくこの種の冗長構成を持っています。
演習問題
- Sバンドのアップリンク(2110–2120 MHz)・ダウンリンク(2290–2300 MHz)について、中心周波数間隔 と、通過帯域幅を10 MHzとしたときの正規化オフセット を計算し、本文で示した近似式 を用いて、80 dBのアイソレーションを得るのに必要なフィルタ次数 の目安を求めてください。Xバンドの場合と比べて、必要な次数はどう変化するか、その理由も考察してください。
- 比帯域幅 、無負荷Q値 の共振器を使った 次のダイプレクサの挿入損失を、Cohnの近似式 で計算してください。
- トランスポンダ・TWTAそれぞれの単体信頼度が、ミッション期間全体で 、 だったとします。(a) 両方ともシングルストリングの場合のシステム信頼度、(b) 両方とも2重化しクロスストラップスイッチの信頼度を とした場合のシステム信頼度、をそれぞれ計算し、冗長化による改善幅を評価してください。
- なぜ冗長化のためのクロスストラップスイッチそのものには、保護対象の部品(トランスポンダやTWTA)よりも高い信頼性が要求されるのでしょうか。本文の という式の構造を踏まえて説明してください。また、地上の通信設備ではここまで厳密な冗長設計が(深宇宙探査機ほどには)重視されない理由についても、自分の言葉で述べてください。
まとめと次回予告
この回では、これまで個別の要素技術として学んできたトランスポンダ・TWTA・LNA・アンテナが、実際の探査機1機の中でどう配線・統合されているかを見ました。ダイプレクサは、送受信周波数の間隔(正規化オフセット )が大きいほど少ない次数で高いアイソレーションを実現できる一方、次数を上げるほど共振器の有限Q値による挿入損失が増えるという、選択度と損失のトレードオフを抱えていました。また、修理不可能な深宇宙探査機では、部品の直列接続がシステム全体の信頼度を掛け算的に低下させてしまうことから、プライム・バックアップの2系統とクロスストラップスイッチによる冗長化が標準的な設計となっており、その信頼性は という単純な式で定量化できることを見ました。そして、これらダイプレクサやスイッチの挿入損失は、リンクバジェット方程式の中で を目減りさせる具体的な項として計上されることも確認しました。
次回は、探査機に搭載される複数のアンテナ——HGA(高利得アンテナ)、MGA(中利得アンテナ)、LGA(低利得アンテナ)——がそれぞれどんな場面で使い分けられているのかに軽く触れます。打ち上げ直後の姿勢が定まらない局面から、定常運用中の高速データ通信まで、探査機がミッションフェーズに応じてどのアンテナを選ぶのか、その設計思想を見ていきます。
参考文献
- DSN Telecommunications Link Design Handbook, DSN No. 810-005 (Transponder / RF系統およびLink Design Control Tableに関するモジュール)
- CCSDS 401.0-B, Radio Frequency and Modulation Systems, Part 1: Earth Stations and Spacecraft
- S. B. Cohn, “Dissipation Loss in Multiple-Coupled-Resonator Filters,” Proceedings of the IRE, vol. 47, no. 8, pp. 1342–1348, 1959
- MIL-HDBK-338B, Electronic Reliability Design Handbook
- J. H. Yuen (ed.), Deep Space Telecommunications Systems Engineering, JPL Publication 82-76
- J. R. Wertz, D. F. Everett, J. J. Puschell (eds.), Space Mission Engineering: The New SMAD