システム・運用#148

リンク設計プロセスの実践ウォークスルー — 架空の火星探査ミッションで通しで計算する

EIRP・自由空間損失・G/T・変調損失・符号化利得というこれまで個別に学んできたリンクバジェットの部品を、1つの架空の火星探査ミッションに当てはめて最初から最後まで通しで計算する総合演習。リンクバジェット表を組み立て、マージンを評価し、反復設計の実務プロセスを見る。

前提知識: 変調損失とリンクバジェット — 搬送波とデータへの電力配分を最適化するG/T — アンテナ利得対雑音温度比という1つの数値に受信性能を凝縮する

リンクバジェットリンク設計Eb/N0マージンシステム設計

この回で学ぶこと

ここまでの一連のレッスンで、深宇宙リンクを構成する部品をひとつずつ数式で導いてきました。PCM/PSK/PMで変調指数 Δ\Delta が搬送波とデータに電力を配分する仕組みを見て、変調損失の回でリンクバジェット方程式 PR/N0=EIRPLpath+G/TkP_R/N_0 = EIRP - L_{path} + G/T - k を導入し、自由空間損失 LpathL_{path} の導出と変調損失 Lmod=sin2ΔL_{mod}=\sin^2\Delta の定式化を行いました。G/Tの回では地上局の受信性能をFriisの雑音公式まで遡って合成し、畳み込み符号とビタビ復号の回では誤り訂正符号がもたらす符号化利得を数式で評価しました。

しかしこれらは、いずれも「部品」を個別に取り出して眺めた回でした。実際のミッション設計者の机の上には、こうした部品がバラバラに置かれているわけではありません。1つの具体的な探査機、1つの具体的な地上局、1つの具体的なデータレート要求があり、それらの数値をリンクバジェット方程式に順番に代入していって、最後に「このミッションのこの区間で、この符号化方式・このデータレートなら、要求ビット誤り率を満たせるかどうか」という一点の判定に帰着させる作業が必要になります。

この回は新しい理論を導入する回ではありません。これまで学んだ式を、1つの架空の火星探査ミッションに当てはめて、EIRPの計算から最終的なリンクマージンの評価まで、実際の数値を使って最初から最後まで通しで計算する総合演習です。個々の式の導出はすべて既存のレッスンを参照し、ここでは再導出しません。その代わり、実務のリンク設計者が実際に手を動かす順序——(1) EIRP、(2) 自由空間損失、(3) PR/N0P_R/N_0、(4) 実効 Eb/N0E_b/N_0、(5) 目標BERとの比較によるマージン評価——を、1本のリンクバジェット表として積み上げていきます。

直感的導入

料理に例えるなら、これまでのレッスンは「小麦粉の性質」「バターの乳化」「オーブンの温度特性」を個別に深く掘り下げてきたようなものです。どれも重要な知識ですが、実際にケーキを焼くには、それらを決まった分量・決まった順序で組み合わせるレシピが必要です。リンクバジェットの計算もこれと同じで、EIRP・自由空間損失・G/T・変調損失・符号化利得という「材料」をすべて手元に揃えたうえで、dB表記の世界で単純に足し算・引き算を積み上げていく、という手続き自体はきわめて機械的です。

ただしこの「機械的な積み上げ」こそが、実際のミッション設計の現場で最も重要な作業でもあります。JPLやESAのリンク設計者は、ミッションの検討フェーズが進むたびに、送信電力・アンテナ口径・符号化方式・データレートといったパラメータを少しずつ変えながら、このリンクバジェット表を何十回、何百回と組み直します。個々の式を知っているだけでは設計はできません。それらを正しい順序で、正しい単位で、正しく積み上げられて初めて「このミッションは成立するか」という問いに答えられます。この回では、その積み上げの手順そのものを、架空の火星探査機を例に体験します。

架空ミッションの前提条件

架空の火星周回探査機「仮称: MRO-X」を想定し、地球から見て太陽の反対側にあるとき(合、superior conjunction)、すなわち通信距離が最も遠くなる最悪条件でのダウンリンクを設計します。前提条件を次のように具体的に設定します。

探査機側のパラメータ

  • 送信機出力: PT=15P_T = 15 W
  • 高利得アンテナ(HGA)の開口径: D=2.5D = 2.5 m
  • 開口効率: η=0.55\eta = 0.55(パラボラアンテナの典型値)
  • 周波数帯: Xバンド、f=8.4f = 8.4 GHz、波長 λ3.57\lambda \approx 3.57 cm(PCM/PSK/PM変調損失の各回と同じ値を使用)
  • 給電系・回路損失: Lcircuit=1.0L_{circuit} = 1.0 dB(導波管・スイッチ等の実装上の損失)
  • 変調指数: Δ=1.15\Delta = 1.15 rad(PCM/PSK/PM方式、PCM/PSK/PMの回で見た典型範囲 0.80.81.31.3 rad に収まる値)

伝搬経路

  • 通信距離: d=4.01×1011d = 4.01\times10^{11} m(地球-火星間の最遠距離、合の時期に相当)

地上局側のパラメータ(DSN 70mアンテナを想定)

  • アンテナ利得: GR=74.3G_R = 74.3 dBi(DSN概論の回で導いた34mアンテナに対する70mアンテナの利得優位 +6.3+6.3 dB を反映した値)
  • システム雑音温度: Tsys=20T_{sys} = 20 K(G/Tの回で触れた極低温冷却受信機の典型値)

符号化・データレート要求

  • 誤り訂正符号: CCSDS標準の畳み込み符号(K=7K=7, Rc=1/2R_c=1/2)、ソフト判定ビタビ復号(畳み込み符号とビタビ復号の回参照)
  • サブキャリア波形: 方形波(矩形波)サブキャリア
  • 要求データレート: Rb=160R_b = 160 kbps
  • 目標ビット誤り率: Pb=105P_b = 10^{-5}

この前提条件だけを見ると数値の羅列ですが、これから1つずつdBに変換してリンクバジェット方程式に積み上げていくと、最終的に「このミッションは成立するか」という1つの結論に収束していきます。

ステップバイステップのリンクバジェット計算

ステップ1: EIRPの計算

まず探査機側が地球方向に実効的にどれだけの電力を放射しているかを表す EIRPEIRP を求めます。送信機出力をdBWに変換すると、

PT[dBW]=10log10(15)11.8 dBWP_T\,[\text{dBW}] = 10\log_{10}(15) \approx 11.8\ \text{dBW}

次にHGAの利得を、G/Tの回DSN概論の回で導いたパラボラアンテナの利得式 G=η(πD/λ)2G=\eta(\pi D/\lambda)^2 に、この探査機のHGA径 D=2.5D=2.5 m を代入して求めます。

GT=η(πDλ)2=0.55×(π×2.50.0357)20.55×4.84×1042.66×104G_T = \eta\left(\frac{\pi D}{\lambda}\right)^2 = 0.55\times\left(\frac{\pi \times 2.5}{0.0357}\right)^2 \approx 0.55 \times 4.84\times10^4 \approx 2.66\times10^4

dB表記に直すと、

GT[dBi]=10log10(2.66×104)44.3 dBiG_T\,[\text{dBi}] = 10\log_{10}(2.66\times10^4) \approx 44.3\ \text{dBi}

これに給電系・回路損失 Lcircuit=1.0L_{circuit}=1.0 dB を差し引いて、EIRPを積み上げます。

EIRP=PT[dBW]+GT[dBi]Lcircuit[dB]=11.8+44.31.0=55.1 dBWEIRP = P_T\,[\text{dBW}] + G_T\,[\text{dBi}] - L_{circuit}\,[\text{dB}] = 11.8 + 44.3 - 1.0 = 55.1\ \text{dBW}

送信機出力はわずか15Wという、家庭用の電球にも満たない電力ですが、直径2.5mのアンテナに絞り込むことで、実効的には55.1dBW(真数で約32万W相当)を地球方向にビームしているのと等価な状態を作り出しています。これがアンテナ利得の威力です。

ステップ2: 自由空間損失の計算

次に、変調損失の回で導出した自由空間損失の式(導出はそちらを参照し、ここでは再導出しません)

Lpath=(4πdλ)2,Lpath[dB]=20log10 ⁣(4πdλ)L_{path} = \left(\frac{4\pi d}{\lambda}\right)^2, \qquad L_{path}\,[\text{dB}] = 20\log_{10}\!\left(\frac{4\pi d}{\lambda}\right)

に、今回の最悪条件の距離 d=4.01×1011d = 4.01\times10^{11} m と波長 λ3.57×102\lambda \approx 3.57\times10^{-2} m を代入します。

4πdλ=4π×4.01×10113.57×1021.41×1014\frac{4\pi d}{\lambda} = \frac{4\pi \times 4.01\times10^{11}}{3.57\times10^{-2}} \approx 1.41\times10^{14} Lpath[dB]=20log10(1.41×1014)283.0 dBL_{path}\,[\text{dB}] = 20\log_{10}(1.41\times10^{14}) \approx 283.0\ \text{dB}

この値は、変調損失の回の数値例で使った火星平均距離(d2.25×1011d\approx2.25\times10^{11} m、Lpath278L_{path}\approx278 dB)よりも5 dBほど大きくなっています。距離が平均距離の約1.8倍に伸びたことで、自由空間損失が5 dB近く悪化したことになります。深宇宙リンクの設計は、常にこうした「最も条件が悪いとき」を基準に行う必要があることが、この5 dBの差からもわかります。

ステップ3: G/TG/TPR/N0P_R/N_0 の計算

地上局側の受信性能を、G/Tの回で導いた G/T=10log10GR10log10TsysG/T = 10\log_{10}G_R - 10\log_{10}T_{sys} に、DSN 70mアンテナの値を代入して求めます。

GT[dB/K]=GR[dBi]10log10(Tsys)=74.310log10(20)74.313.0=61.3 dB/K\frac{G}{T}\,[\text{dB/K}] = G_R\,[\text{dBi}] - 10\log_{10}(T_{sys}) = 74.3 - 10\log_{10}(20) \approx 74.3 - 13.0 = 61.3\ \text{dB/K}

これはG/Tの回で触れた「DSNの高性能局のXバンドG/TG/Tは50dB/Kを優に超え、条件が良い場合には60dB/K近くに達する」という記述とよく整合する数値です。

これでリンクバジェット方程式の4項がすべて揃いました。変調損失の回で導入した式(導出済みなのでここでは再掲するだけです)

PRN0=EIRPLpath+GTk,k[dB]228.6 dBW/K/Hz(の逆符号)\frac{P_R}{N_0} = EIRP - L_{path} + \frac{G}{T} - k, \qquad -k\,[\text{dB}] \approx 228.6\ \text{dBW/K/Hz(の逆符号)}

に各項を代入します。

PRN0=55.1283.0+61.3+228.6=61.9 dB-Hz\frac{P_R}{N_0} = 55.1 - 283.0 + 61.3 + 228.6 = 61.9\ \text{dB-Hz}

これが、探査機からの受信電力全体(残留搬送波とデータ側波帯の合計)を雑音密度で割った値です。まだこの時点では「変調方式によってこの電力がどう配分されているか」という情報は反映されていません。

ステップ4: 実効 Eb/N0E_b/N_0 の算出

ここから、PCM/PSK/PM変調損失の回畳み込み符号とビタビ復号の回で個別に扱った複数の損失・利得項を、PR/N0P_R/N_0 に順番に積み上げていきます。

まず、要求データレート Rb=160R_b=160 kbpsで規格化します。

10log10(Rb)=10log10(1.6×105)52.0 dB-Hz10\log_{10}(R_b) = 10\log_{10}(1.6\times10^5) \approx 52.0\ \text{dB-Hz}

次に、変調指数 Δ=1.15\Delta=1.15 rad による変調損失を、変調損失の回の定義 Lmod=sin2ΔL_{mod}=\sin^2\Delta から計算します。

Lmod[dB]=10log10(sin2(1.15))=10log10(0.833)0.8 dBL_{mod}\,[\text{dB}] = 10\log_{10}\big(\sin^2(1.15)\big) = 10\log_{10}(0.833) \approx -0.8\ \text{dB}

これに加えて、変調損失の回の「積み重なる他の損失項」の節で触れた2つの小さな損失を、今回のミッション特有の値として見積もります。今回のミッションは方形波サブキャリアを使うので、その高調波成分への電力分散によるサブキャリア波形損失8/π20.8118/\pi^2\approx0.811 倍、dBで約0.9-0.9 dB生じます。さらに受信機のビット同期誤差によるビット同期損失を、典型値である約0.3-0.3 dBと見積もります。

Lsc0.9 dB,Lsync0.3 dBL_{sc} \approx -0.9\ \text{dB}, \qquad L_{sync} \approx -0.3\ \text{dB}

最後に、CCSDS標準の畳み込み符号(K=7K=7, Rc=1/2R_c=1/2、ソフト判定ビタビ復号)による符号化利得を、畳み込み符号とビタビ復号の回で示した実測的な値(目標BER 10510^{-5}付近でおよそ5 dB前後)を用いて加えます。

Gcode+5.0 dBG_{code} \approx +5.0\ \text{dB}

これらをすべて PR/N0P_R/N_0 から積み上げると、実効 Eb/N0E_b/N_0 が得られます。

EbN0eff=PRN010log10(Rb)+Lmod+Lsc+Lsync+Gcode\frac{E_b}{N_0}\bigg|_{\text{eff}} = \frac{P_R}{N_0} - 10\log_{10}(R_b) + L_{mod} + L_{sc} + L_{sync} + G_{code} EbN0eff=61.952.00.80.90.3+5.012.9 dB\frac{E_b}{N_0}\bigg|_{\text{eff}} = 61.9 - 52.0 - 0.8 - 0.9 - 0.3 + 5.0 \approx 12.9\ \text{dB}

ステップ5: 目標BERとの比較によるマージン評価

PCM/PSK/PMの回で導いたBPSKのビット誤り率の式 Pb=Q(2Eb/N0)P_b=Q(\sqrt{2E_b/N_0}) から、目標ビット誤り率 Pb=105P_b=10^{-5} を達成するのに必要な(符号化なしBPSK基準の)Eb/N0E_b/N_0 は、変調損失の回の数値例でも使われた値、約9.69.6 dBです(この値自体の算出はPCM/PSK/PMの回のQ関数の議論を参照し、ここでは再導出しません)。ここで注意したいのは、ステップ4で求めた実効 Eb/N0E_b/N_0 にはすでに符号化利得 GcodeG_{code} が加算済みであるため、比較対象は「符号化なしBPSKが目標BERを満たすのに必要な Eb/N0E_b/N_0」でよいという点です。リンクマージン MM は、この2つの差として定義されます。

M=EbN0effEbN0req=12.99.6+3.3 dBM = \frac{E_b}{N_0}\bigg|_{\text{eff}} - \frac{E_b}{N_0}\bigg|_{\text{req}} = 12.9 - 9.6 \approx +3.3\ \text{dB}

マージンが正であればリンクは(この見積もりの精度の範囲で)成立し、負であればどこかのパラメータを見直す必要があります。今回のミッションでは、約+3.3+3.3 dBという、決して大きくはないが安全側に確保された正のマージンが得られました。

リンクバジェット表としてのまとめ

ここまでの計算過程を、実務で使われる形式にならって1本の表にまとめます。dB表記の項を上から順に足し引きしていくと、最終的なマージンに到達する構造がひと目でわかります。

#項目記号単位
1送信機出力PTP_T+11.8+11.8dBW
2HGA利得GTG_T+44.3+44.3dBi
3給電系・回路損失Lcircuit-L_{circuit}1.0-1.0dB
EIRP55.155.1dBW
4自由空間損失Lpath-L_{path}283.0-283.0dB
5地上局 G/TG/T(DSN 70m)G/TG/T+61.3+61.3dB/K
6ボルツマン定数の寄与k-k+228.6+228.6dBW/K/Hz
PR/N0P_R/N_061.961.9dB-Hz
7データレート規格化10log10Rb-10\log_{10}R_b52.0-52.0dB-Hz
8変調損失(Δ=1.15\Delta=1.15 rad)LmodL_{mod}0.8-0.8dB
9サブキャリア波形損失LscL_{sc}0.9-0.9dB
10ビット同期損失LsyncL_{sync}0.3-0.3dB
11符号化利得(K=7K=7, Rc=1/2R_c=1/2)GcodeG_{code}+5.0+5.0dB
実効 Eb/N0E_b/N_012.912.9dB
12目標BER 10510^{-5} の要求 Eb/N0E_b/N_0(Eb/N0)req-(E_b/N_0)_{req}9.6-9.6dB
リンクマージン MM+3.3+3.3dB

この表の構造そのものが、実務のDSN Link Design Control Table(参考文献参照)のミニチュア版です。上段(EIRP)は探査機側の設計者が、中段(G/TG/T)は地上局側の設計者が、下段(変調損失以下)は通信方式の設計者がそれぞれ責任を持つ領域であり、リンクバジェット表はこれら異なる担当領域の作業を1枚の帳票の上で突き合わせる役割を果たしています。

実務での使われ方

マージンが不足した場合の反復設計

今回の計算では偶然にも+3.3+3.3 dBという正のマージンが得られましたが、実際のミッション設計では最初の試算でマージンが不足する(あるいは逆に過大に余裕がある)ことのほうがむしろ一般的です。たとえば今回の前提でデータレートをRb=160R_b=160kbpsから500500kbpsに引き上げたとすると、データレート規格化項が 10log10(5×105)57.010\log_{10}(5\times10^5)\approx57.0 dB-Hzとなり、実効Eb/N0E_b/N_012.9(57.052.0)=7.912.9-(57.0-52.0)=7.9 dBまで低下し、マージンは7.99.61.77.9-9.6\approx-1.7 dBと負に転じてリンクは成立しなくなります。

このようにマージンが不足したとき、リンク設計者が調整できるレバーは主に次の4つです。

  1. アンテナ口径を大きくする: 探査機側HGA径 DD、あるいは地上局側の口径を大きくする。G/Tの回で見たように利得は D2D^2 に比例するため、口径を増やせばEIRPEIRPまたはG/TG/Tを直接底上げできる。ただし探査機側は質量・展開機構の制約、地上局側は建設コストの制約に直面する。
  2. 符号化方式を強化する: 畳み込み符号単独から、連接符号LDPC符号ターボ符号相当のより強力な誤り訂正符号に切り替え、符号化利得 GcodeG_{code} を稼ぐ。近年のミッションでLDPC符号の採用が進んでいるのは、まさにこの符号化利得の大きさが理由の一つである。
  3. データレートを下げる: RbR_b を下げれば 10log10Rb10\log_{10}R_b の項が小さくなり、その分だけ実効Eb/N0E_b/N_0を稼げる。ただし科学データの伝送量そのものが減るため、ミッション目的との兼ね合いになる。
  4. 変調指数 Δ\Delta を再調整する: 変調損失の回で見た ρL(Δ)\rho_L(\Delta)(Eb/N0)data(Δ)(E_b/N_0)_{\text{data}}(\Delta) のトレードオフに沿って、キャリアループSNRの制約を満たす範囲でΔ\Deltaをデータ側に寄せ、変調損失を減らす。

実際のミッション設計チームは、この4つのレバーを組み合わせながら、リンクバジェット表全体を何度も組み直します。1回の見直しで表の1〜2行の数値が変わり、それが最終行のマージンにどう伝播するかを確認する、という反復が、ミッションの設計フェーズを通じて何十回、時には何百回と繰り返されます。

リンク設計ソフトウェアツールの役割

この反復を手計算で行うのは非現実的なため、実務ではリンクバジェット計算を専用のソフトウェアツールで管理します。JPLでは前述のDSN Telecommunications Link Design Handbook(DSN No. 810-005)に規定されたLink Design Control Table形式に沿った計算モジュールが使われ、ESAや民間の衛星通信事業者も同様に、各損失・利得項をパラメータとして持ち、距離やデータレートを振ったときのマージンの変化を即座に再計算できるスプレッドシートや専用ソフトウェアを運用しています。

こうしたツールの価値は、単に計算を速くすることだけではありません。太陽合の時期のように距離やリンク状態が時間とともに変化するミッションでは、軌道上の全期間にわたってマージンがどう推移するかをシミュレーションし、「年間を通してマージンが一度も負にならないか」を検証する必要があります。この回で1つの時刻・1つの条件について手計算した内容を、時間軸に沿って何千回も自動的に繰り返しているのが、実際のリンク設計ソフトウェアの内部で行われていることです。

演習問題

  1. 本文の前提条件のうち、HGA径だけを D=2.5D=2.5 m から D=3.2D=3.2 m に変更した場合、GTG_T は何dBi改善するか計算し、その結果として最終的なリンクマージンが何dBになるかを求めてください(他の項は本文の値のまま据え置いてよい)。

  2. 本文では符号化利得を畳み込み符号単独で+5.0+5.0 dBとしましたが、これを連接符号の回で扱うような、畳み込み符号とリード・ソロモン符号を組み合わせた連接符号に置き換えてGcode=+7.5G_{code}=+7.5 dBが得られるとします。このときのリンクマージンを再計算し、本文の+3.3+3.3 dBからどれだけ改善するか求めてください。

  3. 本文のリンクバジェット表の「7. データレート規格化」の項について、目標マージンを00 dBちょうど(ぎりぎり成立する境界)にするために許容できる最大のデータレート RbR_b は何kbpsになるか、他の項をすべて本文の値に固定したまま逆算してください。

  4. 太陽合の時期に太陽コロナの影響でリンクがさらに数dB劣化する(コロナによる追加損失が生じる)状況を想定します。このとき、本文で挙げた4つの調整レバー(アンテナ口径・符号化方式・データレート・変調指数)のうち、どれが運用中のミッションに対して最も迅速に(ハードウェアの変更なしに)適用できるかを考え、理由とともに説明してください。

まとめと次回予告

この回では、PCM/PSK/PM変調損失G/T畳み込み符号とビタビ復号という、これまで個別に学んできたリンクバジェットの部品を、1つの架空の火星探査ミッションに当てはめて、EIRPの計算から自由空間損失、PR/N0P_R/N_0、実効Eb/N0E_b/N_0、そして最終的なリンクマージンの評価まで、実際の数値を使って通しで計算しました。個々の式はどれも既存のレッスンで導出済みのものであり、この回で新しく導入したのは「それらを正しい順序で積み上げ、1本のリンクバジェット表として組み立てる」という実践的な手続きそのものでした。+3.3+3.3 dBという最終マージンは、送信電力・アンテナ口径・符号化方式・データレートという設計パラメータが、ぎりぎりではあるものの矛盾なく1つの成立するミッションを形作っていることを示しています。

次回は、ここまで扱ってこなかったもう1つの重要な損失要因であるアンテナ指向誤差に焦点を当て、アンテナ自動追尾の回で個別に扱ったポインティング損失を、今回と同じように1つの具体的なミッションシナリオの中でリンクバジェットに組み込む、指向誤差バジェットの総合設計を扱う予定です。

参考文献

  • DSN Telecommunications Link Design Handbook, DSN No. 810-005 (Link Design Control Table)
  • J. H. Yuen (ed.), Deep Space Telecommunications Systems Engineering, JPL Publication 82-76
  • CCSDS 401.0-B, Radio Frequency and Modulation Systems, Part 1: Earth Stations and Spacecraft
  • CCSDS 131.0-B, TM Synchronization and Channel Coding
  • J. R. Wertz, D. F. Everett, J. J. Puschell (eds.), Space Mission Engineering: The New SMAD