システム・運用#199

リンクマージンのモンテカルロ評価 — ワーストケース積み上げから統計的リンク設計へ

全パラメータの最悪値を線形に積み上げるワーストケース設計は、確率的にはほぼ起こりえない条件に合わせた過剰な保守設計になりがちである。リンクバジェットの各項を確率分布としてモデル化し、RSS法とその限界、モンテカルロ・シミュレーションによる「マージン>0の確率」としてのリンク信頼度評価、必要試行回数、そして過剰マージンの機会損失までを数式で定式化する。

前提知識: リンク可用性 — 「ある瞬間」のリンクバジェットから「ミッション期間全体」の統計的評価へリンク設計プロセスの実践ウォークスルー — 架空の火星探査ミッションで通しで計算する

モンテカルロ法リンクマージン統計的リンク設計RSS法リンク信頼度

この回で学ぶこと

リンク設計プロセスの実践ウォークスルーでは、架空の火星探査機を例に、EIRPから最終マージンまでをdB表記の足し算・引き算として通しで計算し、+3.3+3.3 dBという1つの数値に到達しました。しかしあの計算には、意図的に触れなかった重大な問いが残っています。表に書き込んだ数値は、どれくらい信用できるのか? 送信機出力は温度や経年で変動し、アンテナ利得の実測値は設計値からずれ、地上局の G/TG/T は天候と仰角で上下し、符号化利得のカーブは実装によって数割違います。リンクバジェット表の各行は、実際には1つの点ではなく、幅を持った分布なのです。

伝統的な対処法は、各項の「最悪値」を想定してすべて積み上げるワーストケース設計でした。しかしリンク可用性の回で固定マージン設計の過剰性を見たのと同じ構造の問題が、ここにも現れます。すべてのパラメータが同時に最悪値を取る事象は、確率的にはほとんど起こりえないのです。この回では、あの回で降雨減衰などの時間率統計に対して導入した確率的な発想を、リンクバジェットを構成するすべての誤差要因に拡張します。具体的には次の4つを扱います。

  1. ワーストケース線形加算の定式化と、その過度な保守性の確率論的な説明
  2. 統計的リンクバジェット — 各パラメータの確率分布モデル化と、分散の平方和根(RSS法)σtotal=iσi2\sigma_{total}=\sqrt{\sum_i \sigma_i^2} による解析的評価、およびその限界
  3. モンテカルロ・シミュレーション — サンプリング、リンク方程式の反復評価、マージン分布の推定、「マージン 0\ge 0 の確率」としてのリンク信頼度の定義と、必要試行回数の見積もり
  4. ワーストケース設計との定量比較と、過剰マージンが奪っていた機会損失(本来ならデータレートを上げられたはずの帯域)の評価

直感的導入 — 全員が同時に遅刻することはあるか

10人のメンバーで会議を開くとします。各メンバーの到着時刻には ±5\pm 5 分程度のばらつきがあるとして、「全員が揃う時刻」を保証したければ、最悪ケースでは全員が5分遅刻する場合に備えることになります。しかし、10人が全員同時に最大限遅刻する確率はどれほどでしょうか。各人の遅刻が独立なら、それは個々の確率の積であり、ほとんどゼロです。現実には、誰かが遅れれば誰かは早く着いており、ばらつきは互いに打ち消し合います。統計学の言葉で言えば、独立な誤差の和のばらつきは、個々のばらつきの線形和ではなく、平方和の平方根でしか成長しません。

リンクバジェットはdB表記では純粋な足し算なので、この構造がそのまま当てはまります。10個の誤差要因がそれぞれ ±0.5\pm 0.5 dBの幅を持つとき、ワーストケースの積み上げは ±5\pm 5 dBですが、独立な誤差の標準偏差の合成は 10×\sqrt{10}\times(1項の標準偏差)、つまり線形和の 1/100.321/\sqrt{10}\approx 0.32 倍程度にしかなりません。ワーストケース設計は、この差の分だけ「ほぼ起こらない条件」のためにマージンを積み、そのマージンの分だけデータレートを下げて運用していることになります。深宇宙リンクの1 dBは、リンク設計ウォークスルーで見たようにデータレート約26%に相当します。数dBの過剰マージンは、ミッションが持ち帰れたはずの科学データの数十%を、起こらない最悪ケースへの保険として捨てていることを意味するのです。

この回の主役であるモンテカルロ・シミュレーションは、この直感を最も素直に数値化する方法です。「各パラメータをサイコロとして振り、リンクバジェットを何万回も計算し直し、マージンがマイナスになった回数を数える」——それだけで、どんな複雑な分布・相関・非線形性があっても、リンクが成立する確率を直接推定できます。

ワーストケース積み上げの定式化とその保守性

まず従来法を式にします。リンクマージン MM は、dB表記のリンクバジェットの各項 X1,,XnX_1, \ldots, X_n(EIRP、Lpath-L_{path}G/TG/T、変調損失、符号化利得、10log10Rb-10\log_{10}R_b、要求 Eb/N0E_b/N_0 の逆符号、など)の和として書けます。

M=i=1nXiM = \sum_{i=1}^{n} X_i

各項の設計値(公称値)を Xˉi\bar{X}_i、そこからの不利側への最大ずれ(adverse tolerance、逆公差)を ai0a_i \ge 0 とすると、ワーストケースマージンは全項の最悪値を線形に積み上げた

Mwc=i=1nXˉii=1nai=Mˉi=1naiM_{wc} = \sum_{i=1}^{n} \bar{X}_i - \sum_{i=1}^{n} a_i = \bar{M} - \sum_{i=1}^{n} a_i

であり、ワーストケース設計の成立条件は Mwc0M_{wc} \ge 0 です。この条件は、各 XiX_i が区間 [Xˉiai, Xˉi+ai][\bar{X}_i - a_i,\ \bar{X}_i + a_i] の中にある限り、確率100%でリンク成立を保証します。問題はその代償です。

各項のずれ εi=XiXˉi\varepsilon_i = X_i - \bar{X}_i を独立な確率変数とみなしましょう。ワーストケース M=MwcM = M_{wc} が実現するのは、全項が同時に不利側の端 εi=ai\varepsilon_i = -a_i に張り付いたときだけです。連続分布ならこの事象の確率は厳密にゼロであり、「全項が不利側の端から10%以内に入る」という緩めた事象ですら、各項につき確率5%とすれば n=6n=6 項で 0.0561.6×1080.05^6 \approx 1.6\times10^{-8} ——ミッション期間中に一度も起こらないと考えてよい水準です。ワーストケース設計は、この事実上起こらない一点に合わせて iai\sum_i a_i という線形和のマージンを常時確保し続ける設計だと言えます。

統計的リンクバジェット — 確率分布モデル化とRSS法

各項を確率変数としてモデル化する

統計的リンクバジェットでは、各項を平均 μi=E[Xi]\mu_i = \mathbb{E}[X_i] と分散 σi2=Var[Xi]\sigma_i^2 = \mathrm{Var}[X_i] を持つ確率変数として扱います。分布の形は項の物理的性質から選びます。

  • 製造公差・実装損失(アンテナ利得の実測ずれ、回路損失など): 公差幅 [ ⁣ai,+ai][\!-a_i, +a_i] の中でどこに落ちるか事前情報がなければ一様分布を仮定します。このとき σi=ai/3\sigma_i = a_i/\sqrt{3} です。
  • 設計値の周りに集中する項(送信機出力の温度変動など): 端よりも中央が出やすいなら三角分布(σi=ai/6\sigma_i = a_i/\sqrt{6})や、公差を ±3σ\pm 3\sigma とみなす正規分布を使います。
  • 片側にしか出ない項(アンテナ指向損失は必ず損失側、降雨減衰は必ず正): 非対称な分布(指向損失なら指向誤差のRayleigh分布から誘導される分布、降雨減衰なら対数正規分布)でモデル化します。

RSS法 — 分散の平方和根

XiX_i が互いに独立であれば、和の平均と分散は厳密に

μM=i=1nμi, σtotal=i=1nσi2 \mu_M = \sum_{i=1}^{n} \mu_i, \qquad \boxed{\ \sigma_{total} = \sqrt{\sum_{i=1}^{n} \sigma_i^2}\ }

となります。この σtotal\sigma_{total} の計算法を RSS法(Root Sum of Squares) と呼びます。分散が線形和で合成される(したがって標準偏差は平方和根でしか増えない)というこの性質こそが、直感的導入で述べた「独立な誤差は打ち消し合う」の数学的実体です。

さらに項数 nn がある程度多ければ、中心極限定理により MM の分布は正規分布 N(μM,σtotal2)\mathcal{N}(\mu_M, \sigma_{total}^2) で近似できます。するとリンク信頼度(リンクが成立する確率)は閉じた形で

Plink=Pr[M0]Φ ⁣(μMσtotal)P_{link} = \Pr[M \ge 0] \approx \Phi\!\left(\frac{\mu_M}{\sigma_{total}}\right)

と書けます(Φ\Phi は標準正規分布の累積分布関数)。逆に、要求信頼度 PP^\ast を与えれば、必要な平均マージンは

μM  zPσtotal,zP=Φ1(P)\mu_M \ \ge\ z_{P^\ast}\,\sigma_{total}, \qquad z_{P^\ast} = \Phi^{-1}(P^\ast)

と逆算できます。たとえば P=97.7%P^\ast = 97.7\% なら z2z \approx 299.87%99.87\% なら z3z \approx 3 ——これが実務でよく言われる「平均マージンが 2σ2\sigma(あるいは 3σ3\sigma)以上あること」という設計基準の正体です。ワーストケース設計の要求 μMiai\mu_M \ge \sum_i a_i と比べると、RSS基準の要求は ziσi2z\sqrt{\sum_i \sigma_i^2} であり、項数が増えるほど両者の差(=ワーストケース設計の過剰分)は開いていきます。

RSS法の限界

RSS+正規近似は解析的で見通しが良い一方、次の前提が崩れると精度を失います。

  1. 分布の非対称性・裾の重さ。 降雨減衰の対数正規分布や指向損失のような片側分布では、σi\sigma_i という2次モーメントだけでは裾の確率を正しく表せません。PlinkP_{link} として99.9%のような裾の値を問うとき、正規近似は分布の裾の形にもっとも敏感な領域を使うことになり、誤差が最大化されます。
  2. 項間の相関。 可用性の回で独立性の仮定の限界に触れたのと同じ問題です。たとえば悪天候は、大気減衰の増加と、雨滴・雲からの熱放射による地上局システム雑音温度の上昇(=G/TG/T の劣化)を同時に引き起こします。正の相関がある損失項同士に独立を仮定してRSSすると、σtotal\sigma_{total} を過小評価し、信頼度を過大評価する危険側の誤りになります。
  3. 非線形性・しきい値効果。 リンクバジェットはdBでは線形ですが、受信機の搬送波ループがロックを外すしきい値や、符号化利得がBER目標値に依存して変わる効果など、「マージンの定義そのものがパラメータに非線形に依存する」構造はRSSの枠組みに乗りません。
  4. 項数が少ない場合の中心極限定理の破れ。 支配的な項が1〜2個しかない場合、和の分布はその支配項の分布の形を色濃く残し、正規近似は成り立ちません。

これらすべてを一挙に解決するのが、次節のモンテカルロ・シミュレーションです。

モンテカルロ・シミュレーションによるリンク信頼度評価

アルゴリズム

モンテカルロ法の考え方は素朴です。解析的に分布を合成する代わりに、乱数で「ありえた世界」を大量に生成し、その各世界でリンクバジェットを丸ごと計算し直すのです。

  1. 分布のモデル化: 各パラメータ XiX_i に確率分布 fif_i を割り当てる(製造試験データ、ITU-R降雨統計、メーカー公差、過去ミッションの実測値などから)。相関がある項は同時分布あるいは条件付き分布としてモデル化する。
  2. サンプリング: 試行 k=1,,Nk = 1, \ldots, N について、乱数で x1(k),,xn(k)x_1^{(k)}, \ldots, x_n^{(k)} を引く。
  3. リンク方程式の評価: 各試行についてウォークスルーの回の手順そのままにリンクバジェットを計算し、マージン M(k)M^{(k)} を得る。しきい値効果や非線形依存があれば、この評価関数の中にそのまま実装すればよい。
  4. マージン分布と信頼度の推定: NN 個の M(k)M^{(k)} のヒストグラムがマージンの分布そのものであり、リンク信頼度は指示関数の標本平均
 P^link=1Nk=1N1[M(k)0] \boxed{\ \hat{P}_{link} = \frac{1}{N}\sum_{k=1}^{N} \mathbf{1}\big[M^{(k)} \ge 0\big]\ }

として推定される。同じ標本から、任意のパーセンタイル点——たとえば「99%の確率で確保されるマージン」M99M_{99}(M(k)M^{(k)} の下側1%点)——も直接読み取れる。設計基準「M990M_{99} \ge 0」は「Plink99%P_{link} \ge 99\%」と等価です。

RSS法との決定的な違いは、ステップ3が任意の計算でよいことです。分布が非対称でも、項が相関していても、リンク方程式の中にif文(ループロック判定など)が入っていても、評価関数を正しく書きさえすれば、推定量 P^link\hat{P}_{link} は大数の法則により真の PlinkP_{link} に収束します。

必要試行回数

P^link\hat{P}_{link} は二項分布に従う標本平均なので、その標準誤差は

SE[P^link]=Plink(1Plink)N\mathrm{SE}[\hat{P}_{link}] = \sqrt{\frac{P_{link}(1 - P_{link})}{N}}

です。実務で問題になるのは信頼度そのものより非成立確率 pout=1Plinkp_{out} = 1 - P_{link}(小さい値)の推定精度です。poutp_{out} を相対誤差 δ\delta(標準誤差/真値)で推定するのに必要な試行回数は、

δ=1poutpout(1pout)N N=1poutpoutδ21poutδ2 \delta = \frac{1}{p_{out}}\sqrt{\frac{p_{out}(1-p_{out})}{N}} \quad\Longrightarrow\quad \boxed{\ N = \frac{1 - p_{out}}{p_{out}\,\delta^2} \approx \frac{1}{p_{out}\,\delta^2}\ }

たとえば pout=103p_{out} = 10^{-3}(信頼度99.9%)を相対誤差10%で推定するには N1/(103×0.01)=105N \approx 1/(10^{-3} \times 0.01) = 10^5 回の試行が必要です。目安として「非成立イベントを約100回観測できる試行数(N100/poutN \approx 100/p_{out})で相対誤差約10%」と覚えておくと便利です。リンクバジェット1回の評価はdBの足し算が主体で計算コストはごく軽いため、10510^510710^7 回程度の試行は現代の計算機では数秒で終わります。それでも pout=106p_{out} = 10^{-6} 級の極めて高い信頼度を検証したい場合は素朴なサンプリングでは 10810^8 回が必要になり、非成立領域を重点的にサンプリングする**重点サンプリング(importance sampling)**などの分散低減法が使われます。

数値例 — ワーストケースとの定量比較

ウォークスルーの回の火星探査機「MRO-X」(公称マージン Mˉ=+3.3\bar{M} = +3.3 dB)に、各項の逆公差を次のように割り当てたとします。

誤差要因逆公差 aia_i [dB]ai2a_i^2
送信機出力(温度・経年変動)0.50.25
HGA利得・指向損失0.40.16
地上局 G/TG/T(仰角・天候変動)0.70.49
変調損失・実装損失0.30.09
符号化利得の実装差0.40.16
大気減衰の変動0.50.25
合計2.81.40

ワーストケース評価では、保証マージンは Mwc=3.32.8=+0.5M_{wc} = 3.3 - 2.8 = +0.5 dB。かろうじて正ですが、設計者はこの0.5 dBを見て「データレートを上げる余地はほぼない」と判断するでしょう。

統計的評価では、各項を幅 ±ai\pm a_i の一様分布(互いに独立)とすると σi=ai/3\sigma_i = a_i/\sqrt{3} なので、

σtotal=iai23=1.4030.68 dB\sigma_{total} = \sqrt{\frac{\sum_i a_i^2}{3}} = \sqrt{\frac{1.40}{3}} \approx 0.68\ \text{dB}

マージンは近似的に N(3.3, 0.682)\mathcal{N}(3.3,\ 0.68^2) に従い、リンク非成立確率は

poutΦ ⁣(3.30.68)=Φ(4.8)7×107p_{out} \approx \Phi\!\left(-\frac{3.3}{0.68}\right) = \Phi(-4.8) \approx 7\times10^{-7}

ワーストケース評価が「余裕は0.5 dBしかない」と告げていた同じリンクが、確率の言葉では「100万回に1回も落ちない」リンクだったのです。モンテカルロで同じ問題を N=105N=10^5 回評価すれば、非成立試行はほぼ観測されず、マージンのヒストグラムが平均3.3 dB・標準偏差約0.7 dBの釣鐘型に収まることが確認できます(一様分布6個の和はすでに正規分布に極めて近く、この例ではRSS+正規近似とモンテカルロはよく一致します。両者がずれ始めるのは、前述の非対称分布・相関・しきい値効果を入れたときです)。

過剰マージンの機会損失

この差は学術的な趣味の問題ではなく、捨てていたデータレートとして跳ね返ります。要求信頼度を P=99.9%P^\ast = 99.9\%(z3.09z \approx 3.09)としましょう。統計的設計で必要な平均マージンは

μMreq=3.09×0.682.1 dB\mu_M^{req} = 3.09 \times 0.68 \approx 2.1\ \text{dB}

現状の3.3 dBとの差、約 1.21.2 dBはデータレートに転用できます。データレート規格化項 10log10Rb10\log_{10}R_b の関係から、

RbRb=101.2/101.32\frac{R_b'}{R_b} = 10^{1.2/10} \approx 1.32

すなわち160 kbpsのダウンリンクを約210 kbps、+32%に増速しても、なお信頼度99.9%を維持できたことになります。ワーストケース設計に固執した場合の増速余地は 100.5/101.1210^{0.5/10} \approx 1.12 倍(約179 kbps)止まりです。ミッション期間全体で見れば、この差は持ち帰れる科学データ量の数十%に相当します。可用性の回の言葉を借りれば、ワーストケース設計は「p0p \to 0 の極限の統計的マージン」であり、有限の許容非成立確率を受け入れることで、その極限に払っていた保険料を回収するのが統計的リンク設計です。

なお、この回の枠組みと可用性の回の枠組みの関係を整理しておきます。あの回では降雨・太陽合・スケジューリングという少数の劣化要因の時間率統計から可用性 A=Pr[M(t)0]\mathcal{A} = \Pr[M(t) \ge 0] を求めました。この回はその確率的な扱いを、リンクバジェットの全構成項の不確かさ——時間変動(偶然的; aleatory)だけでなく、実測するまで真値が分からない製造公差・実装差のような認識論的(epistemic)不確かさも含む——に拡張したものです。両者は同じ Pr[M0]\Pr[M \ge 0] という形をしていますが、前者は「1機の探査機が時間軸上で経験する変動」、後者は「ありえた設計・環境の集合(アンサンブル)にわたるばらつき」を平均しており、モンテカルロはこの2種類の不確かさを同じ枠組みで一括して扱える点に強みがあります。

実務での使われ方

統計的リンクバジェットは、JPLでは1960年代から実務化されてきた歴史ある手法です。DSN Telecommunications Link Design Handbook (DSN No. 810-005) が規定するLink Design Control Table(LDCT)は、ウォークスルーの回で見た「設計値の1列」だけの表ではなく、各項について設計値・有利側公差(favorable tolerance)・不利側公差(adverse tolerance)の3値を記入し、項ごとに仮定した分布(一様・三角など)から平均と分散を計算して合成する形式になっています。最終行には平均マージンと合成標準偏差 σtotal\sigma_{total} が並び、「平均マージン  2σ-\ 2\sigma(クリティカルなリンクでは 3σ3\sigma)が正であること」という統計的基準でリンク成立が判定されます。JPLの教科書であるYuen編 Deep Space Telecommunications Systems Engineering にも、この平均・分散ベースの設計管理手法が一章を割いて記述されています。また810-005は大気減衰・システム雑音温度への天候の影響を気象パーセンタイル(例: 累積分布90%点の天候、いわゆる「90% weather」)として与えており、設計者は要求可用性に応じたパーセンタイル値を表から引いてリンクバジェットに入れます。これは可用性の回で見た時間率統計の考え方が、ハンドブックの標準的なデータ形式にまで浸透している例です。

CCSDSと降雨減衰の可用性ベース設計

CCSDSの無線周波数・変調標準 CCSDS 401.0-B は、リンク設計の前提となる周波数帯・変調方式のパラメータを規定しており、加盟各機関のリンクバジェット実務はこの上で行われます。Ka帯以上のリンクでは、ITU-R勧告P.618が定める降雨減衰の年間超過確率モデルを用いて、「年間可用性99%(または99.5%など)に対応する降雨減衰値」をリンクバジェットの1行として計上する可用性ベース設計が標準です。ここで重要なのは、降雨のような裾の重い(対数正規型の)分布を持つ項は、まさにRSS+正規近似が苦手とする非対称項だという点です。実務では「降雨はP.618のパーセンタイル値で計上し、残りの対称的な公差項をRSSで合成する」という折衷や、全項をまとめてモンテカルロに投げる方法が併用されます。ESAやJAXAのミッションでも、設計審査(PDR/CDR)に提出されるリンクバジェット文書には公称値・公差・統計的マージン基準が明記され、モンテカルロによる感度解析が裏付け資料として添付されるのが一般的な実務となっています。

モンテカルロが選ばれる場面

RSSで十分な場面にまでモンテカルロを持ち出す必要はありません。実務でモンテカルロが選ばれる典型は、(1) 太陽合前後やKa帯運用のように非対称・重裾の損失項が支配的なとき、(2) 天候のように複数項(大気減衰と雑音温度)に同時に効く相関要因があるとき、(3) ACMのような適応制御やループロックしきい値など、マージン評価関数自体に非線形なロジックが入るとき、(4) 軌道・幾何の時間変化と組み合わせて「ミッション全期間×パラメータ不確かさ」の2次元で統計を取りたいとき、です。特に(4)は、リンク設計ソフトウェアが軌道伝播とリンクバジェット評価を組み合わせて、パス計画の全時間ステップでマージン分布を吐き出す、という形で日常的に運用されています。

演習問題

  1. 本文の公差表を使い、ワーストケースマージン MwcM_{wc} とRSSによる σtotal\sigma_{total} を自分で計算し直してください。次に、各項の分布を一様分布ではなく「公差 aia_i±3σ\pm 3\sigma とみなす正規分布」(σi=ai/3\sigma_i = a_i/3)に変更した場合の σtotal\sigma_{total} と、そのときの非成立確率 pout=Φ(μM/σtotal)p_{out} = \Phi(-\mu_M/\sigma_{total}) を求め、一様分布仮定の結果と比較してください(平均マージンは μM=3.3\mu_M = 3.3 dBのまま)。分布の仮定の違いが信頼度の見積もりをどれだけ動かすかに注目すること。

  2. リンク非成立確率が pout5×104p_{out} \approx 5\times10^{-4} 程度と見込まれるリンクについて、poutp_{out} を相対誤差5%(標準誤差ベース)で推定したい。必要な試行回数 NN を本文の公式から求めてください。また、その NN 回の試行で観測される非成立イベント数の期待値はいくつになるか答えてください。

  3. あるモンテカルロ評価で N=20,000N = 20{,}000 回の試行のうち非成立が34回観測されました。p^out\hat{p}_{out} とその標準誤差を求め、95%信頼区間(p^out±1.96SE\hat{p}_{out} \pm 1.96\,\mathrm{SE})を構成してください。この結果から「このリンクの信頼度は99.9%以上である」と主張できるか、理由とともに述べてください。

  4. 本文の数値例で、要求信頼度を99.9%から99%(z2.33z \approx 2.33)に緩めた場合、統計的設計が許容する最大データレートは何kbpsになるか計算してください(公称160 kbps、μM=3.3\mu_M = 3.3 dB、σtotal=0.68\sigma_{total} = 0.68 dB)。またその結果を踏まえ、「どのミッションフェーズなら99%要求で運用してよいか」を、可用性の回で学んだフェーズごとの可用性目標の考え方と結びつけて論じてください。

まとめと次回予告

この回では、リンク設計ウォークスルーで組み立てた決定論的なリンクバジェットに「各項の不確かさ」という次元を加え、リンクマージンを確率変数として扱う統計的リンク設計を定式化しました。ワーストケース線形加算 Mˉiai\bar{M} - \sum_i a_i は確率ほぼゼロの事象に合わせた過剰な保守設計であること、独立な誤差はRSS法 σtotal=iσi2\sigma_{total} = \sqrt{\sum_i \sigma_i^2} でしか成長しないこと、そして非対称分布・相関・非線形性というRSSの限界を、サンプリングとリンク方程式の反復評価によって一挙に乗り越えるのがモンテカルロ・シミュレーションであることを見ました。リンク信頼度 P^link=1Nk1[M(k)0]\hat{P}_{link} = \frac{1}{N}\sum_k \mathbf{1}[M^{(k)} \ge 0] の推定には非成立イベントを約100回観測できる試行数(N100/poutN \approx 100/p_{out})が目安になること、そして統計的設計はワーストケース設計が積んでいた過剰マージンをデータレート(本文の例では+32%)として回収できることを、数値例で確認しました。DSN 810-005のLink Design Control Tableが平均・分散・2σ2\sigma基準を標準形式として備えていることが示すように、これは特殊な高等テクニックではなく、深宇宙リンク設計の実務の標準的な姿です。

さて、統計的設計でマージンを最適化しても、リンクのコストの大半を占めるのは巨大な地上局そのものです。次回は視点を設備投資の側に移し、1つの地上局を複数のミッション・複数の機関で共有することでコストを分担する地上局共有の経済性——アンテナ時間の値付け、商用地上局サービスとの使い分け——を扱います。

参考文献

  • DSN Telecommunications Link Design Handbook, DSN No. 810-005 (Link Design Control Table, Atmospheric and Environmental Effects)
  • J. H. Yuen (ed.), Deep Space Telecommunications Systems Engineering, JPL Publication 82-76
  • CCSDS 401.0-B, Radio Frequency and Modulation Systems, Part 1: Earth Stations and Spacecraft
  • ITU-R Recommendation P.618, Propagation Data and Prediction Methods Required for the Design of Earth-Space Telecommunication Systems
  • J. R. Wertz, D. F. Everett, J. J. Puschell (eds.), Space Mission Engineering: The New SMAD
  • R. Y. Rubinstein, D. P. Kroese, Simulation and the Monte Carlo Method, Wiley