システム・運用#53

中継通信アーキテクチャ — ローバーと周回機が支える2ホップリンク

火星表面のローバーは、なぜ地球と直接大容量通信をしないのか。探査機-地球の直接リンクを前提としてきたこれまでの議論を、周回機を中継点とする2ホップアーキテクチャへ拡張し、リンクバジェットの分割・パス時間制約・Store-and-Forward運用を数式で理解する。

前提知識: dsn

中継通信リンクバジェットStore-and-ForwardUHF帯軌道周回機

この回で学ぶこと

これまでの回では、暗黙のうちに「探査機は自分自身のアンテナで、直接DSNの地上局と通信する」という構図を前提にしてきました。PCM/PSK/PMの変調も、トランスポンダのコヒーレントターンアラウンドも、HGA・MGA・LGAのアンテナ設計も、すべて「探査機↔地球」という1本のリンクを最適化する話でした。

しかし、この前提が成り立たない探査機もたくさんあります。代表例が火星表面のローバーです。火星の重力下に着陸した探査車は、質量・電力・搭載できるアンテナサイズのすべてに厳しい制約があり、HGAを積んだとしても、地球までの数億kmを大容量データで直接結ぶだけの送信電力とアンテナ利得を両方確保するのは容易ではありません。

そこで採用されるのが、周回機(オービタ)を中継点とする2ホップアーキテクチャです。ローバーは近距離の周回機とだけ通信し、周回機がそのデータを地球に転送します。この回では、なぜこの役割分担がリンクバジェットの観点で有利なのかを数式で確認し、さらに中継特有の新しい制約——周回機が可視範囲にいる限られた時間(パス)でしかデータを送れないという時間的な制約——を扱います。これは次々回に学ぶ**DTN(Delay/Disruption Tolerant Networking)**への伏線でもあります。

直感的導入: 遠い相手と近い相手、両方と話す必要はない

DSN概論HGA・MGA・LGAの回で繰り返し見てきたように、リンクの成立しやすさを決める最大の要因の1つは伝搬距離です。自由空間伝搬損失

Lpath(dB)=20log10 ⁣(4πRλ)L_{path}(\text{dB}) = 20\log_{10}\!\left(\frac{4\pi R}{\lambda}\right)

は距離 RR の対数に比例して増えていきます。地球-火星間の距離は、会合ごとに変動しますが平均するとおよそ 2×1082\times10^8 km のオーダーに達し、これはアンテナ理論の基礎G/Tの回で見た「探査機側の送信電力・アンテナ利得には物理的な上限がある」という制約と組み合わさると、小型のローバーが直接この距離を高速回線で結ぶのは原理的に非常に厳しい、ということを意味します。

一方で、火星を周回する探査機(周回機)は、ローバーからわずか数百kmしか離れていません。「遠くて大変な区間」と「近くて楽な区間」を1本のリンクで一気に処理しようとせず、2つの区間に分けて、それぞれを得意な機体に担当させる——これが中継アーキテクチャの基本思想です。

  1. 近距離区間(プロキシミティリンク): ローバー ↔ 周回機。距離は数百km程度。ローバー側は小型・低電力・準無指向性のアンテナで済む。
  2. 長距離区間(ディープスペースリンク): 周回機 ↔ DSN。距離は数億km。周回機側は比較的大きなHGAと十分な送信電力を持ち、これまでの回で学んできた「探査機-地球の直接リンク」と同じ設計思想でこの区間を担当する。

つまり中継アーキテクチャとは、リンクバジェットという1つの計算式を2つに分割し、厳しい方の区間(長距離)を、より重装備な機体(周回機)に肩代わりさせるという設計上のトレードオフなのです。

リンクバジェットを2区間に分割する

この役割分担を定量的に確認しましょう。HGA・MGA・LGAの回で導いたように、達成可能なビットレート RbR_b は次の比例関係に従います(真数表記)。

Rb    PTGTGRLpathTsysR_b \;\propto\; \frac{P_T\, G_T\, G_R}{L_{path}\, T_{sys}}

直接リンク(ローバーが自分で地球と通信する場合)では、この式の PT,GTP_T, G_T はローバー自身の限られた送信機・アンテナが担い、LpathL_{path} は地球-火星間の巨大な距離が担います。

Rb,direct    PT,roverGT,roverGR,DSNLpath,directTsys,DSNR_{b,\text{direct}} \;\propto\; \frac{P_{T,\text{rover}}\, G_{T,\text{rover}}\, G_{R,\text{DSN}}}{L_{path,\text{direct}}\, T_{sys,\text{DSN}}}

中継アーキテクチャでは、このリンクを次の2つの独立なリンクに置き換えます。

Hop 1(近接リンク):Rb,1    PT,roverGT,roverGR,orbiterLpath,1Tsys,orbiter\textbf{Hop 1(近接リンク):}\qquad R_{b,1} \;\propto\; \frac{P_{T,\text{rover}}\, G_{T,\text{rover}}\, G_{R,\text{orbiter}}}{L_{path,1}\, T_{sys,\text{orbiter}}} Hop 2(深宇宙リンク):Rb,2    PT,orbiterGT,orbiterGR,DSNLpath,2Tsys,DSN\textbf{Hop 2(深宇宙リンク):}\qquad R_{b,2} \;\propto\; \frac{P_{T,\text{orbiter}}\, G_{T,\text{orbiter}}\, G_{R,\text{DSN}}}{L_{path,2}\, T_{sys,\text{DSN}}}

ここで本質的に重要なのは、Hop 1とHop 2がそれぞれ独立に「閉じれば」よいという点です。これは中継のやり方に依存します。もし周回機が受信したアナログ信号をそのまま増幅して転送するだけの「ベントパイプ(bent-pipe, 透過型中継)」であれば、Hop 1で乗った雑音がHop 2の雑音に重畳し、全体の雑音は2区間分が累積してしまいます。しかし実際の火星探査における中継運用は、周回機がHop 1の信号を完全に復調・復号してビット列として確定させ、いったんメモリに蓄積してから、Hop 2用に新しく変調し直して送信するという**再生中継(regenerative repeater, decode-and-forward)**方式を取ります。

Hop 1: 復調・復号    ビット列としてバッファに蓄積    Hop 2: 再変調・送信\text{Hop 1: 復調・復号} \;\longrightarrow\; \text{ビット列としてバッファに蓄積} \;\longrightarrow\; \text{Hop 2: 再変調・送信}

この方式では、Hop 1で発生した雑音はHop 1の復号段階で(誤り訂正符号の力を借りて)ほぼ解消されてしまうため、Hop 2に持ち越されません。つまり周回機での「復号し直す」という一手間が、雑音の蓄積を断ち切り、2つのリンクをそれぞれ独立な設計問題として最適化できるようにしているわけです。これがまさに、次章で見る「近距離区間には安いリソースしか要らない」という主張の数学的な土台になります。

距離のご利益: なぜ中継が有利なのか

ではHop 1がどれだけ「楽」になるのかを、具体的な数値で見てみましょう。X帯(λ3.57\lambda\approx3.57 cm)を仮定し、直接リンクの距離を地球-火星間の代表値 Rdirect2.25×108R_{direct}\approx2.25\times10^8 km、近接リンク(ローバー-周回機)の距離を火星低軌道の周回機の典型的なスラントレンジ R1400R_1\approx400 km とします。

ΔLpath(dB)=20log10 ⁣(RdirectR1)=20log10 ⁣(2.25×108400)=20log10(5.6×105)115 dB\Delta L_{path}(\text{dB}) = 20\log_{10}\!\left(\frac{R_{direct}}{R_1}\right) = 20\log_{10}\!\left(\frac{2.25\times10^8}{400}\right) = 20\log_{10}(5.6\times10^5) \approx 115\ \text{dB}

同じ周波数帯で比べただけでも、近接リンクの伝搬損失は直接リンクよりおよそ115 dBも小さい。 これは電力比にして 1011.53×101110^{11.5}\approx3\times10^{11} 倍という、想像を絶する差です。この巨大な余剰マージンをどう使うかが、中継アーキテクチャの設計の核心になります。

そのまま額面通りに使えば、Hop 1では115 dB分もデータレートを跳ね上げられる計算になりますが、実際にはそんな極端な高速化は行われません。理由は単純で、(1) ローバー自身が生成する科学データの量には上限があり、そこまで速いレートは不要であること、(2) 受信機の復調帯域や周回機側の処理能力にも実装上の上限があることです。実務上この余剰マージンは、データレートを極限まで追求する代わりに、送信電力とアンテナの要求を大幅に緩和する方向に使われます。

具体的には、ローバー側の送信機は数W〜十数W程度の低電力で足り、アンテナも指向性を持たない準無指向性アンテナ(UHF帯のクアドリファイラヘリカルやモノポールなど)で構いません。これはHGA・MGA・LGAの回で見た「姿勢が不定でも使えるLGA」の発想とよく似ていますが、中継の場合はさらに徹底していて、ローバーは周回機がどの方向にいるかを精密に把握して指向する必要すらなく、準無指向性アンテナのまま周回機のパスを待てばよいのです。指向精度の要求が実質的に消えるということは、アンテナ自動追尾で見たような複雑な追尾機構を、少なくともローバー側では持たなくてよいということでもあります。

Hop 2は「いつもの」深宇宙リンク

一方Hop 2(周回機↔DSN)は、距離のスケールも要求される数式も、これまでの回で扱ってきた「探査機-地球の直接リンク」とまったく同じ物理です。周回機は比較的大きなHGA(口径1〜3m程度、X帯やKa帯)と、TWTA(進行波管増幅器、クライストロンとTWTAの回を参照)による十分な送信電力を持ち、DSNの34m・70mアンテナと直接向き合います。つまり中継アーキテクチャの本質は、**「地球までの厳しい長距離区間を、より重装備な機体(周回機)に集約する」**ことにあり、Hop 2の設計そのものに新しい物理は何も加わりません。周回機は、いわば「ローバーの代わりに地球と話す、もう1機の深宇宙探査機」として振る舞っているだけです。

この役割分担を式で要約すると、次のようになります。

PT,rover, GT,roverローバー: 低電力・準無指向性  +  Lpath,1近距離ゆえ小さい    Rb,1 を確保\underbrace{P_{T,\text{rover}}\downarrow,\ G_{T,\text{rover}}\downarrow}_{\text{ローバー: 低電力・準無指向性}} \;+\; \underbrace{L_{path,1}\downarrow}_{\text{近距離ゆえ小さい}} \;\Longrightarrow\; R_{b,1}\ \text{を確保} PT,orbiter, GT,orbiter周回機: 相応の電力・HGA  +  Lpath,2長距離ゆえ大きい    Rb,2 を確保\underbrace{P_{T,\text{orbiter}}\uparrow,\ G_{T,\text{orbiter}}\uparrow}_{\text{周回機: 相応の電力・HGA}} \;+\; \underbrace{L_{path,2}\uparrow}_{\text{長距離ゆえ大きい}} \;\Longrightarrow\; R_{b,2}\ \text{を確保}

直接リンクでは1機がこの両方を(不可能に近い妥協で)同時に満たさなければならなかったのに対し、中継アーキテクチャでは2機の異なる機体がそれぞれ得意な側だけを担当すればよくなる——これが「なぜ中継が有利か」という問いに対する、リンクバジェット上の答えです。

タイミング制約: パスとStore-and-Forwardの必然性

ここまでは電力・利得・距離という「リンクが閉じるかどうか」の話でしたが、中継アーキテクチャにはもう1つ、直接リンクにはなかった新しい制約が加わります。それは時間です。

火星を周回する周回機は、地球を周回する衛星と同じく、常にローバーの上空にいるわけではありません。低軌道(高度300〜400km程度)を周期的に周回しているため、ローバーから見て周回機が地平線の上に現れ、電波の届く範囲(可視範囲)に入っているのは、1周回のうちのごく一部の時間帯に限られます。この時間帯を**パス(pass)**と呼びます。

周回機の軌道周期を TorbitT_{orbit}、1回のパスでローバーの上空にとどまる時間を TpassT_{pass} とすると、典型的な火星周回機(高度300〜400km級、周期 Torbit112T_{orbit}\approx112分程度)では、TpassT_{pass} はせいぜい数分〜10分程度にしかなりません。しかも同じ周回機が1火星日(ソル、約24.7時間)のうちに同じローバー上空を通過できる回数は、軌道の関係でごく限られています(典型的には1〜数回程度)。

つまり、Hop 1のリンクは「常に開いている」わけではなく、1日のうちのごく限られた時間帯にしか成立しません。 これに対しローバー自身は、探査活動(掘削・撮影・分析)によって、パスとパスの間の時間も含めて絶え間なくデータを生成し続けています。この「データはいつでも生まれるが、送れるのは一部の時間帯だけ」というミスマッチを埋めるために必要になるのが、**Store-and-Forward(蓄積転送)**という運用方式です。

データ生成(常時)    機上メモリに蓄積(Store)    パス到来時に一括送信(Forward)\text{データ生成(常時)} \;\longrightarrow\; \text{機上メモリに蓄積(Store)} \;\longrightarrow\; \text{パス到来時に一括送信(Forward)}

ローバーは日中の探査活動で得たデータをいったん機上のフラッシュメモリに溜め込み、周回機のパスが来た瞬間にまとめて送信します。データ生成量と転送可能量のバランスを崩さないためには、次の不等式がおおよそ成り立っている必要があります。

RgenTsol    iRb,1Tpass,iR_{gen}\, T_{sol} \;\lesssim\; \sum_{i} R_{b,1}\, T_{pass,i}

左辺は1ソルあたりに生成されるデータ量、右辺はその日のすべてのパス(ii 番目のパスの継続時間 Tpass,iT_{pass,i})で実際に転送できるデータ量の合計です。もしこの不等式が破れれば、機上メモリは日に日に埋まっていき、いずれ古いデータを消去せざるを得なくなります。

さらに厳密に言えば、周回機自身も同じ制約を抱えています。周回機がローバーからデータを受け取れる時間帯(ローバーとのパス)と、周回機が地球(DSN)にそのデータを送り返せる時間帯(DSNとのパス)は、一般には一致しません。したがって周回機もまた、ローバーから受け取ったデータをいったん自身のメモリに蓄積し、DSNとのパスが来るのを待って転送する、もう1段のStore-and-Forwardを行っています。つまり実際のデータの旅は「ローバー → (蓄積) → 周回機 → (蓄積) → DSN」という、2段階の蓄積転送のリレーになっているのです。

このように、限られた接続時間の中で、いつ・どこにデータを蓄積し、いつ転送するかをネットワーク全体で管理するという問題は、単なるリンクバジェットの計算だけでは扱いきれません。この問題を正式に体系化したものが、次々回に扱う DTN(Delay/Disruption Tolerant Networking, 遅延耐性ネットワーキング) です。DTNは、地上のインターネットが前提とする「送信元から宛先まで、常にエンドツーエンドの経路がつながっている」という仮定が成り立たない環境——まさにこの中継アーキテクチャのような、接続が間欠的にしか得られない環境——のために設計された通信アーキテクチャです。今回見たStore-and-Forwardの素朴な運用は、DTNが解決しようとしている問題の最も直感的な入り口だと言えます。

実務での使われ方

火星探査における周回機中継

現在の火星探査では、地表のローバー・着陸機のデータの大部分が、周回機経由で地球に届けられています。NASA/JPLの**マーズ・リコネッサンス・オービター(MRO)は、Electraと呼ばれる中継専用の無線機を搭載しており、UHF帯(390〜450MHz帯)でCuriosityやPerseveranceといったローバーと交信します。同様に2001マーズ・オデッセイ(Mars Odyssey)も長年にわたり中継業務を担ってきましたし、ESA/ロスコスモスのトレース・ガス・オービター(TGO)**も中継能力を備え、複数機関の周回機が協調して火星表面ミッションの中継需要を支えています。

ローバー側から見ると、UHF帯の準無指向性アンテナと十数W級の送信機だけで、周回機のパスが来た数分〜十数分の間に、数百kbps〜2Mbps程度のオーダーのデータレートを実現できます。これに対し、ローバーが自身のX帯HGAを使って直接DSNと交信する経路(直接リンク、DTE: Direct-to-Earthとも呼ばれます)も残されてはいますが、実現できるデータレートはせいぜい数百bps〜数十kbps程度にとどまり、もっぱらコマンドのアップリンクや、周回機が使えない非常時のダウンリンクのバックアップとして温存されています。科学データの大部分を中継リンクが、生存確認や低速コマンドを直接リンクが担うという役割分担は、この回で見た「近距離区間には楽をさせ、長距離区間は重装備な機体に任せる」という設計思想そのものの実例です。

この中継運用の物理層・データリンク層は、CCSDSのProximity-1 Space Link Protocol(CCSDS 211.0-B、211.2-Bなど)という国際標準によって規定されています。異なる国のミッション(NASAのローバーとESAの周回機、あるいはその逆)が同じ標準に準拠することで、「どの周回機がどのローバーの中継を代行してもよい」という相互運用性(インターオペラビリティ)が保たれています。これはDSN概論で扱ったクロスサポート協定の考え方が、地上局間だけでなく火星周回機とローバーの間にまで拡張された姿だと言えます。

地球周回のTDRS: 同じ発想の別の実装

似た発想は火星に限った話ではありません。地球を周回する低軌道衛星(ISS、ハッブル宇宙望遠鏡など)も、火星のローバーとまったく同じ問題を抱えています。低軌道衛星は地上のたった1つの地点から見ると、1周回(約90分)のうちのわずか数分〜十数分しか可視範囲に入らず、地上局を1か所だけに固定するのでは、ほぼ常時通信を維持できません。

NASAはこの問題に対し、静止軌道(高度約36,000km)にTDRS(Tracking and Data Relay Satellite, 追跡・データ中継衛星)の constellation(コンステレーション)を配置するという、まさに中継アーキテクチャで解決しています。低軌道衛星はS帯・Ku帯・Ka帯でTDRSと交信し、TDRSはそのデータをホワイトサンズ(ニューメキシコ州)の地上局に転送します。静止軌道上のTDRSは(地球の自転と同じ角速度で回っているため)地上から見て常に同じ位置に留まり、なおかつ広い範囲の低軌道を見渡せるため、複数のTDRSを適切に配置すれば、低軌道衛星はほぼ常時どれか1機のTDRSと交信できます。これは、火星の複数の周回機がローバーの上空をリレーしながらカバーするのと、幾何学的な規模こそ違え、「直接届きにくい相手との通信を、より都合の良い場所にいる中継機に肩代わりさせる」という同じ設計思想の別実装です。

月探査における次世代の中継アーキテクチャ: LunaNet

近年本格化している月探査でも、同様の中継アーキテクチャの構築が進んでいます。NASAが提唱するLunaNet構想は、月を周回する複数の中継衛星と、月面の探査機・有人拠点、そして地球のDSNを結ぶ、インターネットに似た階層型の通信・測位アーキテクチャです。ESAのMoonlight計画やJAXAの取り組みとも連携しながら、複数の中継衛星と複数の月面ミッションが相互運用可能な形で通信インフラを共有することが目指されています。月の場合、月面から見て中継衛星が見えない時間帯(月の裏側にいる、あるいは地平線の下にいる)が周期的に発生するため、この回で見たStore-and-Forwardの必要性はむしろ火星以上に本質的で、LunaNetの設計にはDTN的な考え方が正式に組み込まれる見込みです。この点についても、次々回のDTNのレッスンで改めて触れます。

演習問題

  1. X帯(λ3.57\lambda\approx3.57 cm)を仮定し、地球-火星間の代表距離 Rdirect=2.25×108R_{direct}=2.25\times10^8 km と、火星周回機-ローバー間の代表距離 R1=400R_1=400 km について、自由空間伝搬損失の差 ΔLpath=20log10(Rdirect/R1)\Delta L_{path}=20\log_{10}(R_{direct}/R_1) を計算せよ。本文中の115 dBという値と一致することを確認し、これが電力比にしておよそ何倍に相当するかも求めよ。

  2. ある周回機の軌道周期を Torbit=112T_{orbit}=112 分、1回のパスでローバー上空にとどまる時間を Tpass=8T_{pass}=8 分、1ソル(24.7時間)あたりのパス回数を2回とする。この周回機を使ったHop 1のリンクで達成可能なデータレートを Rb,1=2R_{b,1}=2 Mbps とするとき、1ソルで転送できる総データ量(Mbit)を求めよ。ローバーが1ソルあたり250 Mbitのデータを生成するとして、この中継能力で足りるかどうかを判定し、余裕がどの程度あるか議論せよ。

  3. ローバーのX帯HGAの利得を GT=25G_{T}=25 dBi、送信電力を PT=15P_T=15 W(11.8\approx11.8 dBW)、DSN 34m級アンテナの G/T45G/T\approx45 dB/K、地球-火星間の伝搬損失を Lpath=278L_{path}=278 dB、要求 Eb/N0=2E_b/N_0=2 dB とする。リンクバジェット式 C/N0[dB-Hz]=EIRPLpath+G/TkC/N_0[\text{dB-Hz}] = EIRP - L_{path} + G/T - k(ただし k=228.6k=-228.6 dBW/Hz/K)を用いて、直接リンクで達成可能なデータレート RbR_b を求めよ。問2で得た中継リンクのデータレートと比較し、両者の差が何桁におよぶか述べよ。

  4. なぜ火星探査における周回機中継は、Hop 1で受信した信号をそのまま増幅して転送する「ベントパイプ」方式ではなく、いったん完全に復調・復号してから再送信する「再生中継(decode-and-forward)」方式を採用しているのか。雑音の蓄積という観点から、本文の議論を踏まえて自分の言葉で説明せよ。

まとめと次回予告

中継通信アーキテクチャは、探査機-地球間の直接リンクという1つの厳しい制約を、「近距離・低装備でよいHop 1」と「長距離・重装備が必要なHop 2」という2つの独立な問題に分割する設計です。この分割によって、ローバーのような小型で電力に乏しい機体は準無指向性アンテナと低電力送信機だけで済み、地球までの厳しい距離は周回機という、より大きなHGAと送信電力を持つ機体に肩代わりさせることができます。再生中継(decode-and-forward)によって2つのリンクの雑音が独立に扱えることも、この分割を数式的に正当化する重要な要素でした。同時に、周回機のパスという限られた時間帯でしかデータを送れないという新しい制約が生まれ、これに対応するStore-and-Forwardという運用が必要になることも見ました。

次回は、この回では周回機・DSNいずれも単一のアンテナを前提としてきましたが、実際にはDSN概論でも触れたように、複数のアンテナを電気的に組み合わせて1つの巨大な開口として振る舞わせる**アレイ合成(antenna arraying)**という手法があります。複数の34mアンテナを束ねてボイジャーのような極めて微弱な信号を受信する仕組みを、位相合わせの数式とともに見ていきます。

参考文献

  • CCSDS 211.0-B, Proximity-1 Space Link Protocol—Data Link Layer
  • CCSDS 211.2-B, Proximity-1 Space Link Protocol—Coding and Synchronization Sublayer
  • C. D. Edwards Jr. et al., “Relay Communications Strategies for Mars Exploration through 2020,” Acta Astronautica, and related JPL mission papers on Mars relay operations (MRO Electra, Mars Odyssey)
  • DSN Telecommunications Link Design Handbook, DSN No. 810-005
  • J. H. Yuen (ed.), Deep Space Telecommunications Systems Engineering, JPL Publication 82-76
  • NASA, LunaNet Interoperability Specification(月面通信・測位アーキテクチャに関する公式資料)
  • J. R. Wertz, D. F. Everett, J. J. Puschell (eds.), Space Mission Engineering: The New SMAD