測距・追跡#183
複数探査機の同時追跡 — 周波数・符号・空間で信号を分離する
火星の上空と地表に探査機が何機もいる時代、地上局は1本のアンテナでどうやって複数機を混信なく識別・追跡しているのか。周波数分離・PN符号分離・空間分離という3つの直交化の数理と、DSNのMSPA運用の実際を数式で理解する。
前提知識: SBI — 同一ビーム干渉法で2機の相対位置を測る
この回で学ぶこと
前回のSBIでは、同一のアンテナビーム内にいる2機の探査機を同時観測し、その差分から相対位置を高精度に決める技術を学びました。しかしそこでさらりと触れた前提を思い出してください。「2機の探査機の信号が周波数分離されている(同じRFチャンネルで混信しない)ことが前提になります」——今回のテーマは、まさにこの前提を成立させている土台の部分です。
火星を例に取ると、現在の火星圏には周回機だけで5機以上、さらに地表にはローバーや着陸機がいます。地球から見ればこれらはすべて、深宇宙アンテナのビーム幅(数分角)の中にすっぽり収まってしまう。つまり地上局のアンテナには、複数の探査機からの信号が同時に、同じ方向から降り注いでいるわけです。これらを混ぜこぜにせず、1機1機を確実に識別して搬送波をロックし、テレメトリを復調し、測距を行うにはどうすればよいか。
答えは、信号を互いに「直交」させることです。直交化の軸は3つあります。
- 周波数分離: 探査機ごとに異なる周波数チャンネルを割り当て、受信側でフィルタリングして分ける。
- 符号分離: 同じ周波数帯を使っても、探査機ごとに異なる擬似雑音(PN)符号を使い、相関処理で分ける。
- 空間分離: フェーズドアレイのマルチビームで、方向そのものによって分ける。
この回では、この3つの分離をそれぞれ数式で定式化し、それぞれがどんな条件で成立し、どこで破綻するかを見たうえで、DSN(Deep Space Network)が実際に行っている**MSPA(Multiple Spacecraft Per Antenna)**運用の実際を学びます。
直感的導入: カクテルパーティーとしての深宇宙受信
混雑したパーティー会場で複数の会話が同時に進んでいても、人間は特定の相手の声を聞き分けられます。これには3つの手がかりがあります。声の高さ(周波数)、話し方や言語の癖(波形パターン)、そして声が聞こえてくる方向(空間)です。深宇宙通信における複数探査機の分離も、原理的にはまったく同じ3軸で行われます。
これを数式の言葉で言い直しましょう。地上局アンテナの受信信号は、 機の探査機からの信号と雑音の重ね合わせです。
ここで は探査機 の受信振幅、 は変調波形(テレメトリやレンジング信号)、 は伝搬遅延、 は割り当て搬送波周波数、 はドップラーシフト、 は雑音です。受信機の仕事は、この から特定の探査機 の成分だけを取り出すことです。取り出す操作は数学的には、探査機 の信号の「レプリカ」との内積(相関)を取ることに帰着します。
このとき、他の探査機 の信号がレプリカ と直交していれば()、 には探査機 の成分だけが残り、他機の信号は混信として現れません。周波数分離・符号分離・空間分離は、この直交性を「周波数軸」「符号波形」「到来方向」のどこで作り込むか、という選択に他なりません。
数式による定式化 1: 周波数分離
直交性の条件
最も古典的で、深宇宙通信の現場で今も主役なのが周波数分離です。探査機 と に異なる搬送波周波数 を割り当てると、観測時間 にわたる2つの搬送波の相関は
となり、周波数差が積分時間の逆数より十分大きければ直交します。実際には信号は変調によって帯域幅 に広がっているので、スペクトルが重ならない条件、すなわち
がチャンネル割り当ての設計条件になります。第2項が深宇宙特有の重要な項で、探査機の視線速度 によるドップラーシフト
は、たとえば km/s、Xバンド GHz なら kHz にも達します。割り当て周波数が紙の上では重なっていなくても、一方の探査機が地球接近中、もう一方が離脱中であれば、受信スペクトル上でチャンネルが互いに近づき、最悪の場合は交差します。チャンネル間隔にはこのドップラーダイナミクスの分のガードバンドを必ず織り込む必要があります。
国際調整とチャンネル割り当て
この周波数割り当ては、各ミッションが勝手に決められるものではありません。スペクトル管理の回で学んだとおり、深宇宙研究用の帯域はITU-Rの無線通信規則で保護されており、Xバンドではダウンリンク 8400–8450 MHz、アップリンク 7145–7190 MHz の各50 MHz、45 MHzが世界共通に割り当てられています。この限られた幅を世界中の深宇宙ミッションで分け合うため、帯域内はチャンネルプランに従って多数のチャンネルに区切られ、各ミッションへの割り当てはSFCG(Space Frequency Coordination Group)や各宇宙機関の周波数管理部門の調整を経て決まります。アップリンクとダウンリンクの周波数は、探査機のトランスポンダのターンアラウンド比(Xバンドで )で結ばれているため、1つのチャンネル番号を選ぶことはアップリンク・ダウンリンクのペアを同時に選ぶことを意味します。
火星のように多数の探査機が集中する天体では、この調整はさらに切実です。同じアンテナビーム内に入る探査機どうしは、原理的に空間分離が効かないため、周波数(または符号)で必ず分離できるよう、ミッション設計の初期段階から互いに離れたチャンネルが選ばれます。前回のSBIが「2機のダウンリンク周波数をあらかじめ十分に離しておく」ことを前提にできたのは、この国際調整の仕組みが背後で機能しているからです。
数式による定式化 2: 符号分離
なぜ符号で分けたいのか
周波数分離には限界があります。チャンネル数は有限であり、またレンジングやスペクトラム拡散のように、信号が広帯域にスペクトルを広げる場合は、そもそも周波数軸上で完全に棲み分けることが難しくなります。そこで登場するのが符号分離、すなわちCDMA(符号分割多元接続)的な発想です。全機が同じ周波数帯を共有し、代わりに探査機ごとに異なるPN符号を使う。受信機は目当ての探査機の符号レプリカと相関を取ることで、その1機だけを浮かび上がらせます。
探査機 のPN符号を、チップ値 、符号長 チップの系列とします。2つの符号の(周期的)相互相関を
と定義すると、符号分離が成立する条件は次の2つです。
- 自己相関の鋭さ: がピークで、 では 。これは自分の信号に同期するために必要です(レンジングの回で学んだ性質と同じ)。
- 相互相関の低さ: すべてのずれ について ()。これが他機の信号を抑圧するための条件です。探査機ごとに伝搬遅延 が異なり、符号どうしの位相関係は制御できないため、「あらゆるずれで」低相関でなければならない点が重要です。
直交符号族の理論限界: Welch限界
では、相互相関はどこまで小さくできるのでしょうか。実は、符号長 の系列を 本用意するとき、最大相関値(自己相関サイドローブと相互相関の最大値) には理論的な下限があることが知られています。Welch限界です。
つまりどんなに符号族を巧妙に設計しても、正規化相互相関を より小さくすることは原理的にできません。逆に言えば、符号を長くすればするほど( を大きくするほど)分離は良くなる、という設計指針が得られます。
この限界にほぼ達する実用符号族の代表がGold符号です。2本の適切に選ばれたM系列(優先対)の排他的論理和から生成され、周期 に対して 本の系列が得られ、相互相関は3値
しか取りません。たとえば ()なら で、正規化相互相関は 、電力比で約 dB に抑えられます。GPSがまさにこの のGold符号で30機以上の衛星を同一周波数上で分離していることは、DSSSの回で触れたとおりです。
多元接続干渉とSNR劣化
相互相関が完全にゼロでない以上、他機の信号は相関後にわずかに漏れ込みます。これを**多元接続干渉(MAI: Multiple Access Interference)**と呼びます。非同期のDS-CDMAで 機が同程度の電力で受信される場合、標準的なガウス近似のもとで、相関後の信号対干渉電力比は
と見積もられます。、 機なら dB であり、深宇宙リンクの典型的な (数dB〜10 dB程度)に比べて十分大きく、実用上は雑音が支配的なままです。ただし探査機間の受信電力差が大きい場合(たとえば近傍の周回機と遠方の探査機を同時受信する場合)には、強い信号のMAIが弱い信号を圧倒する**遠近問題(near-far problem)**が生じ得るため、電力差まで含めた設計が必要になります。
深宇宙の文脈でこの符号分離が現に使われているのが、CCSDS標準のPN測距(CCSDS 414.1-B)です。再生測距の回で学んだT4BやT2Bといった測距符号は複数の成分符号の合成で作られており、符号構成を変えることで低相互相関の系列群を用意できます。同一ビーム内の複数機に異なる測距符号を割り当てれば、同じ周波数帯にレンジングスペクトルが重なっても、相関処理の段階で互いに分離できるわけです。
数式による定式化 3: 空間分離
3つめの軸は方向そのものです。開口径 のアンテナの半値ビーム幅は
で、Xバンド( cm)の34 mアンテナなら約 rad 分角です。2機の探査機の天球上の分離角がこれより十分大きければ、アンテナを別々に向ける——すなわち空間で分離する——ことができます。しかし従来のパラボラアンテナは同時に1方向しか向けません。2機を空間分離で同時追跡するには、アンテナが2本必要でした。
これを一変させるのが、フェーズドアレイの回で学んだデジタルビームフォーミングです。 素子のアレイの各素子出力 に複素重み を掛けて合成すると、方向 に向いたビーム出力
が得られます。ここで決定的に重要なのは、重みベクトル はデジタル信号処理で掛けるだけなので、異なる方向 に対応する複数の重みセットを同じ素子出力に並列に適用できることです。つまり1つのアレイ開口から、同時に複数本の独立なビームを、それぞれ別の探査機に向けられます。ビーム から見た方向 の探査機の信号は、アレイファクタ
で重み付けされ、分離角がビーム幅より大きければ となってサイドローブレベルまで抑圧されます。将来のDSN増強として研究されている大規模アレイ地上局が魅力的なのは、まさにこの「1つの開口で複数ミッションを同時サービスできる」性質のためです。
ただし空間分離には原理的な限界があります。分離角がビーム幅を下回る——まさに火星圏の探査機群のような状況——では、どんなビームフォーミングをしても方向では分けられません。その場合は必ず周波数分離か符号分離に頼ることになります。3つの分離軸は競合するものではなく、スケールの異なる状況を分担して受け持つ階層構造をなしているのです。
実務での使われ方: DSNのMSPA運用
以上の理論が総動員されている実運用が、DSNの**MSPA(Multiple Spacecraft Per Antenna)**です。
- ダウンリンク: 1本のアンテナで最大4機を同時受信。 火星圏のように複数の探査機が同一ビーム内に入る場合、DSNは1本の34 mまたは70 mアンテナで複数機のダウンリンクを同時に受信します。各探査機は互いに異なるダウンリンクチャンネルを使っているため(周波数分離)、受信システムは1つの広帯域フロントエンドで帯域全体を取り込み、チャンネルごとに複数の受信機・テレメトリ処理系を並列に走らせます。当初2機同時(2-MSPA)で始まったこのサービスは、火星ミッションの増加に伴い最大4機(4-MSPA)まで拡張されました。1回のアンテナパスで複数ミッションぶんの追跡時間を稼げるため、慢性的に逼迫しているDSNのスケジュール(参照: DSNスケジューリング)を緩和する重要な手段になっています。
- アップリンクは通常1機のみ。 一方、送信側は事情が異なります。1本のアンテナに搭載できる大電力送信機は実質1系統であり、1本の搬送波しか送れないため、同時にアップリンク(コマンド送信・双方向ドップラー・測距)ができるのは原則1機だけです。MSPAパス中、アップリンクを受けている1機は通常の双方向(two-way)コヒーレント運用ができますが、残りの機体はダウンリンクのみの受動的な受信となり、探査機側の搭載発振器を基準にした one-way ダウンリンク、あるいは他局からアップリンクを受ける three-way 構成で運用されます。1本の搬送波に複数機宛の情報を載せて順次切り替える方式や、複数アップリンクを周波数分離で同時に送る方式(MUPA: Multiple Uplinks Per Antenna)も研究されていますが、運用の標準は今も「アップリンクは1パス1機」です。
- OMSPA(Opportunistic MSPA)。 さらに進んだ形として、あるミッションのためにアンテナが火星に向いている間、そのビーム内に「たまたま」入っている他の探査機の信号を、広帯域オープンループ受信機で丸ごと録音しておき、後から各機のチャンネルを切り出して復調する機会主義的MSPAも実証されています。追跡パスを正式に予約していないミッションでもダウンリンクデータを回収できる可能性があり、小型・低予算ミッションが増える将来に向けた運用形態として注目されています。
- 中継ネットワークとの階層化。 火星地表のローバー(キュリオシティ、パーサヴィアランス)は、地球への直接リンクよりも、UHF帯(390–450 MHz)で周回機(MRO、MAVEN、ExoMars TGOなど)に中継する経路を主に使います。地表–周回機間はUHF、周回機–地球間はX/Kaバンドと周波数帯そのものを分けることで、同一ビーム内のオービタ+ランダー+ローバー編成が互いに干渉しない設計になっています。これは周波数分離を帯域スケールで適用した例と見ることができます。
- 編隊・群ミッションへの展開。 GRAILの双子衛星、BepiColomboの2オービタ構成、そして多数の小型機を同時運用するミッション構想では、限られたチャンネル資源の中で機数が増え続けるため、符号分離(CDMA型の測距・テレメトリ)や、地上局側のアレイ化による空間分離の重要性が今後さらに増すと考えられています。
演習問題
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Xバンドダウンリンク(8.4 GHz帯)で、探査機Aが視線速度 km/s(接近)、探査機Bが km/s(離脱)で運用されている。それぞれのドップラーシフトを計算し、両機の割り当て周波数の間隔として最低限確保すべきガードバンド(ドップラー起因分)を求めよ。両機の変調帯域幅がそれぞれ 2 MHz(両側)であるとき、チャンネル中心周波数の最小間隔はいくらになるか。
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符号長 ()のGold符号族について、 の値と正規化最大相互相関 を計算し、dB値(電力比 ではなく の抑圧量として)で表せ。さらにWelch限界 を 本の場合について計算し、Gold符号がこの限界にどの程度迫っているか論ぜよ。
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非同期DS-CDMAのガウス近似 を用いて、 で同時に 機を符号分離する場合のSIRをdBで求めよ。このSIRが実効的な雑音として加わるとき、もともと dB で設計されたリンクにとって無視できるかどうか、雑音電力の加算( と の比較)によって論ぜよ。
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34 mアンテナ(Xバンド、 cm)のビーム幅を分角単位で求め、地球–火星間距離が 1.0 AU のとき、このビーム幅が火星距離で張る横断距離(km)を計算せよ。火星の直径(約6800 km)や周回軌道の典型高度と比較し、「火星圏の探査機はすべて同一ビーム内に入る」という本文の主張を数値で確認せよ。そのうえで、この状況で空間分離が使えない理由と、代わりに機能している分離軸を説明せよ。
まとめと次回予告
複数探査機の同時追跡は、受信信号の重ね合わせから特定の1機を取り出す「直交化」の問題であり、その直交性は周波数(チャンネル割り当てとドップラーを考慮したガードバンド)、符号(Welch限界に迫る低相互相関のPN符号族)、空間(フェーズドアレイの同時マルチビーム)という3つの軸で作り込まれています。ビーム幅より近い探査機どうしは周波数と符号で、遠いものは空間で分ける——この階層構造の上に、DSNのMSPA運用(ダウンリンク最大4機同時受信、アップリンクは原則1機)や、火星のオービタ+ランダー+ローバー編成の中継ネットワークが成り立っていることを見ました。
ところで、同一ビーム内の複数機を同時受信できるということは、単に「効率よくデータを回収できる」以上の意味を持ちます。前回のSBIで見たように、2機の信号の差分は強力な観測量になるのです。次回は、複数機(あるいは1機と地上の複数局)のドップラー計測の差分を取ることで共通誤差を消し、探査機の角度方向の運動まで抽出する差分ドップラー航法に進みます。今回学んだ「混信なく2機を同時に受信する」技術は、そこでも観測の前提として働き続けます。
参考文献
- DSN Telecommunications Link Design Handbook, DSN No. 810-005(MSPAおよびチャンネル割り当てに関するモジュール)
- CCSDS 401.0-B, Radio Frequency and Modulation Systems, Part 1: Earth Stations and Spacecraft
- CCSDS 414.1-B, Pseudo-Noise (PN) Ranging Systems
- SFCG (Space Frequency Coordination Group) Recommendations, ITU-R Radio Regulations(深宇宙研究用周波数分配)
- D. S. Abraham et al., “Opportunistic MSPA Demonstration #1: Background, Concept, and Results,” SpaceOps Conference
- R. Gold, “Optimal Binary Sequences for Spread Spectrum Multiplexing,” IEEE Transactions on Information Theory
- L. R. Welch, “Lower Bounds on the Maximum Cross Correlation of Signals,” IEEE Transactions on Information Theory