測距・追跡#30

測距・ドップラー・DDORの統合 — 幾何学的DOPと最小二乗法による軌道決定

これまで個別に学んだ測距・ドップラー・DDORの3つの観測量が、探査機の6次元状態ベクトル(位置3・速度3)のどの成分に効くのかを幾何学的に整理し、視線直交方向の位置決定が測距+ドップラーだけでは悪化する理由をDilution of Precision(DOP)の概念で示す。観測方程式の線形化と重み付き最小二乗法 Δx=(H^TWH)^{-1}H^TWΔz による軌道決定の枠組み、誤差共分散楕円体の幾何学までを数式で追う。

前提知識: ranging-regenddor

軌道決定最小二乗法DOP共分散測位幾何学

この回で学ぶこと

これまでの回で、探査機を追跡する3種類の電波観測量を個別に学んできました。測距(レンジング)は探査機までの距離を、コヒーレントドップラーは視線方向の速度を、そしてDDORは視線に直交する方向の角度を測ります。それぞれの回では「なぜこの観測量が必要なのか」「どう測るのか」「どれくらいの精度が出るのか」を個別に見てきましたが、まだ触れていない問いが1つ残っています。これら3種類の観測量を実際に集めたとき、それらを使って探査機の軌道(位置と速度)をどう決定するのか、という問いです。

探査機の状態は、ある基準時刻における位置3成分・速度3成分、合計6個の数(状態ベクトル xR6\mathbf{x} \in \mathbb{R}^6)で表されます。地上局が持っているのは、これとは似ても似つかない形の生データ、すなわち時刻ごとの距離・周波数偏移・到達時間差の測定値の羅列です。この「観測データの集まり」から「6次元の軌道状態」を復元する手続きを軌道決定 (Orbit Determination, OD) と呼びます。

この回では、まず測距・ドップラー・DDORのそれぞれが状態ベクトルのどの成分にどう効くのかを幾何学的に整理し、なぜ測距とドップラーだけでは視線に直交する方向の決定精度が原理的に悪化するのか(DOP: Dilution Of Precision、精度低下率)を、簡略化した2次元モデルで数式的に示します。そのうえで、観測方程式を線形化し、重み付き最小二乗法によって軌道を推定する一般的な枠組みを導出し、推定誤差の共分散行列を「誤差楕円体」として幾何学的に読み解きます。これは、これまで個別に学んできた3つの観測技術を、初めて1つの推定問題として束ねる回です。

直感的導入: 3本の物差しで6次元を測る

探査機の軌道決定を、日常的な比喩で考えてみましょう。真っ暗な部屋の中に小さな物体が浮かんでいて、その位置と動く速さ・向きを知りたいとします。手元にあるのは3種類の道具だけです。

  • 巻尺(測距): 物体までの距離だけを教えてくれる。方向は分からない。
  • ドップラーレーダー(ドップラー): 物体が自分に近づいているか遠ざかっているか、その速さだけを教えてくれる。横方向の動きは分からない。
  • レーザーポインタで角度を読む道具(DDOR): 物体が視線からどれだけ横にずれているか、角度だけを教えてくれる。距離そのものは分からない。

この3つの道具はどれも「6次元の情報(位置3・速度3)」のうち、ごく限られた一部の成分しか単独では教えてくれません。巻尺とドップラーレーダーだけを何度も使っても、視線から見て自分の真正面にある物体が横にどれだけずれているかは、実はなかなか分かりません。なぜなら、巻尺もドップラーレーダーも「視線方向」にしか感度を持たないからです。ここに角度を読む道具(DDOR)を1つ足すだけで、それまで測れなかった横方向の位置が一気に分かるようになります。

この「どの道具がどの成分に効くのか」「なぜ組み合わせが必要なのか」という直感を、以下では厳密な数式に落とし込みます。

6次元状態ベクトルと観測量の幾何学

状態ベクトルと局所座標系

探査機の状態を、位置 rR3\mathbf{r}\in\mathbb{R}^3 と速度 vR3\mathbf{v}\in\mathbb{R}^3 をまとめた6次元ベクトル

x=(rv)R6\mathbf{x} = \begin{pmatrix}\mathbf{r}\\ \mathbf{v}\end{pmatrix} \in \mathbb{R}^6

として定義します(太陽系重心慣性系や地球中心慣性系など、ミッションに応じた基準座標系にとります)。地上局位置を rgs\mathbf{r}_{gs} とすると、地上局から探査機への相対位置ベクトルは s=rrgs\mathbf{s} = \mathbf{r}-\mathbf{r}_{gs}、その大きさが幾何学的な距離(レンジ) ρ=s\rho = |\mathbf{s}|、視線方向の単位ベクトルが s^=s/ρ\hat{\mathbf{s}} = \mathbf{s}/\rho です。相対速度は vrel=vvgs\mathbf{v}_{rel} = \mathbf{v}-\mathbf{v}_{gs} とします。

以下では、この視線方向 s^\hat{\mathbf{s}} に沿った成分(視線方向・radial成分)と、それに直交する平面内の成分(視線直交・transverse成分)に位置と速度を分解して考えます。任意のベクトル a\mathbf{a} から視線直交成分を取り出す操作は、射影行列を使ってきれいに書けます。

a=(s^s^T)a,a=(Is^s^T)a\mathbf{a}_\parallel = (\hat{\mathbf{s}}\hat{\mathbf{s}}^T)\,\mathbf{a}, \qquad \mathbf{a}_\perp = \left(I - \hat{\mathbf{s}}\hat{\mathbf{s}}^T\right)\mathbf{a}

ここで s^s^T\hat{\mathbf{s}}\hat{\mathbf{s}}^Ta\mathbf{a} を視線方向へ射影する 3×33\times3 行列、Is^s^TI-\hat{\mathbf{s}}\hat{\mathbf{s}}^T はその直交補空間(視線に垂直な平面)への射影行列です。s^T(Is^s^T)=0\hat{\mathbf{s}}^T(I-\hat{\mathbf{s}}\hat{\mathbf{s}}^T)=0 が恒等的に成り立つ(視線方向成分と視線直交成分は常に直交する)ことが、以下の議論の鍵になります。

各観測量のヤコビ行(観測方程式の線形化)

基準となる状態 xref\mathbf{x}_{ref} のまわりで、実際の状態が xref+δx\mathbf{x}_{ref}+\delta\mathbf{x} と微小にずれているとします(δx=(δr;δv)\delta\mathbf{x}=(\delta\mathbf{r};\delta\mathbf{v}))。各観測量 g(x)g(\mathbf{x}) をテイラー展開1次で線形化すると、

δgg(xref+δx)g(xref)gxxrefδxHδx\delta g \equiv g(\mathbf{x}_{ref}+\delta\mathbf{x}) - g(\mathbf{x}_{ref}) \approx \frac{\partial g}{\partial \mathbf{x}}\bigg|_{\mathbf{x}_{ref}} \delta\mathbf{x} \equiv H\,\delta\mathbf{x}

という形になります。ここで 1×61\times 6 の行ベクトル H=g/xH=\partial g/\partial\mathbf{x} を、この観測量の**観測行列(の1行)**と呼びます。以下、測距・ドップラー・DDORそれぞれの HH を具体的に求めます。

測距 (Range). ρ=s\rho=|\mathbf{s}| を1次までテイラー展開すると δρ=s^δr\delta\rho = \hat{\mathbf{s}}\cdot\delta\mathbf{r} が厳密に成り立ちます(1次近似の範囲で)。s^δr=0\hat{\mathbf{s}}\cdot\delta\mathbf{r}_\perp=0 なので、これは視線直交成分に一切依存しません。

Hρ=[ s^T , 0T ](1×6)H_{\rho} = \big[\ \hat{\mathbf{s}}^T \ , \ \mathbf{0}^T\ \big] \qquad (1\times 6)

測距は位置の視線方向成分だけに感度を持ち、速度にも視線直交位置にもまったく感度を持たない、ということがこの1行から厳密に読み取れます。

ドップラー (Range-rate). ρ˙=s˙s^\dot\rho=\dot{\mathbf{s}}\cdot\hat{\mathbf{s}} を微小変化させると、s^\hat{\mathbf{s}} 自身が位置のずれに応じてわずかに向きを変えることを考慮する必要があります。単位ベクトルの微分公式 δs^=δr/ρ\delta\hat{\mathbf{s}} = \delta\mathbf{r}_\perp/\rho を使うと、

δρ˙=s^δv+vrelδs^=s^δv+vrel,δrρ\delta\dot\rho = \hat{\mathbf{s}}\cdot\delta\mathbf{v} + \mathbf{v}_{rel}\cdot\delta\hat{\mathbf{s}} = \hat{\mathbf{s}}\cdot\delta\mathbf{v} + \frac{\mathbf{v}_{rel,\perp}\cdot\delta\mathbf{r}_\perp}{\rho} Hρ˙=[ 1ρvrelT(Is^s^T) , s^T ](1×6)H_{\dot\rho} = \left[\ \frac{1}{\rho}\mathbf{v}_{rel}^T\left(I-\hat{\mathbf{s}}\hat{\mathbf{s}}^T\right) \ , \ \hat{\mathbf{s}}^T\ \right] \qquad (1\times 6)

ドップラーは速度の視線方向成分に主感度(係数1)を持ちますが、興味深いことに位置の視線直交成分にもゼロではない感度を持ちます。係数は視線直交方向の相対速度 vrel,\mathbf{v}_{rel,\perp} を距離 ρ\rho で割った量です。これは、地上局の自転や探査機自身の軌道運動によって視線方向がゆっくり回転していく効果であり、次節でこの項の「弱さ」がDOP問題の核心になります。

DDOR (角度). DDORが測る到達時間差から求まる角度は、基線方向を向く単位ベクトル n^\hat{\mathbf{n}}(視線に直交する平面内、n^s^\hat{\mathbf{n}}\perp\hat{\mathbf{s}})への射影として

δθn^n^δrρ\delta\theta_{\hat{\mathbf n}} \approx \frac{\hat{\mathbf{n}}\cdot\delta\mathbf{r}_\perp}{\rho}

と書けます(前回導いた θ=arcsin(Bsinθ/(c))\theta=\arcsin(B\sin\theta/(c)) の式は基線1本ぶんの投影に相当し、ここではそれを一般化して視線直交平面内の任意方向の角度として扱います)。

Hθ=[ 1ρn^T , 0T ](1×6)H_{\theta} = \left[\ \frac{1}{\rho}\hat{\mathbf{n}}^T \ , \ \mathbf{0}^T\ \right] \qquad (1\times 6)

DDORは位置の視線直交成分だけに、係数 1/ρ1/\rho という速度にまったく依存しない形で直接感度を持ちます。東西基線・南北基線の2方向で測れば、視線直交平面内の2次元位置全体をカバーできます。

対応のまとめ

観測量主な感度副次的な感度
測距 ρ\rho位置・視線方向成分なし(視線直交位置・速度には厳密にゼロ)
ドップラー ρ˙\dot\rho速度・視線方向成分位置・視線直交成分(係数 vrel,/ρv_{rel,\perp}/\rho、弱い)
DDOR θ\theta位置・視線直交成分なし(速度には依存しない)

こうして並べると、視線方向の速度の視線直交成分(視線直交速度)は、どの観測量からも単独では直接測れないことが分かります。この成分は、後述するように複数時刻のDDOR観測を差分する(角度の時間変化率を見る)か、軌道の運動そのもの(状態遷移行列)を通じて間接的に炙り出す以外に手がありません。この点は最後の節でカルマンフィルタの話につなげます。

簡略化した2Dモデルで見るDOP

前節の結果を使って、「なぜ測距+ドップラーだけでは視線直交位置の決定精度が悪くなるのか」を具体的な数値で確認しましょう。

測距だけでは1個の未知数すら決まらない

視線直交位置の未知数 δr\delta r_\perp(視線直交平面内の1成分に単純化)だけに注目します。測距の観測方程式は δρ=δr\delta\rho = \delta r_\parallel であり、δr\delta r_\perp の係数は恒等的にゼロでした。つまり測距をどれだけ精密に測っても、それだけでは視線直交位置について何の情報も得られません。これは近似の話ではなく、s^s^=0\hat{\mathbf s}\cdot\hat{\mathbf s}_\perp=0 という直交性から来る厳密な結果です。

測距+ドップラーの条件数

ドップラーは弱いながらも δr\delta r_\perp に感度を持つので、原理上は測距+ドップラーだけでも視線直交位置を決定できるはずです。しかし、その「弱さ」がどれくらい深刻かを見てみましょう。1回のパス(追跡)で得られる測距とドップラーの観測方程式を、視線直交位置 δr\delta r_\perp と視線直交速度 δv\delta v_\perp(ここでは簡略化のため、視線方向の未知数は既によく決まっているとして無視します)の2元連立として書くと、

(δρδρ˙)(00vrel,/ρ0)(δrδv)\begin{pmatrix}\delta\rho \\ \delta\dot\rho\end{pmatrix} \approx \begin{pmatrix} 0 & 0 \\ v_{rel,\perp}/\rho & 0 \end{pmatrix}\begin{pmatrix}\delta r_\perp \\ \delta v_\perp\end{pmatrix}

この行列は明らかに特異(ランク欠損)です。δv\delta v_\perp の列がまるごとゼロなので、視線直交速度はこの1瞬の観測からは原理的に決まりません。視線直交位置の係数 vrel,/ρv_{rel,\perp}/\rho も、深宇宙の距離スケールでは絶望的に小さい数です。たとえば ρ=1 AU1.5×1011 m\rho = 1\ \text{AU} \approx 1.5\times10^{11}\ \text{m}、視線直交方向の相対速度が vrel,=5 km/sv_{rel,\perp}=5\ \text{km/s} 程度だとすると、

vrel,ρ5×1031.5×10113.3×108 s1\frac{v_{rel,\perp}}{\rho} \approx \frac{5\times10^3}{1.5\times10^{11}} \approx 3.3\times10^{-8}\ \text{s}^{-1}

というきわめて小さい感度係数になります。ドップラーの測定精度を σρ˙0.1 mm/s\sigma_{\dot\rho}\sim 0.1\ \text{mm/s}(104 m/s10^{-4}\ \text{m/s}、深宇宙標準受信機の代表的な精度)とすると、視線直交位置の推定誤差は

σr(Doppler)σρ˙vrel,/ρ1043.3×1083×103 m=3 km\sigma_{r_\perp}^{(\text{Doppler})} \approx \frac{\sigma_{\dot\rho}}{v_{rel,\perp}/\rho} \approx \frac{10^{-4}}{3.3\times10^{-8}} \approx 3\times10^{3}\ \text{m} = 3\ \text{km}

という、キロメートルオーダーの粗い精度にしかなりません。しかもこの数値は視線直交方向の相対速度 vrel,v_{rel,\perp} が偶然小さい幾何配置(視線方向がほとんど変化しない巡航期など)ではさらに悪化します。これが、DDORの回で述べた「探査機が地球から見てほぼ静止して見える幾何配置では、レンジ・ドップラーだけの軌道決定は視線直交方向の誤差が大きくなりがちである」という主張の、定量的な裏付けです。

DDORを加えると何が起きるか

同じ視線直交位置 δr\delta r_\perp に対して、DDORの観測方程式は δθ=δr/ρ\delta\theta = \delta r_\perp/\rho でした。DDORの角度測定精度は前回学んだ通り σθ\sigma_\theta\sim 数ナノラジアン(たとえば σθ=1 nrad=109 rad\sigma_\theta = 1\ \text{nrad}=10^{-9}\ \text{rad})ですから、

σr(DDOR)σθρ109×1.5×1011150 m\sigma_{r_\perp}^{(\text{DDOR})} \approx \sigma_\theta \cdot \rho \approx 10^{-9}\times 1.5\times10^{11} \approx 150\ \text{m}

となり、ドップラーだけの場合(約3 km)より1桁以上精度が改善します。これは、DDORの感度係数 1/ρ1/\rho が「速度」という不確かで場合によっては小さくなりうる量に依存せず、純粋に幾何学(角度)だけで決まる安定した係数だからです。ドップラーの感度係数 vrel,/ρv_{rel,\perp}/\rho が「小さな数を大きな距離で割った、さらに小さな数」であるのに対し、DDORの係数 1/ρ1/\rho は距離だけで決まり、視線直交方向の相対運動がどれだけ小さくても(あるいはゼロでも)劣化しません。これが、視線がほとんど動かない幾何配置(内惑星探査の巡航中など)でDDORが特に威力を発揮する理由です。

以上をまとめると、視線直交位置成分に関する**DOP(Dilution Of Precision, 精度低下率)**は、観測量ごとの感度係数の逆数として直感的に捉えられます。

DOPrσrσobs=gr1\text{DOP}_{r_\perp} \equiv \frac{\sigma_{r_\perp}}{\sigma_{\text{obs}}} = \left|\frac{\partial g}{\partial r_\perp}\right|^{-1}

測距では感度が厳密にゼロなのでDOPは無限大(原理的に決定不能)、ドップラーでは ρ/vrel,\rho/v_{rel,\perp} という巨大な値、DDORでは ρ\rho という(それでも大きいが)相対的に小さい値になります。次節では、この単一観測量の議論を、複数観測量・複数観測を同時に扱う一般的な最小二乗法の枠組みに拡張します。

観測方程式の線形化と重み付き最小二乗法

観測方程式のスタック

実際の軌道決定では、基準時刻 t0t_0 の状態 x0\mathbf{x}_0 を、時刻 t1,,tmt_1,\dots,t_m で得られた mm 個の観測値 z1,,zmz_1,\dots,z_m(測距・ドップラー・DDORが混在してよい)から推定します。運動方程式(重力・太陽輻射圧などを含む力学モデル)によって基準軌道 xref(t)\mathbf{x}_{ref}(t)t0t_0 から tit_i まで伝播できるので、時刻 tit_i における状態のずれは、状態遷移行列 Φ(ti,t0)\Phi(t_i,t_0)(基準軌道に対する線形化された力学の解、Φ(t0,t0)=I\Phi(t_0,t_0)=I)を使って

δx(ti)=Φ(ti,t0)δx0\delta\mathbf{x}(t_i) = \Phi(t_i,t_0)\,\delta\mathbf{x}_0

と、基準時刻でのずれ δx0\delta\mathbf{x}_0 に一次関係で結びつきます。したがって、時刻 tit_i での観測残差(実測値と基準軌道からの予測値の差)は、

Δzizigi(xref(ti))H~iδx(ti)+εi=H~iΦ(ti,t0)Hiδx0+εi\Delta z_i \equiv z_i - g_i(\mathbf{x}_{ref}(t_i)) \approx \tilde H_i\, \delta\mathbf{x}(t_i) + \varepsilon_i = \underbrace{\tilde H_i\,\Phi(t_i,t_0)}_{\displaystyle H_i}\,\delta\mathbf{x}_0 + \varepsilon_i

となります(H~i\tilde H_i は前節で求めた、その観測タイプに応じた 1×61\times 6 行、εi\varepsilon_i は測定雑音)。すべての観測をまとめると、

Δz=Hδx0+ε,H=(H1H2Hm)Rm×6,ε(0,R)\Delta\mathbf{z} = H\,\delta\mathbf{x}_0 + \boldsymbol{\varepsilon}, \qquad H = \begin{pmatrix}H_1\\H_2\\\vdots\\H_m\end{pmatrix}\in\mathbb{R}^{m\times 6}, \qquad \boldsymbol\varepsilon \sim (\mathbf 0, R)

という、mm本の線形方程式にまとまります。HH の各行が測距・ドップラー・DDORのどれに由来するかによって形が違うことは前節で見た通りで、軌道決定の情報を実際に運んでいるのはこの HH 行列そのものです。R=diag(σ12,,σm2)R=\mathrm{diag}(\sigma_1^2,\dots,\sigma_m^2) は観測雑音の共分散行列(異なる観測タイプは一般に精度が大きく違うため、対角成分は観測ごとにまちまちです)とします。

重み付き最小二乗解の導出

観測雑音の分散が観測タイプごとに大きく異なる(測距はメートル精度、ドップラーはmm/s精度、DDORはナノラジアン精度、というように単位も桁も違う)ため、単純な最小二乗ではなく、雑音の小さい観測ほど強く信頼する**重み付き最小二乗法(Weighted Least Squares, WLS)**を使います。重み行列を W=R1W=R^{-1} とし、残差の重み付き二乗和

J(δx0)=(ΔzHδx0)TW(ΔzHδx0)J(\delta\mathbf{x}_0) = \big(\Delta\mathbf{z}-H\delta\mathbf{x}_0\big)^T W \big(\Delta\mathbf{z}-H\delta\mathbf{x}_0\big)

を最小化します。δx0\delta\mathbf{x}_0 について勾配を取りゼロと置くと、

Jδx0=2HTW(ΔzHδx0)=0HTWHδx^0=HTWΔz\frac{\partial J}{\partial \delta\mathbf{x}_0} = -2H^TW\big(\Delta\mathbf{z}-H\delta\mathbf{x}_0\big) = \mathbf 0 \quad\Longrightarrow\quad H^TWH\,\delta\hat{\mathbf{x}}_0 = H^TW\Delta\mathbf{z}

という**正規方程式(normal equation)**が得られ、HTWHH^TWH が正則(フルランク)であれば、

 δx^0=(HTWH)1HTWΔz \boxed{\ \delta\hat{\mathbf{x}}_0 = \left(H^TWH\right)^{-1}H^TW\,\Delta\mathbf{z}\ }

という閉じた形の解が得られます。これが軌道決定における最小二乗解の標準形です。実務上は δx^0\delta\hat{\mathbf x}_0 が本当に微小とは限らないため、この解で基準軌道を更新し(xrefxref+δx^0\mathbf{x}_{ref}\leftarrow \mathbf{x}_{ref}+\delta\hat{\mathbf x}_0)、そのまわりで再び線形化してもう一度解く、という手続きを残差が収束するまで繰り返します。これを微分補正法(differential correction)、あるいは反復最小二乗法と呼びます。

前節のDOP論で「測距の HH 行がゼロになる」「ドップラーの係数が小さい」と述べたことは、ここでは**HTWHH^TWH がほとんど特異になる(あるいは条件数が非常に大きくなる)**という形で現れます。HTWHH^TWH が特異に近いと、その逆行列 (HTWH)1(H^TWH)^{-1} の一部の成分が極端に大きくなり、対応する状態成分(視線直交位置)の推定が雑音に対して極めて敏感になります。DDORの行を HH に加えることは、この行列に新しい・独立な方向の情報を注入し、特異性を解消する操作にほかなりません。

共分散行列と誤差楕円体

P=(HTWH)1P=(H^TWH)^{-1} の意味

観測雑音がガウス分布に従うとすると、WLS推定値 δx^0\delta\hat{\mathbf x}_0 の推定誤差共分散行列は

PCov(δx^0)=(HTWH)1P \equiv \mathrm{Cov}(\delta\hat{\mathbf x}_0) = \left(H^TWH\right)^{-1}

で与えられます(この結果は、線形ガウスモデルの範囲でクラメール・ラオ下界と一致する、達成可能な最良の精度でもあります)。PP6×66\times6 の対称行列で、対角成分がそれぞれの状態成分(位置3・速度3)の分散、非対角成分が成分間の相関を表します。

誤差楕円体としての幾何学的解釈

PP の固有値分解を P=QΛQTP = Q\Lambda Q^T(Λ=diag(λ1,,λ6)\Lambda=\mathrm{diag}(\lambda_1,\dots,\lambda_6)QQ は直交行列)とすると、推定誤差の等確率面

δxTP1δx=k2\delta\mathbf{x}^T P^{-1}\delta\mathbf{x} = k^2

は、QQ の列ベクトル(固有ベクトル)を主軸方向とし、各軸方向の半径が kλik\sqrt{\lambda_i}楕円体を描きます。これが軌道決定の「誤差楕円体」です。ある方向の固有値 λi\lambda_i が大きいということは、その方向の状態成分がデータからよく決まっていない(不確かさが大きい)ことを意味し、楕円体はその方向に長く伸びます。前節までの議論は、まさにこの言葉で言い換えられます。

  • 測距単独: HTWHH^TWH の視線直交方向に対応する固有値が実質ゼロに近く、楕円体は視線直交方向に無限に近く伸びる(その方向はまったく決まらない)。
  • 測距+ドップラー: 視線直交方向の固有値はゼロではないが非常に小さく、楕円体はその方向に大きく引き伸ばされた、非常に扁平な形になる。
  • 測距+ドップラー+DDOR: DDORの行が視線直交方向に対して直接かつ強い(係数 1/ρ1/\rho の)感度を持つため、その方向の固有値が大幅に増加し(不確かさが減り)、楕円体はほぼ球に近い、コンパクトな形に縮む。

つまり「複数の観測タイプを組み合わせることで誤差楕円体が縮小する」という現象は、幾何学的には**HH 行列に互いに独立な方向の行を追加していくことで、HTWHH^TWH の固有値のうち特に小さかったものが底上げされ、楕円体の最も伸びていた軸が縮む**という過程にほかなりません。楕円体の体積(の目安である detP=1/det(HTWH)\sqrt{\det P} = 1/\sqrt{\det(H^TWH)})も、行列式が特異点から離れるにつれて急激に小さくなります。測距・ドップラー・DDORはそれぞれ「視線方向位置」「視線方向速度」「視線直交位置」という互いにほぼ直交する方向の情報を運んでくるため、3種類を組み合わせることは、まさに楕円体を3方向から同時に押しつぶすことに相当します。

実務での使われ方

実際の惑星探査ミッションの軌道決定運用は、この最小二乗(あるいは後述のカルマンフィルタ)の枠組みをそのまま実装したソフトウェアの上で行われます。NASA/JPLでは伝統的にODP (Orbit Determination Program) が、近年ではその後継である MONTE (Mission analysis, Operations, and Navigation Toolkit Environment) が標準的な軌道決定ツールとして使われており、ESAも同種の軌道決定システムを運用しています。

  • 測距・ドップラーはほぼ日常的に取得されます。DSN(Deep Space Network)やESTRACK(European Space Tracking network)の1回の追跡パス(数時間)の間、地上局は測距とコヒーレントドップラーを連続的に記録し続けます。1回のパスの中でも地球の自転によって視線方向がわずかに回転するため、長時間のパスを1本使うだけでも、前節で見た「弱いが非ゼロ」なドップラーの視線直交感度がある程度蓄積され、視線直交位置の情報がにじみ出てきます。
  • DDORは間欠的に、しかし計画的に取得されます。DDORは2つの地上局の同時運用と、探査機・クエーサー間の交互観測という手間のかかる手順を要するため、測距・ドップラーほど頻繁には行われません。しかし巡航中は週に1〜2回、天体への接近運用など軌道決定精度がミッションの成否を左右する局面ではさらに高頻度で計画され、視線直交方向の情報を定期的に注入し続けます。
  • 複数パス分のデータを蓄積して精度を上げる運用が標準です。1回の観測セットだけで HTWHH^TWH が十分な条件数を持つとは限らないため、実際のOD運用では数日から数週間分の測距・ドップラー・DDORデータをまとめてバッチ最小二乗にかけ、軌道解を定期的に更新していきます。この「バッチ(一括処理)」のアプローチは、この回で導出した δx^0=(HTWH)1HTWΔz\delta\hat{\mathbf x}_0=(H^TWH)^{-1}H^TW\Delta\mathbf z をほぼそのまま実装したものです。
  • 一方で、観測データが到着するたびに逐次的に(過去のデータを毎回すべて再処理せずに)推定値を更新していく手法がカルマンフィルタです。カルマンフィルタは数学的にはこの回のバッチ最小二乗と等価な情報を、時間逐次的な形で扱う手法であり、リアルタイム性が求められる運用(接近フェーズ、軌道投入直前など)で好んで使われます。次々回以降で、この逐次推定の枠組みを扱います。
  • さらに天体への接近運用では、DDORの角度分解能をもってしても最終的に必要な精度(たとえば天体近傍での数十m〜数百mオーダーの相対位置精度)に届かない局面があります。そこでは探査機に搭載したカメラで天体そのものや周辺の恒星を撮像し、画像上の位置から相対航法情報を得る光学航法が補完的に使われます。次回はこの光学航法に軽く触れます。

演習問題

  1. 測距の観測行 Hρ=[s^T, 0T]H_\rho = [\hat{\mathbf s}^T,\ \mathbf 0^T] について、s^Tδr=0\hat{\mathbf s}^T \delta\mathbf r_\perp = 0 が任意の視線直交成分 δr\delta\mathbf r_\perp に対して恒等的に成り立つことを、射影行列 Is^s^TI-\hat{\mathbf s}\hat{\mathbf s}^T の性質(s^T(Is^s^T)=0T\hat{\mathbf s}^T(I-\hat{\mathbf s}\hat{\mathbf s}^T)=\mathbf 0^T)を使って示してください。

  2. 本文中の数値例では、ρ=1 AU\rho=1\ \text{AU}vrel,=5 km/sv_{rel,\perp}=5\ \text{km/s}σρ˙=0.1 mm/s\sigma_{\dot\rho}=0.1\ \text{mm/s} のときドップラー単独の視線直交位置精度がおよそ3 kmになることを見ました。もし vrel,v_{rel,\perp} が10倍小さい 0.5 km/s0.5\ \text{km/s}(視線方向がほとんど動かない幾何配置)だった場合、この精度はどう変化しますか。同じ条件でのDDOR単独の精度(σθ=1 nrad\sigma_\theta=1\ \text{nrad} のとき約150 m)と比較して、幾何配置が悪化するほどDDORの相対的な優位性がどう変わるか論じてください。

  3. ある2次元の簡略化された軌道決定問題で、視線直交位置の未知数 δr\delta r_\perp に対する2つの独立な測距観測(異なる時刻の、わずかに異なる視線直交感度 ϵ1,ϵ2\epsilon_1, \epsilon_2 を持つ)から得られる観測行列が H=(1ϵ11ϵ2)H=\begin{pmatrix}1 & \epsilon_1\\ 1 & \epsilon_2\end{pmatrix} で与えられるとします(δr\delta r_\parallelδr\delta r_\perp の2元系)。HTHH^TH の行列式が (ϵ1ϵ2)2(\epsilon_1-\epsilon_2)^2 に比例することを示し、追跡パス中に視線方向がほとんど変化しない(ϵ1ϵ2\epsilon_1\approx\epsilon_2)ほど推定精度が悪化することを、(HTH)1(H^TH)^{-1} の成分の大きさから説明してください。

  4. なぜ視線直交方向の速度成分は、測距・ドップラー・DDORのいずれの単一時刻の観測からも直接は求まらないのでしょうか。本文中の観測行列のまとめ表を踏まえて理由を説明し、この成分を推定するにはどのような工夫(観測の種類・タイミングの面で)が必要かを、自分の言葉で議論してください。

まとめと次回予告

測距・ドップラー・DDORは、それぞれ探査機の6次元状態ベクトルのうち「視線方向位置」「視線方向速度」「視線直交位置」という、互いにほぼ独立な方向の情報を運ぶ観測量でした。測距とドップラーだけに頼ると、視線直交方向の位置(とりわけ視線方向がほとんど変化しない幾何配置における位置)の決定精度が原理的に悪化する(DOPが大きくなる)ことを、簡略化した2Dモデルと観測行列の直交性から確認しました。この問題は、観測方程式を線形化して得られる観測行列 HH をスタックし、重み付き最小二乗法 δx^0=(HTWH)1HTWΔz\delta\hat{\mathbf x}_0=(H^TWH)^{-1}H^TW\Delta\mathbf z で解くという統一的な枠組みの中で、「HH に独立な行を追加して誤差楕円体を縮める」問題として定式化できることも見ました。

次回は、この最小二乗による軌道決定を、観測が届くたびに逐次更新していくカルマンフィルタの枠組みに拡張します。今回のバッチ処理(蓄積したデータを一括で処理する)に対して、カルマンフィルタは時間発展する力学モデルと観測モデルを組み合わせ、リアルタイムに近い形で軌道推定を更新し続ける手法であり、この回で導いた HH 行列と共分散行列 PP がそのままカルマンフィルタの核心部品として再登場します。あわせて、天体近傍での接近運用を支える光学航法(カメラ画像による相対位置推定)にも軽く触れ、電波航法との役割分担を見ていきます。

参考文献

  • B. D. Tapley, B. E. Schutz, G. H. Born, Statistical Orbit Determination, Elsevier Academic Press
  • O. Montenbruck, E. Gill, Satellite Orbits: Models, Methods, and Applications, Springer
  • J. H. Yuen (ed.), Deep Space Telecommunications Systems Engineering, JPL Publication 82-76
  • DSN Telecommunications Link Design Handbook, DSN No. 810-005(Navigation関連モジュール)
  • CCSDS 506.0-B, Delta-DOR Technique