変調・符号化#73

オシレータの位相雑音 — L(f)とLeesonモデルで読み解くスペクトル純度の限界

アラン分散が「時間領域・長期」の周波数安定度を測る指標だったのに対し、位相雑音$L(f)$は「周波数領域・短期」のスペクトル純度を測る指標。同じ発振器の不完全性を切り口を変えて見ているに過ぎないことをSφ(f)とSy(f)の変換式で示し、Leesonモデルの傾き構造、PLLの追尾誤差への伝搬、そして多値PSK/QAMの信号点位相回転によるシンボル誤り率劣化までを数式で追う。

前提知識: PLL — 弱い搬送波を追いかけ続けるフィードバック制御原子時計とUSO — アラン分散で読み解く周波数安定度の限界

位相雑音LeesonモデルPLL多値変調局部発振器

この回で学ぶこと

原子時計とUSOの回では、発振器の周波数安定度を定量化する指標としてアラン分散 σy2(τ)\sigma_y^2(\tau) を導入しました。あれは「積分時間 τ\tau を変えたときに、発振器の平均周波数がどれだけばらつくか」という時間領域・長期の物差しでした。水素メーザーとUSOの安定度差が2桁あること、そしてホワイト・フリッカー・ランダムウォークという雑音タイプがログログプロット上で異なる傾きを描くことを見ました。

しかし発振器の「揺らぎ」を評価する物差しは、これだけではありません。PLLの回で扱った受信機は、探査機からの残留搬送波をリアルタイムに追尾し続ける装置でした。ここで問われるのは「1000秒間平均するとどれだけ安定か」ではなく、「搬送波のすぐ隣、たとえば1kHzだけ離れた周波数に、どれだけ雑音電力が漏れ出しているか」という、周波数領域・短期の性質です。スペクトラムアナライザで発振器の出力を見ると、理想的には鋭い1本の輝線(デルタ関数)になるはずのスペクトルが、実際には裾を引いたように広がっています。この裾の広がり方を定量化する指標が、この回で扱う位相雑音(phase noise) L(f)L(f) です。

重要なのは、アラン分散と位相雑音が「まったく別の現象」を扱っているわけではないという点です。どちらも、発振器の出力位相 ϕ(t)\phi(t) が完全に一定ではなく、確率的に揺らいでいるという同じ物理現象を記述しています。アラン分散はその揺らぎを時間領域のサンプル差分として捉え、位相雑音は同じ揺らぎを周波数領域のパワースペクトル密度として捉えている——つまり両者は、同じデータに対する2種類の異なる「読み方」に過ぎません。この回では、この対応関係を数式で明示的につなぎながら、位相雑音という指標そのものの定義、Leesonモデルによる傾きの物理的起源、そしてPLLの追尾誤差や高次変調のシンボル誤り率にどう波及するかを見ていきます。

直感的な導入

理想的な発振器の出力をスペクトラムアナライザに通すと、周波数軸上のただ1点にすべての電力が集中した、幅ゼロの輝線として観測されるはずです。しかし実際の発振器の出力をアナライザで観測すると、中心の輝線の周りに、なだらかに減衰していく「裾(スカート)」が必ず観測されます。この裾の高さと形状こそが、その発振器の位相雑音特性です。

なぜ裾が生じるのでしょうか。発振器の出力を v(t)=V0cos(2πf0t+ϕ(t))v(t) = V_0\cos(2\pi f_0 t + \phi(t)) と書いたとき、ϕ(t)\phi(t) が完全にゼロ(あるいは一定値)であれば、これは純粋な単一周波数の正弦波であり、フーリエ変換は f0f_0 にデルタ関数として現れます。しかし ϕ(t)\phi(t) がランダムに時間変動していると、この位相変調によって搬送波の周りに側波帯(サイドバンド)が生成され、スペクトルが広がります。これはちょうど、PCM/PSK/PMの回で見た「PM変調によって搬送波の周りにデータの側波帯が生じる」現象と数学的にまったく同じ構造です。違いは、データという「意図的な」位相変調ではなく、発振器の熱雑音・フリッカー雑音・振動などに由来する「意図せぬ」位相のランダムな揺らぎが変調源になっている点だけです。

この「揺らぎがスペクトルの裾をどう作るか」という周波数領域での見方が位相雑音であり、「揺らぎが時間とともにどう積算されるか」という時間領域での見方がアラン分散でした。同じ ϕ(t)\phi(t) の統計的性質を、フーリエ変換で結ばれた2つの異なる窓から覗いているにすぎない、という点をまず押さえておきましょう。

数式定式化

位相雑音スペクトル密度 L(f)L(f) の定義

発振器の出力を、振幅雑音を無視して(振幅雑音は別途AM雑音として扱われ、多くの発振器では位相雑音より十分小さいため本稿では省略します)

v(t)=V0cos(2πf0t+ϕ(t))v(t) = V_0 \cos\big(2\pi f_0 t + \phi(t)\big)

と書きます。ϕ(t)\phi(t) は平均ゼロの広義定常確率過程とし、そのパワースペクトル密度を Sϕ(f)S_\phi(f) [rad2^2/Hz]とします(ここでの ff は搬送波 f0f_0 からのオフセット周波数であり、絶対周波数ではないことに注意してください)。

ϕ(t)\phi(t) の中に、オフセット周波数 ff の単一トーン成分 ϕ(t)=Δϕsin(2πft)\phi(t) = \Delta\phi \sin(2\pi f t) が振幅 Δϕ1\Delta\phi \ll 1 rad で含まれているとします。三角関数の合成公式より、

v(t)=V0cos(2πf0t)cos(Δϕsin2πft)V0sin(2πf0t)sin(Δϕsin2πft)v(t) = V_0\cos(2\pi f_0 t)\cos(\Delta\phi\sin 2\pi ft) - V_0\sin(2\pi f_0 t)\sin(\Delta\phi\sin2\pi ft)

Δϕ\Delta\phi が小さいとして cos(Δϕsin)1\cos(\Delta\phi\sin\cdot)\approx1sin(Δϕsin)Δϕsin2πft\sin(\Delta\phi\sin\cdot)\approx\Delta\phi\sin2\pi ft と近似し、積和公式を使うと、

v(t)V0cos(2πf0t)+V0Δϕ2cos(2π(f0+f)t)V0Δϕ2cos(2π(f0f)t)v(t) \approx V_0\cos(2\pi f_0 t) + \frac{V_0\Delta\phi}{2}\cos\big(2\pi(f_0+f)t\big) - \frac{V_0\Delta\phi}{2}\cos\big(2\pi(f_0-f)t\big)

つまり搬送波の両脇 f0±ff_0\pm f に、振幅 V0Δϕ/2V_0\Delta\phi/2 の側波帯(上側波帯・下側波帯)が対称に立ちます。片側の側波帯電力と搬送波電力の比は

PssbPcarrier=(Δϕ/21)2=Δϕ24\frac{P_{\text{ssb}}}{P_{\text{carrier}}} = \left(\frac{\Delta\phi/2}{1}\right)^2 = \frac{\Delta\phi^2}{4}

一方、この単一トーン成分が ϕ(t)\phi(t) の分散に寄与する量は ϕ2=Δϕ2/2\overline{\phi^2} = \Delta\phi^2/2 であり、これがパワースペクトル密度で書けば 11 Hz 幅あたり Sϕ(f)1Hz=Δϕ2/2S_\phi(f)\cdot 1\,\text{Hz} = \Delta\phi^2/2 に相当します。両式から Δϕ2/4=Sϕ(f)/2\Delta\phi^2/4 = S_\phi(f)/2 となるので、片側波帯雑音電力対搬送波電力比として定義される位相雑音は

L(f)Pssb(f0+f, 1Hz)Pcarrier=Sϕ(f)2\mathcal{L}(f) \equiv \frac{P_{\text{ssb}}(f_0+f,\ 1\,\text{Hz})}{P_{\text{carrier}}} = \frac{S_\phi(f)}{2}

という関係で Sϕ(f)S_\phi(f) と結びつきます。実務上は対数表示にした

L(f) [dBc/Hz]10log10 ⁣(Sϕ(f)2)L(f)\ [\text{dBc/Hz}] \equiv 10\log_{10}\!\left(\frac{S_\phi(f)}{2}\right)

が使われます。単位「dBc/Hz」は「搬送波(carrier)を基準とした、1Hz帯域幅あたりのdB値」を意味し、L(f)L(f) はオフセット周波数 ff の関数として与えられる、まさに搬送波の周りの「裾の高さ」の対数表現です。ff が大きい(搬送波から遠い)ほど、また発振器の質が良いほど、L(f)L(f) はより負に(より深く)なります。

Sϕ(f)S_\phi(f) とアラン分散の Sy(f)S_y(f) との対応関係

原子時計とUSOの回で扱った相対周波数偏差 y(t)y(t) は、瞬時角周波数のずれ δω(t)=dϕ/dt\delta\omega(t) = d\phi/dt を使って

y(t)=δω(t)ω0=12πf0dϕ(t)dty(t) = \frac{\delta\omega(t)}{\omega_0} = \frac{1}{2\pi f_0}\frac{d\phi(t)}{dt}

と書けます。時間微分はフーリエ変換上で j2πfj2\pi f を掛ける操作に対応するため、パワースペクトル密度のレベルでは(j2πf2=(2πf)2|j2\pi f|^2=(2\pi f)^2 に注意して)

Sy(f)=(2πf2πf0)2Sϕ(f)=(ff0)2Sϕ(f)Sϕ(f)=(f0f)2Sy(f)S_y(f) = \left(\frac{2\pi f}{2\pi f_0}\right)^2 S_\phi(f) = \left(\frac{f}{f_0}\right)^2 S_\phi(f) \quad\Longleftrightarrow\quad S_\phi(f) = \left(\frac{f_0}{f}\right)^2 S_y(f)

という関係が成り立ちます。これが、時間領域の指標(アラン分散、Sy(f)S_y(f) のべき乗則)と周波数領域の指標(位相雑音、Sϕ(f)S_\phi(f) のべき乗則、ひいては L(f)L(f) の傾き)を結ぶ変換式です。原子時計とUSOの回で見た Sy(f)fαS_y(f)\propto f^\alpha の分類に、この変換式 Sϕ(f)fα2SyS_\phi(f)\propto f^{\alpha-2}\,S_y の比例係数 f02f_0^2 を掛けた関係を適用すると、次の対応表が得られます。

雑音タイプSy(f)S_y(f) の指数 α\alphaアラン分散 σy2(τ)\sigma_y^2(\tau) の傾きSϕ(f)S_\phi(f) の指数L(f)L(f) の傾き(dB/decade)
ランダムウォークFM2-2τ+1\tau^{+1}4-440-40
フリッカーFM1-1τ0\tau^{0}(フリッカーフロア)3-330-30
ホワイトFM00τ1\tau^{-1}2-220-20
フリッカーPM+1+1(アラン分散では判別困難)1-110-10
ホワイトPM+2+2(アラン分散では判別困難)0000(フロア)

原子時計とUSOの回で扱ったホワイト・フリッカー・ランダムウォーク(いずれも「周波数」雑音、FM系)は、この表の上3行にそのまま対応しています。一方、下2行の「位相」雑音(PM系、フリッカーPMとホワイトPM)は、通常のアラン分散ではその τ\tau 依存性がほぼ同じに見えてしまい判別しづらい(区別には「修正アラン分散」など別の統計量が必要)ため、原子時計とUSOの回では扱いませんでした。位相雑音 L(f)L(f) という周波数領域の指標は、まさにこの搬送波に極めて近い領域(ホワイトPM・フリッカーPM)の性質を直接的に、かつ高い分解能で可視化できる点に強みがあり、これがアラン分散と位相雑音という2つの指標が実務上「補完関係」にある理由です。

Leesonモデル: 傾きが生まれる物理的な理由

実際の発振器(帰還型発振器: 共振器+維持増幅器のループ)の位相雑音スペクトルが、なぜオフセット周波数に応じて異なる傾きの領域に分かれるのかを説明する古典的なモデルが、D. B. Leesonが1966年に提案したLeesonモデルです。

L(f)=10log10[FkT2Ps(1+(f02QLf)2)(1+fcf)]L(f) = 10\log_{10}\left[\frac{FkT}{2P_s}\left(1+\left(\frac{f_0}{2Q_L f}\right)^2\right)\left(1+\frac{f_c}{|f|}\right)\right]

ここで FF は維持増幅器の雑音指数、kk はボルツマン定数、TT は絶対温度、PsP_s は増幅器に入力される信号電力、QLQ_L は発振ループ内の共振器の負荷Q(共振の鋭さ)、fcf_c は増幅器に固有のフリッカーコーナー周波数(能動素子の 1/f1/f 雑音が熱雑音を上回らなくなる境目の周波数)です。この式を3つの領域に分けて見てみましょう。

領域1: ffcf \ll f_c(搬送波に極めて近い領域)。 (f0/2QLf)21(f_0/2Q_Lf)^2 \gg 1 かつ fc/f1f_c/f \gg 1 となるため、式全体が (1/f2)(1/f)=1/f3\propto (1/f^2)\cdot(1/f) = 1/f^3 に比例します。これは、能動素子(トランジスタなど)固有のフリッカー(1/f)雑音が周波数変調の形で発振ループに入り込み、それが共振器の狭い帯域(高Q)によってさらに 1/f21/f^2 的に強調される、という2つの効果が重なった結果です。前節の対応表で言えば、これはフリッカーFM雑音(Sϕf3S_\phi\propto f^{-3})の領域に対応し、Leeson曲線の傾き 30-30 dB/decade の直線として現れます。

領域2: fcff0/2QLf_c \ll f \ll f_0/2Q_L(中間領域)。 (f0/2QLf)21(f_0/2Q_Lf)^2 \gg 1 はまだ成り立つ一方、fc/f1f_c/f \ll 1 となるため、式は 1/f2\propto 1/f^2 に比例します。これは維持増幅器の熱雑音(ホワイト雑音)が周波数変調の形でループに入り込み、共振器のQによって 1/f21/f^2 的に整形された結果で、前節のホワイトFM雑音(Sϕf2S_\phi\propto f^{-2})の領域に対応します。傾きは 20-20 dB/decade です。共振器のQが高いほど、この 1/f21/f^2 領域から後述の平坦領域への遷移が搬送波からより遠いところで起こる(つまりQが高いほど近傍の位相雑音を抑えられる)ことがこの式から読み取れます。これが「高Q共振器を使うと位相雑音特性が改善する」という設計指針の数式的な根拠です。

領域3: ff0/2QLf \gg f_0/2Q_L(搬送波から十分離れた遠方領域)。 (f0/2QLf)21(f_0/2Q_Lf)^2 \ll 1 かつ fc/f1f_c/f \ll 1 となり、括弧内の項がともに 11 に近づくため、L(f)10log10(FkT/2Ps)L(f) \to 10\log_{10}(FkT/2P_s) という一定値(フロア)に漸近します。これは共振器によるフィルタリングを受けない、増幅器の熱雑音そのものが直接位相変調として現れる領域で、前節のホワイトPM雑音(Sϕf0S_\phi\propto f^0)に対応し、傾き 00 の水平な床(ノイズフロア)を形成します。

これら3領域(および、より精密な特性評価では 40-40 dB/decade のランダムウォークFM領域や 10-10 dB/decade のフリッカーPM領域も加わった5分類が使われますが、支配的な挙動を掴む上では上記3つが中心です)を重ね合わせると、実際の発振器のログログプロット(L(f)L(f) dB vs logf\log f)は、搬送波近傍で急峻な 30-30 dB/decadeの傾きから始まり、f=fcf=f_c 付近で 20-20 dB/decade に緩み、f=f0/2QLf=f_0/2Q_L 付近で完全に水平なフロアへと漸近する、階段状に傾きが緩んでいく概形を描きます。これは原子時計とUSOの回で見たアラン偏差のU字型プロットと並んで、発振器の周波数安定度・スペクトル純度を診断する2大グラフの一つです。

PLLへの伝搬: 位相雑音がループの追尾誤差に与える寄与

PLLの回では、位相検波器・ループフィルタ・VCOからなる閉ループの誤差伝達関数を

He(s)Φ(s)Θi(s)=1H(s)=ss+KF(s)H_e(s) \equiv \frac{\Phi(s)}{\Theta_i(s)} = 1 - H(s) = \frac{s}{s+KF(s)}

と定義し、熱雑音がループに与える定常的な位相誤差分散を σϕ21/ρL\sigma_\phi^2 \approx 1/\rho_L(ρL=PC/(N0BL)\rho_L = P_C/(N_0 B_L): ループSNR)という形で求めました。この結果は「PDへの入力に一定のパワースペクトル密度で乗ってくるホワイト雑音」を仮定したものでしたが、実際にはループを構成するVCO自身も、この回で見てきた位相雑音 Sϕ,VCO(f)S_{\phi,\text{VCO}}(f) を内在的に持っています。

VCOの固有位相雑音は、VCOの出力位相 θo(t)\theta_o(t) に直接加わる外乱としてモデル化できます。ブロック図上でこの外乱を N(s)N(s) とすると、負帰還ループの性質から、この外乱が出力(および位相誤差)に与える影響は

Θo(s)=H(s)Θi(s)+He(s)N(s)\Theta_o(s) = H(s)\,\Theta_i(s) + H_e(s)\,N(s)

という形で伝わります(外乱がループの積分器の直後、すなわち出力そのものに加わるため、その伝達係数は 1/(1+G(s))=He(s)1/(1+G(s)) = H_e(s) に一致することが、PLLの回で導いた G(s),He(s)G(s),H_e(s) の定義から確認できます)。これは重要な帰結を持ちます。He(s)H_e(s)s0s\to0(低周波、ループ帯域内)で 00 に近づき、ss\to\infty(高周波、ループ帯域外)で 11 に近づくハイパス特性を持つ関数でした。つまり、

  • ループ帯域内(fBLf \ll B_L)の VCO 位相雑音は、負帰還によって強く抑圧されます。 ループはこの範囲では受信搬送波(基準信号)に忠実に追従しようとするため、VCO自身の近傍雑音は「間違い」として検出され、補正されてしまいます。
  • ループ帯域外(fBLf \gg B_L)の VCO 位相雑音は、ほとんど抑圧されずにそのまま出力に現れます。 ループの応答が追いつかないほど速い揺らぎは補正しきれず、VCO固有の遠方位相雑音がそのまま追尾誤差として残ります。

したがって、VCO自身の位相雑音に起因する追尾誤差分散は、

σϕ,osc2=0He(j2πf)2Sϕ,VCO(f)df=20He(j2πf)2LVCO(f)df\sigma_{\phi,\text{osc}}^2 = \int_0^\infty |H_e(j2\pi f)|^2\, S_{\phi,\text{VCO}}(f)\, df = 2\int_0^\infty |H_e(j2\pi f)|^2\, L_{\text{VCO}}(f)\, df

として、L(f)L(f)He(s)H_e(s) の周波数応答で重み付けして積分することで求まります。LVCO(f)L_{\text{VCO}}(f) が搬送波近傍で急峻な発振器ほど、ループ帯域 BLB_L 付近でのこの積分への寄与が大きくなる(=ループが完全には消しきれない)ことがこの式からわかります。熱雑音由来の誤差 1/ρL1/\rho_L と、この発振器位相雑音由来の誤差は独立な雑音源として扱えるため、両者を合算した総合的な追尾位相誤差分散

σϕ,total21ρL+σϕ,osc2\sigma_{\phi,\text{total}}^2 \approx \frac{1}{\rho_L} + \sigma_{\phi,\text{osc}}^2

となります。実務上、ρL\rho_L が十分高い(強い搬送波)場合には σϕ,osc2\sigma_{\phi,\text{osc}}^2 が支配的な誤差要因になり得ることに注意が必要です。すなわち、いくら受信電力が強くても、局部発振器の位相雑音が悪ければ追尾精度には床(フロア)が生じ、ロック閾値だけを見て発振器の質を軽視した設計は破綻します。

高次変調への影響: 信号点の位相回転とシンボル誤り率劣化

局部発振器の位相雑音は、単にPLLの追尾誤差を増やすだけでなく、復調される信号のコンスタレーション(信号点配置)そのものを回転させ、シンボル誤り率(SER)を直接劣化させます。APSK — 高次変調の回で見たとおり、MM-PSKの最近傍シンボル誤り率は、隣接信号点への判定境界までの角度マージン π/M\pi/M を使って

Ps2Q ⁣(2EsN0sinπM)P_s \approx 2\,Q\!\left(\sqrt{\frac{2E_s}{N_0}}\,\sin\frac{\pi}{M}\right)

と近似できました。ここに、局部発振器・PLLの残留位相誤差 θ\theta(前節の σϕ,total2\sigma_{\phi,\text{total}}^2 に由来するランダムな量、あるいは較正されずに残る定常バイアス)が加わると、受信信号点は理想の位置から角度 θ\theta だけ余分に回転します。判定境界までの角度マージンは、回転の方向に応じて片側で π/Mθ\pi/M-\theta に縮み、反対側で π/M+θ\pi/M+\theta に広がるため、シンボル誤り率は

Ps(θ)Q ⁣(2EsN0sin(πMθ))+Q ⁣(2EsN0sin(πM+θ))P_s(\theta) \approx Q\!\left(\sqrt{\frac{2E_s}{N_0}}\,\sin\left(\frac{\pi}{M}-\theta\right)\right) + Q\!\left(\sqrt{\frac{2E_s}{N_0}}\,\sin\left(\frac{\pi}{M}+\theta\right)\right)

と変形されます。Q()Q(\cdot) は下に凸な関数(引数が小さいほど値の増加が急峻)であるため、マージンが縮む側の劣化が広がる側の改善を上回り、平均すると θ=0\theta=0 のときより必ず誤り率が悪化します(イェンセンの不等式)。実際の位相誤差はランダムな量なので、その確率密度 p(θ)p(\theta)(近似的に平均ゼロ、分散 σϕ,total2\sigma_{\phi,\text{total}}^2 のガウス分布とみなせることが多い)で上式を平均した

Psp(θ)[Q ⁣(2EsN0sin(πMθ))+Q ⁣(2EsN0sin(πM+θ))]dθ\langle P_s\rangle \approx \int_{-\infty}^{\infty} p(\theta)\left[Q\!\left(\sqrt{\frac{2E_s}{N_0}}\sin\left(\frac{\pi}{M}-\theta\right)\right)+Q\!\left(\sqrt{\frac{2E_s}{N_0}}\sin\left(\frac{\pi}{M}+\theta\right)\right)\right]d\theta

が実際に観測される平均シンボル誤り率です。ここで着目すべきは、角度マージン π/M\pi/MMM(多値度)の増加とともに単調に縮んでいく点です。BPSK(M=2M=2)では π/M=90°\pi/M=90° という広大なマージンがあるため、数度程度の位相誤差はほとんど無視できます。しかし256APSKや64QAM級の高次変調では π/M\pi/M がわずか数度にまで縮むため、まったく同じ絶対量の位相雑音 σϕ,total\sigma_{\phi,\text{total}} が、桁違いに深刻なSER劣化として現れます。振幅方向にも情報を持つQAM系の変調では、回転による影響はさらに直接的です。信号点 s=Esejθks=\sqrt{E_s}\,e^{j\theta_k} が位相誤差 θ\theta だけ回転すると、小角近似 ejθ1+jθe^{j\theta}\approx1+j\theta の下で

sejθs+jθss\, e^{j\theta} \approx s + j\theta\, s

となり、余分な項 jθsj\theta s が、判定に使う信号軸に対してほぼ直交する方向の加算的な擬似雑音として振る舞います。この擬似雑音の分散は Esσϕ,total2E_s\,\sigma_{\phi,\text{total}}^2 のオーダーであり、これが熱雑音分散 N0/2N_0/2 に単純加算されるとみなせるため、Es/N0E_s/N_0 をいくら大きくしても、この位相雑音由来の項だけは消えない**誤り率のフロア(error floor)**を生み出します。局部発振器の位相雑音仕様が高次変調リンクの上限性能を頭打ちにする、というのがこの物理的なメカニズムです。

実務での使われ方

局部発振器・受信機PLLの位相雑音管理は、高次変調を使う衛星通信・深宇宙通信リンクの実務設計において、以下のような形で組み込まれています。

  • DVB-S2X標準(ETSI EN 302 307-2)の位相雑音マスク。 DVB-S2Xは32APSK・64APSK・128APSK・256APSKといった非常に多値度の高い変調方式を規定しており、これらを実用可能にするために、送受信機の局部発振器が満たすべき位相雑音の上限を、オフセット周波数の関数としての「マスク」(たとえば 11 kHzオフセットで 80-80 dBc/Hz以下、100100 kHzオフセットで 100-100 dBc/Hz以下、といった帯域ごとの仕様)として規格化しています。前節で導いた「MM が大きいほど角度マージンが縮む」という関係が、まさにこのマスクが MM の高い変調方式ほど厳格になる理由です。
  • DSN受信機の局部発振器仕様。 DSNの受信機チェーンでは、ダウンコンバージョンに使う局部発振器の位相雑音が、PLLのループ帯域外の追尾誤差フロアとして直接効いてくるため、DSN Telecommunications Link Design Handbook (810-005) の受信機モジュールに、代表的なオフセット周波数(1010 Hz, 100100 Hz, 11 kHz, 1010 kHz, 100100 kHz など)ごとの位相雑音上限値が規定されています。近年の高次変調(近地球ミッションでのQPSK超の多値変調採用)の広がりに伴い、この仕様はより厳格化される傾向にあります。
  • 位相雑音の測定方法。 実験室レベルでもっとも簡便な測定法は、発振器の出力を直接スペクトラムアナライザに入力し、搬送波ピークから一定のオフセット周波数だけ離れた点の電力レベル(分解能帯域幅で正規化して1Hzあたりに換算)を読み取る直接測定法です。ただし搬送波近傍(数十Hz〜数kHzオフセット)の低い位相雑音を測るには、アナライザ自身の位相雑音や分解能帯域幅の限界が問題になるため、2台の類似発振器を位相比較器(ミキサー)で直交状態に保ちながら差動測定する位相検波法や、遅延線を使った自己相関的手法(delay-line discriminator法)が使われます。Keysight社やRohde & Schwarz社が販売する専用の位相雑音アナライザは、これらの手法を自動化し、L(f)L(f) のログログプロットを直接出力します。
  • 原子時計・USOとの整合性確認。 原子時計とUSOの回で見た水素メーザーのアラン偏差 σy(τ=1000s)1015\sigma_y(\tau{=}1000\,\text{s})\sim10^{-15} のような時間領域の仕様と、位相雑音マスクという周波数領域の仕様は、本稿で導いた Sϕ(f)=(f0/f)2Sy(f)S_\phi(f)=(f_0/f)^2 S_y(f) の変換式を介して相互に整合しているかどうかが検証されます。メーカーの製品仕様書には、アラン偏差プロットと位相雑音プロットの両方が併記されるのが標準的で、これは同じ発振器の同じ物理的不完全性を、2つの異なる切り口から二重にチェックしていることに他なりません。

演習問題

  1. ある発振器の位相雑音が L(f=1kHz)=90L(f=1\,\text{kHz}) = -90 dBc/Hz であったとする。この発振器の f0=8.4f_0=8.4 GHz(Xバンド)における相対周波数雑音スペクトル密度 Sy(f=1kHz)S_y(f=1\,\text{kHz}) を、本文中の変換式 Sϕ(f)=(f0/f)2Sy(f)S_\phi(f)=(f_0/f)^2 S_y(f)L(f)=Sϕ(f)/2\mathcal{L}(f)=S_\phi(f)/2 の関係を使って求めてください(まず Sϕ(f)S_\phi(f) を真数に戻すこと)。
  2. Leesonモデルにおいて、共振器の負荷Q QLQ_L を4倍にすると、1/f21/f^2 領域(ホワイトFM由来)から平坦なフロア領域(ホワイトPM由来)への遷移点となるオフセット周波数 f0/2QLf_0/2Q_L はどう変化するか。この変化が実際の位相雑音プロットの形状にどう現れるか、Leesonの式を使って説明してください。
  3. あるPLLのループ雑音帯域幅が BL=10B_L=10 Hzで、局部発振器の位相雑音が fBLf\ll B_L でおおよそ一定の L(f)60L(f)\approx-60 dBc/Hzだったとする。この発振器の近傍位相雑音は、本文で述べた He(s)H_e(s) のハイパス特性によってループ内でどう扱われるか(抑圧されるか、素通りするか)を、He(s)H_e(s) の低周波極限の振る舞いに触れながら定性的に説明してください。
  4. 256APSK(M=256M=256)とQPSK(M=4M=4)について、それぞれの信号空間における隣接判定境界までの角度マージン π/M\pi/M を度単位で計算し、比較してください。同じ1°(rms)の局部発振器位相雑音があったとき、どちらの変調方式がよりシンボル誤り率の劣化を受けやすいか、本文中の Ps(θ)P_s(\theta) の式の構造(マージンの縮み方)に触れながら論じてください。

まとめと次回予告

この回では、原子時計とUSOの回で学んだアラン分散(時間領域・長期の周波数安定度指標)と対をなす、位相雑音 L(f)L(f)(周波数領域・短期のスペクトル純度指標)を導入しました。Sϕ(f)=(f0/f)2Sy(f)S_\phi(f)=(f_0/f)^2 S_y(f) という変換式を通じて、両者が同じ発振器のゆらぎという物理現象の異なる切り口に過ぎないことを確認し、Leesonモデルによって位相雑音スペクトルの 1/f31/f^31/f21/f^2・フロアという3つの領域が、それぞれフリッカーFM・ホワイトFM・ホワイトPM雑音という、原子時計の回で扱った雑音分類と正確に対応することを見ました。さらに、PLLの誤差伝達関数 He(s)H_e(s) を使って発振器自身の位相雑音がループの追尾誤差にどう伝搬するかを定式化し、その誤差が高次PSK/QAMの信号点回転を通じてシンボル誤り率のフロアを作り出すメカニズムを数式で追いました。

局部発振器の位相雑音という「送受信機側の不完全性」を扱ったところで、次に残るもう一つの大きな不完全性は、送信電力を稼ぐために使われる増幅器(TWTAなど)の非線形性です。APSKの回で軽く触れたAM-AM歪み・AM-PM歪みは、振幅変動の大きい高次変調信号のスペクトルを歪ませ、隣接チャンネルへの干渉(スペクトル再成長)を引き起こします。次回は、この非線形歪みを事前に補償するプリディストーション線形化の技術に軽く触れ、増幅器の非線形性という、位相雑音とはまた別の角度からリンク性能を制約する要因を見ていく予定です。

参考文献

  • D. B. Leeson, “A Simple Model of Feedback Oscillator Noise Spectrum,” Proceedings of the IEEE, vol. 54, no. 2, pp. 329–330 (1966)
  • IEEE Std 1139-2008, IEEE Standard Definitions of Physical Quantities for Fundamental Frequency and Time Metrology
  • J. Rutman, “Characterization of Phase and Frequency Instabilities in Precision Frequency Sources: Fifteen Years of Progress,” Proceedings of the IEEE, vol. 66, no. 9, pp. 1048–1075 (1978)
  • ETSI EN 302 307-2, Digital Video Broadcasting (DVB); Second Generation Framing Structure … (DVB-S2X)
  • J. A. Crawford, Advanced Phase-Lock Techniques, Artech House
  • DSN Telecommunications Link Design Handbook, DSN No. 810-005 (受信機・周波数基準系に関するモジュール)
  • J. G. Proakis, Digital Communications, 5th ed., McGraw-Hill(搬送波位相雑音がM-PSKに与える影響に関する章)