測距・追跡#33

原子時計とUSO — アラン分散で読み解く周波数安定度の限界

コヒーレントドップラーの精度は地上局の水素メーザーに、ノンコヒーレントドップラーは探査機搭載USOの安定度に頭打ちになる。周波数安定度を定量化するアラン分散の定義と、ホワイトノイズ・フリッカーノイズ・ランダムウォークがログログプロット上に描く傾きを通じて、「安定な周波数基準」という前提そのものを数式で掘り下げる。

前提知識: transponder

アラン分散周波数安定度USO水素メーザー原子時計

この回で学ぶこと

これまでの回では、「地上局は超高安定な周波数基準を持っている」「探査機はUSO(Ultra-Stable Oscillator)という自前の発振器を積んでいる」という事実を、いわば所与の前提として使ってきました。トランスポンダの回で見た通り、コヒーレント(Two-way/Three-way)ドップラーは地上局の水素メーザーの精度をそのまま速度計測に持ち込める一方、ノンコヒーレント(One-way)ドップラーは探査機搭載USOの安定度で頭打ちになり、両者には2桁ほどの精度差があると述べました。

しかし、そもそも「安定な周波数基準」とは何を指すのでしょうか。発振器は原理的に、真に一定の周波数を出し続けることはできません。水晶の熱ドリフト、原子遷移のわずかな摂動、電子回路の1/f雑音——あらゆる発振器の出力周波数は、短期的にも長期的にもゆらぎ続けています。問題は「どれだけゆらぐか」を定量化する物差しであり、そしてそのゆらぎ方には、単純な統計的分散では捉えきれない厄介な性質があります。

この回では、周波数安定度を扱う際の標準的な指標である**アラン分散(Allan variance)**を導入し、なぜ普通の分散ではなく特殊な差分二乗平均を使うのかを数式で理解します。そのうえで、水素メーザーとUSOという2種類の発振器が実際にどれほどの安定度を持ち、それがドップラー計測精度にどう伝わるのかを、これまでの回で使ってきた数値と照らし合わせながら定量的に確認します。今回学ぶ内容は、新しい信号処理の話というより、これまで暗黙の前提としてきた「基準の精度」そのものの正体を明らかにする回だと言えます。

直感的な全体像

なぜ「発振器の周波数のばらつき」を測るのに、普通の統計学で習う分散をそのまま使わないのでしょうか。まず直感的な例で考えてみましょう。

ある発振器の瞬時周波数を長時間サンプリングし、その値の集合に対して素朴に標準偏差を計算したとします。もし発振器の周波数が完全にランダムに(平均値の周りで)ばらついているだけなら、これでも問題ありません。しかし実際の発振器には、周波数が時間とともにじわじわと一方向にずれていくドリフトという成分が必ず存在します。水晶発振器なら経年劣化や温度変化によるゆっくりとした周波数の移動、原子時計でも長期的な装置特性の変化による緩やかなシフトがあります。

このドリフト成分がある系列に素朴な分散を計算すると、困ったことが起こります。観測時間を長く取れば取るほど、ドリフトによって周波数が動く範囲が広がり、分散はどこまでも増加し続けてしまいます。つまり通常の分散は、こうした非定常(non-stationary) な過程に対しては発散してしまい、「この発振器はどれくらい安定か」という一つの有限な数値として答えを出せないのです。

そこでDavid W. Allanが1966年に提案したのが、隣り合う2つの区間の平均周波数の「差」を取ってから2乗平均するという工夫です。ドリフトのようにゆっくり変化する成分は、隣接する2区間ではほぼ同じ値を取るため、差を取ることでその大部分が打ち消されます。残るのは短期的な真のゆらぎ(雑音)の寄与だけになり、これなら観測時間を伸ばしても発散せず、有限な値に収束します。「ある時刻の値そのもの」ではなく「隣り合う2つの値の差」に着目するという発想は、電気回路のリップル除去やデータの階差系列を取る統計処理とも通じる、非定常性を手なずけるための古典的な知恵です。

数式による定式化

アラン分散の定義

発振器の瞬時角周波数を ω(t)=ω0+δω(t)\omega(t) = \omega_0 + \delta\omega(t) とし、公称周波数 ω0=2πf0\omega_0 = 2\pi f_0 からのずれ δω(t)\delta\omega(t) を考えます。実務上は角周波数よりも、正規化した相対周波数偏差

y(t)δω(t)ω0=f(t)f0f0y(t) \equiv \frac{\delta\omega(t)}{\omega_0} = \frac{f(t) - f_0}{f_0}

を使うのが慣例です。y(t)y(t) は無次元量で、たとえば y=1013y = 10^{-13} は「公称周波数から 101310^{-13} 倍だけずれている」ことを意味します。

観測時間を長さ τ\tau の区間に区切り、nn 番目の区間での平均相対周波数偏差を

yˉn1τtntn+τy(t)dt\bar y_n \equiv \frac{1}{\tau}\int_{t_n}^{t_n+\tau} y(t)\, dt

と定義します。このとき、アラン分散は隣り合う2区間の平均周波数の差の2乗を、系列全体にわたってアンサンブル平均したものとして定義されます。

σy2(τ)12(yˉn+1yˉn)2\sigma_y^2(\tau) \equiv \frac{1}{2}\left\langle (\bar y_{n+1} - \bar y_n)^2 \right\rangle

先頭に 1/21/2 が付くのは、yˉn+1\bar y_{n+1}yˉn\bar y_n がともに(理想的なホワイト位相雑音のもとで)独立で等しい分散 σ2\sigma^2 を持つ場合、その差の分散は 2σ22\sigma^2 になるため、1/21/2 を掛けることでアラン分散が「1区間あたりの分散」と同じスケールに正規化される、という設計になっています。実際の測定では有限個のデータ点 yˉ1,yˉ2,,yˉN\bar y_1, \bar y_2, \dots, \bar y_N から

σy2(τ)12(N1)n=1N1(yˉn+1yˉn)2\sigma_y^2(\tau) \approx \frac{1}{2(N-1)}\sum_{n=1}^{N-1} (\bar y_{n+1} - \bar y_n)^2

として推定します。この平方根 σy(τ)\sigma_y(\tau) を**アラン偏差(Allan deviation)**と呼び、発振器のデータシートやDSN文書ではこちらの表記(無次元の σy\sigma_y、たとえば「σy(τ=1s)1013\sigma_y(\tau=1\text{s}) \sim 10^{-13}」)がよく使われます。

重要なのは、σy2(τ)\sigma_y^2(\tau)観測時間(積分時間)τ\tau の関数として定義されている点です。同じ発振器でも、τ=1\tau=1 秒でのアラン偏差と τ=1000\tau=1000 秒でのアラン偏差はまったく違う値になり得ます。これは通常の分散にはない大きな特徴で、次節で見る雑音の種類ごとの τ\tau 依存性こそが、アラン分散という指標の本質的な情報を担っています。

なぜ通常の分散ではなく差分二乗平均なのか

前節の直感を数式で確認しましょう。仮に相対周波数偏差 y(t)y(t) に、一定のドリフト率 DD による線形ドリフト成分 ydrift(t)=Dty_{\text{drift}}(t) = D\cdot t が乗っているとします。この成分だけを取り出して通常の分散(サンプル分散)を計算すると、観測窓の長さを TT とするとき、分散はおおよそ T2T^2 のオーダーで増加し、TT\to\infty で発散してしまいます。長時間平均すればするほど発振器が「不安定に見えてしまう」わけで、これでは発振器固有の短期安定度を評価する指標として使い物になりません。

一方、アラン分散の定義に現れる差分 yˉn+1yˉn\bar y_{n+1} - \bar y_n にこの線形ドリフト成分を代入すると、

yˉn+1,driftyˉn,drift=D[(tn+3τ2)(tn+τ2)]=Dτ\bar y_{n+1,\text{drift}} - \bar y_{n,\text{drift}} = D\cdot\left[\left(t_n + \frac{3\tau}{2}\right) - \left(t_n + \frac{\tau}{2}\right)\right] = D\tau

となり、隣接区間の時刻差 τ\tau に比例した有限で一定な値にしかなりません(区間番号 nn に依存しない)。つまり線形ドリフトはアラン分散に対して、τ\tau に応じて緩やかに増加する寄与(D2τ2\propto D^2\tau^2、後述のランダムウォークとは異なる決定論的な寄与)を与えるだけで、観測時間を無限に伸ばしても発散はしません。この非発散性こそが、Allanが「差を取ってから2乗平均する」という操作を選んだ理由です。数学的に言えば、通常の分散が「サンプル平均からの偏差」という定義上、非定常過程(平均自体が時間とともに動く過程)に対して原理的に破綻するのに対し、アラン分散は「隣接区間同士の差」という2階差分的な操作によって、緩やかなトレンド成分への感度を抑えつつ、真に短期的なゆらぎの大きさだけを抽出する仕組みになっているのです。

雑音タイプとログログ傾きの分類

発振器の位相・周波数雑音は、その物理的起源に応じて複数のタイプに分類され、それぞれがアラン分散のログログプロット(logσy2(τ)\log\sigma_y^2(\tau) vs logτ\log\tau、あるいは logσy(τ)\log\sigma_y(\tau) vs logτ\log\tau)上で異なる傾きの直線として現れます。これは周波数安定度解析における最も基本的な診断ツールであり、パワースペクトル密度 Sy(f)fαS_y(f) \propto f^{\alpha} の指数 α\alpha と、アラン分散の τ\tau 依存性 σy2(τ)τμ\sigma_y^2(\tau) \propto \tau^{\mu} の指数 μ\mu との対応関係として整理されます。代表的な3つの雑音タイプを見てみましょう。

ホワイト周波数雑音(White Frequency Noise)。 各時刻の瞬時周波数偏差が、時間的に相関を持たない独立な確率変数として揺らぐ雑音です(Sy(f)f0S_y(f) \propto f^0)。区間平均 yˉn\bar y_n を取る操作自体が一種のローパス平滑化として働くため、区間長 τ\tau を長く取るほど平均化によって揺らぎが小さくなります。統計学の基本(独立な確率変数の平均の分散は個数に反比例)から、

σy2(τ)τ1\sigma_y^2(\tau) \propto \tau^{-1}

という関係になります。ログログプロット上では傾き 1-1 の直線です。積分時間を伸ばせば伸ばすほど安定度が向上する、もっとも「素直」な雑音であり、多くの高品質発振器では短い τ\tau の領域でこの振る舞いが支配的です。

フリッカー周波数雑音(Flicker Frequency Noise)。 いわゆる 1/f1/f 雑音で、パワースペクトル密度が Sy(f)f1S_y(f) \propto f^{-1} となる雑音です。電子デバイスや原子の内部状態の緩和過程など、多くの物理系に普遍的に現れる雑音成分で、その起源は単一のメカニズムに還元できない場合が多いことで知られています。この雑音のアラン分散は τ\tau に依存しない、

σy2(τ)τ0\sigma_y^2(\tau) \propto \tau^{0}

という性質を持ちます。ログログプロット上では傾き 00、つまり水平線です。積分時間を伸ばしても縮めても安定度が変わらないという、ある意味で発振器の「地力」を示す領域であり、高性能な原子周波数標準ではこのフリッカーフロアが安定度の下限を事実上決定づけることが多くあります。

ランダムウォーク周波数雑音(Random Walk Frequency Noise)。 周波数そのものが、各瞬間にランダムな微小変化を積算していく(ブラウン運動的な)過程です(Sy(f)f2S_y(f) \propto f^{-2})。周波数のランダムウォークは位置のランダムウォークと同じ数学的構造を持ち、その分散は経過時間に比例して増加するため、

σy2(τ)τ1\sigma_y^2(\tau) \propto \tau^{1}

となります。ログログプロット上では傾き +1+1 の直線です。この成分は主に、発振器を構成する物理系(水晶の機械的特性、原子時計のセル内環境など)の長期的な環境変動(温度・磁場・振動など)に起因し、積分時間を伸ばすほど安定度がかえって悪化していく領域を作ります。

これら3タイプ(および他に、位相雑音起源のホワイト位相雑音 τ2\tau^{-2}、フリッカー位相雑音 τ2\tau^{-2}〔対数補正付き〕なども含む、より詳細な5〜6分類が標準的に使われますが、本質を掴む上では上記3つが中心です)を重ね合わせると、実際の発振器のアラン偏差プロットは、短い τ\tau ではホワイト周波数雑音の傾き 1/2-1/2(アラン偏差 σy(τ)\sigma_y(\tau) で見ると分散の平方根なので傾きは半分になることに注意)で下降し、中間の τ\tau でフリッカーフロアに達して水平になり、長い τ\tau でランダムウォークの傾き +1/2+1/2 で再び上昇する、という**U字型(bathtub curve)**の概形を描くのが典型的です。この最小値を与える τ\tau が、その発振器にとって「もっとも安定度が良くなる積分時間」であり、実務上の運用設計(たとえばドップラーカウント時間 TcT_c の選定)に直結する重要な情報になります。

水素メーザーとUSOの安定度比較

以上の枠組みを使って、トランスポンダの回で触れた地上局とUSOの安定度の桁差を、より定量的に確認しましょう。

地上局の水素メーザー(Hydrogen Maser)周波数標準は、水素原子の超微細構造遷移(基底状態のハイパーファイン分裂、周波数 1.420\approx 1.420 GHz)を利用した受動的な原子周波数標準です。水素原子集団を共振空洞(メーザー空洞)内に閉じ込め、原子の自然な遷移周波数そのものを参照することで、電子回路由来の雑音に頼らない極めて安定な基準を作り出します。水素メーザーのアラン偏差は、典型的に積分時間 τ1000\tau \sim 1000 秒のあたりで最良値を取り、

σy(τ=1000s)1015\sigma_y(\tau=1000\,\text{s}) \sim 10^{-15}

程度に達します。DSN(Deep Space Network)の各局はこの水素メーザーを局内の周波数・時刻基準系(Frequency and Timing Subsystem)の心臓部として運用しており、トランスポンダの回で見たコヒーレント(Two-way/Three-way)ドップラーの精度は、この水素メーザーの安定度によって最終的に律速されています。

一方、探査機搭載の**USO(Ultra-Stable Oscillator)**は、多くの場合、温度補償・恒温槽制御された高品質の水晶発振器をベースとし(より高精度な要求があるミッションではルビジウム発振器を使う例もある)、水素メーザーのような原子遷移そのものを参照する構成に比べると原理的に見劣りします。USOのアラン偏差は、水晶発振器のもっとも安定な積分時間帯(τ1\tau \sim 1100100 秒程度)で

σy(τ)1013\sigma_y(\tau) \sim 10^{-13}

程度であり、水素メーザーに比べておおよそ2桁劣ることが確認できます。これがトランスポンダの回で「地上局の水素メーザーより2桁ほど劣ります」と述べた数値の、アラン分散という物差しに基づく定量的な根拠です。

安定度からドップラー速度精度への伝搬

トランスポンダの回で導いた通り、One-wayドップラーの速度計測誤差は、基準発振器の相対周波数安定度にほぼ比例する関係 σvcσy\sigma_v \sim c\,\sigma_y で近似できます。ここでの σy\sigma_y にアラン偏差を代入することで、より具体的な数値評価が可能になります。

積分時間 τ=100\tau = 100 s におけるUSOのアラン偏差を σy(τ=100s)1×1013\sigma_y(\tau=100\,\text{s}) \approx 1\times10^{-13} とすると、One-wayドップラーの速度計測誤差は

σvcσy=(3×108 m/s)×(1×1013)=3×105 m/s=30 μm/s\sigma_v \sim c\,\sigma_y = (3\times10^8\ \text{m/s}) \times (1\times10^{-13}) = 3\times10^{-5}\ \text{m/s} = 30\ \mu\text{m/s}

程度と見積もられます。一方、同じ積分時間で水素メーザーのアラン偏差 σy(τ=100s)\sigma_y(\tau=100\,\text{s}) は(最良値に達する τ1000\tau\sim1000 sよりは短いため多少悪化するものの)おおよそ 101410^{-14}101510^{-15} のオーダーに留まり、対応する速度誤差は

σvcσy(3×108)×(101415)3×1063×107 m/s=3 μm/s–0.3 μm/s\sigma_v \sim c\,\sigma_y \sim (3\times10^8) \times (10^{-14\text{–}15}) \sim 3\times10^{-6}\text{–}3\times10^{-7}\ \text{m/s} = 3\ \mu\text{m/s} \text{–} 0.3\ \mu\text{m/s}

となります。これは、トランスポンダの回でPLLのループSNRから導いたTwo-wayドップラーの速度精度(σv4.7 μm/s\sigma_v \approx 4.7\ \mu\text{m/s}Tc=60T_c=60 s、ρL=20\rho_L=20 dBの条件下)とオーダー的に整合する数字であり、実際のTwo-wayドップラー精度が、PLLの追尾誤差と基準発振器の周波数安定度という2つの誤差要因のうち、多くの運用条件下ではPLLループSNR起源の誤差が支配的になる(発振器由来の誤差はそれよりさらに小さい)ことを示唆しています。逆にOne-wayモードでは、USOのアラン偏差由来の誤差(数十μm/s)がPLLのループSNR由来の誤差を上回り、速度計測精度全体を頭打ちにする支配的要因になります。これが「Two-way ≫ One-way」という精度の序列の、周波数安定度という観点からの定量的な裏付けです。

実務での使われ方

原子時計とUSOの安定度管理は、深宇宙ミッションの根幹インフラとして、以下のような形で運用に組み込まれています。

  • DSN各局の周波数・時刻基準系(FTS) では、複数台の水素メーザー(通常は運用機と予備機を含め局あたり2〜3台程度)を常時稼働させ、相互比較によって個々のメーザーの経年ドリフトや異常を監視しています。DSN Telecommunications Link Design Handbook (810-005) の周波数基準系に関するモジュールに、要求されるアラン偏差の仕様と較正手順が規定されています。
  • GPS衛星やGalileo衛星にもルビジウム原子時計やセシウム原子時計、水素メーザー(GalileoのPHM: Passive Hydrogen Maser)が搭載されており、深宇宙探査とは別の文脈(測位)でも同種のアラン分散に基づく安定度評価が標準的に使われています。
  • カッシーニ探査機ジュノー探査機などの重力科学ミッションでは、探査機搭載USOの安定度そのものが、太陽系天体の重力場を精密に決定する際の観測精度の下限を与えるため、ミッション設計段階でUSOのアラン偏差スペックが詳細に検討されます。
  • 探査機が太陽合(地球から見て探査機が太陽の向こう側に入り、電波が太陽コロナで激しく乱される時期)に入り、コヒーレントロックの維持が困難になる局面では、探査機はOne-wayモードに切り替わり、USOを唯一の周波数基準としてダウンリンクを送信し続けます。この間の軌道決定精度は事実上USOのアラン偏差で決まるため、合の前後にはミッション運用チームがUSOの温度環境や経年劣化データを見直し、モードの切り替えタイミングを慎重に計画します。
  • 周波数標準メーカー(Microsemi、Vremya-CH、Spectratimeなど)が公開する水素メーザー・USOの製品仕様書には、必ずアラン偏差のログログプロットが掲載されており、τ=1\tau=1 s、τ=100\tau=100 s、τ=1\tau=1 dayなど代表的な積分時間での数値が製品比較の標準的な指標として使われています。IEEE Std 1139には、これらの周波数安定度指標(アラン分散を含む)の定義と測定手法が国際標準として規定されています。

演習問題

  1. ある発振器の相対周波数偏差の区間平均を100秒ごとに10個測定したところ、隣接する区間同士の差 yˉn+1yˉn\bar y_{n+1}-\bar y_n の2乗の平均値が (Δyˉ)2=8×1028\overline{(\Delta \bar y)^2} = 8\times10^{-28} であった。この発振器の τ=100\tau=100 秒におけるアラン分散 σy2(τ)\sigma_y^2(\tau) とアラン偏差 σy(τ)\sigma_y(\tau) を求めてください。
  2. ある発振器のアラン偏差が、τ=1\tau=1 sでσy=5×1012\sigma_y=5\times10^{-12}τ=100\tau=100 sでσy=5×1013\sigma_y=5\times10^{-13} であったとする。この τ\tau の範囲でホワイト周波数雑音が支配的である(σy(τ)τ1/2\sigma_y(\tau)\propto\tau^{-1/2})と仮定した場合の予想値と、実測値を比較してください。この発振器はこの範囲でホワイト周波数雑音的にふるまっていると言えるか、議論してください。
  3. 水素メーザー(σy1015\sigma_y \sim 10^{-15}τ=1000\tau=1000 s)とUSO(σy1013\sigma_y \sim 10^{-13}τ=100\tau=100 s)について、それぞれ本文の近似式 σvcσy\sigma_v \sim c\,\sigma_y を用いて対応するドップラー速度誤差を計算し、両者の比(何桁の差か)を求めてください。
  4. アラン分散のログログプロットが、短い τ\tau で傾き1-1(分散)/1/2-1/2(偏差)、中間の τ\tau で傾き00、長い τ\tau で傾き+1+1(分散)/+1/2+1/2(偏差)というU字型の概形を描く理由を、ホワイト周波数雑音・フリッカー周波数雑音・ランダムウォーク周波数雑音それぞれの物理的起源に触れながら自分の言葉で説明してください。また、この「安定度が最良になる積分時間」がドップラーカウント時間 TcT_c の選定にどう関わるか考察してください。

まとめと次回予告

この回では、これまで「安定な周波数基準」として暗黙の前提にしてきた発振器そのものの性質を、アラン分散という指標を通じて数式で掘り下げました。通常の分散が非定常なドリフト成分に対して発散してしまうのに対し、隣接区間の差分二乗平均を取るアラン分散はこの問題を回避し、有限な安定度指標を与えてくれます。ホワイト周波数雑音・フリッカー周波数雑音・ランダムウォーク周波数雑音がログログプロット上でそれぞれ異なる傾きを描くことを見たうえで、水素メーザー(σy1015\sigma_y\sim10^{-15})とUSO(σy1013\sigma_y\sim10^{-13})の2桁の安定度差が、実際にOne-way/Two-wayドップラーの速度計測精度の差としてどう伝搬するかを定量的に確認しました。

ところで、ここまでの回ではドップラーシフトの式を Δf=(2vr/c)fc\Delta f = (2v_r/c)f_c という古典的(ニュートン力学的)なドップラー公式として扱ってきました。しかし探査機の速度が数十km/sに達し、かつ地上局の周波数安定度が 101510^{-15} という極限まで研ぎ澄まされてくると、実は特殊相対性理論の時間の遅れ(横ドップラー効果)や、一般相対性理論による重力ポテンシャルの違い(重力赤方偏移)による周波数のずれが、無視できない大きさで顔を出し始めます。次回は、この相対論補正が精密なドップラー計測・測距データにどう組み込まれているのかを扱う予定です。

参考文献

  • D. W. Allan, “Statistics of Atomic Frequency Standards,” Proceedings of the IEEE, vol. 54, no. 2, pp. 221–230 (1966)
  • IEEE Std 1139-2008, IEEE Standard Definitions of Physical Quantities for Fundamental Frequency and Time Metrology
  • J. A. Barnes et al., “Characterization of Frequency Stability,” IEEE Transactions on Instrumentation and Measurement, vol. IM-20, no. 2, pp. 105–120 (1971)
  • DSN Telecommunications Link Design Handbook, DSN No. 810-005 (Frequency and Timing Subsystem に関するモジュール)
  • J. H. Yuen (ed.), Deep Space Telecommunications Systems Engineering, JPL Publication 82-76
  • J. R. Vig, “Introduction to Quartz Frequency Standards,” US Army Research Laboratory, SLCET-TR-92-1