システム・運用#203
科学データの自律トリアージ — 探査機自身が「何を送り、何を捨てるか」を決める
観測機器が生むデータ量はダウンリンク容量を桁で上回る。この不可避のミスマッチを、価値vs容量のナップサック問題として定式化し、価値密度による貪欲法の近似度と限界、ルールベースから機械学習まで含む価値推定器の設計、false negativeのリスク管理、サムネイル先行の2段階ダウンリンク、そして耐放射線プロセッサの計算制約までを、EO-1のASEや火星探査車の実例とともに数式で追う。
前提知識: マスメモリとオンボードデータ蓄積 — 可視時間の外で生まれるデータをどう守るか
この回で学ぶこと
マスメモリとオンボードデータ蓄積の回では、観測データが生成される時間帯とダウンリンクできる時間帯がずれること、その緩衝材としてマスメモリが必要になることを見ました。そこでは「メモリに入りきらないとき何を残すか」という保存順位の問題にも触れましたが、議論は「地上のミッション設計者があらかじめ決めた優先度クラスに従う」という静的な枠組みで止まっていました。
この回で扱うのは、そこから一歩踏み込んだ問いです。メモリに無事に入ったデータのうち、限られたダウンリンク容量に載せられるのはさらにその一部でしかない。では「どれを送るか」を、地上からの指示を待たずに探査機自身が判断できるか。
この判断を機上で行う技術を、本稿では**科学データの自律トリアージ(autonomous science data triage)**と呼びます。医療のトリアージと同じく、資源(ここではダウンリンクのビット)が全員分には足りないという前提のもとで、限られた資源を最も効果の大きい対象に配分する意思決定です。
扱う論点は5つです。(1) 生成量とダウンリンク容量の桁違いのミスマッチという出発点。(2) 選別問題のナップサック問題としての定式化と、価値密度による貪欲法の近似性能。(3) 科学価値 を機械にどう推定させるか、そして誤判定のリスク管理。(4) サムネイル先行の2段階ダウンリンク戦略と、往復遅延とのトレードオフ。(5) 耐放射線プロセッサの計算能力という、地上のAIの常識が通用しない現実的制約。
直感的導入: 送れないデータのほうが圧倒的に多い
まず問題の規模感を数字で掴みましょう。ある惑星周回機に、1枚あたり 画素、1画素12ビットの高解像度可視カメラが載っているとします。1枚の生データ量は
です。画像圧縮で仮に4分の1まで落とせたとしても1枚6MB強。この機体が1日に数百枚撮像するなら、1日の生成量は数GBのオーダーになります。
一方でダウンリンク側はどうか。深宇宙の周回機がDSNから1日8時間のトラッキングを割り当てられ、平均500 kbpsでダウンリンクできたとすると、1日に送れる量は
生成が数GB、送れるのが約1.8GB。ここまでなら「少し足りない」程度に見えますが、実際の惑星探査ではこの比がもっと激しくなります。火星軌道からの通信では距離とアンテナ規模の制約から平均レートが数十kbpsまで落ちることも珍しくなく、その場合の1日容量は数百MBのオーダーです。生成側は観測機器の高性能化で年々増える一方、ダウンリンク側はリンクバジェットという物理法則に縛られてほとんど増えません。この乖離は構造的であり、圧縮技術の改善だけでは埋まりません。
そこで発想を転換します。全部を送るのを諦め、「送る価値のあるもの」だけを選ぶ。 そしてその選択を地上で行うには、そもそも選ぶための情報(どんな画像が撮れたか)を地上に送らねばならず、鶏と卵になります。ならば探査機自身に選ばせよう——これが自律トリアージの動機です。
選別問題の定式化
ナップサック問題としての定式化
機上のメモリに 個のデータ製品(画像1枚、スペクトル1本、観測1セッション分のログなど)が蓄えられているとします。各製品 に対して、
- : そのデータ製品のサイズ(bit)
- : そのデータ製品の科学価値(スカラーの実数、大きいほど価値が高い)
を割り当てます。次のダウンリンクウィンドウで送れる総ビット数を とし、製品 を送るかどうかを二値変数 で表すと、問題は次のように書けます。
これは典型的な0-1ナップサック問題です。マスメモリの回では同じ形の式が「メモリ容量 に何を残すか」として現れましたが、今回は制約がダウンリンク容量 に変わっています。数学的構造は同じでも、意思決定の意味も、 の定義も異なります。保存順位では「今後まだ使えるかもしれない可能性」が価値でしたが、ダウンリンク順位では「地上の科学者にとっての情報量」が価値です。
貪欲法とその近似性能
0-1ナップサック問題はNP困難です。しかし制約を緩めて を許す連続緩和(fractional knapsack)にすると、驚くほど簡単な最適解が得られます。各製品の価値密度
を計算し、 の降順に並べ替えて、容量が尽きるまで順に詰めていく。最後の1個だけ端数として分割する——これが連続緩和の厳密最適解であることは、交換論法(密度の低いものを高いものに置き換えると必ず総価値が増える)で証明できます。
問題は、実際には画像を「0.37枚だけ送る」ことができない点です。そこで分割せずに整数のまま貪欲に詰める**貪欲法(greedy algorithm)**を使いますが、この近似解は最悪の場合いくらでも悪くなり得ます。典型的な反例を見ましょう。容量 、製品が2つ:
- 製品A: , →
- 製品B: , →
貪欲法は密度の高いAを先に取り、残容量99にはBが入らないので総価値2で終了します。最適解はBのみを取って総価値100です。近似率は で、任意に悪くできます。
この病理を潰す標準的な処方が**修正貪欲法(modified greedy)**です。貪欲法の解と、「単体で最大の価値を持つ製品ひとつだけを入れた解」を比較し、良いほうを採用します。
このとき が保証されます。理由は次の通りです。連続緩和の最適値 は の上界であり、 は「貪欲に詰めた分」と「端数として分割された1個の一部」の和に等しいので、
が成り立ちます。つまり修正貪欲法は (ソートのコスト)だけで最適の半分以上を保証します。搭載計算機の乏しい計算資源を考えれば、この計算量と保証のバランスは実用上きわめて魅力的です。
貪欲法がほぼ最適になる条件
一方で、実際のミッションでは貪欲法の性能は理論的最悪ケースよりずっと良いことが知られています。その理由は、個々の製品サイズ が容量 に比べて十分小さいからです。最大サイズを とすると、貪欲法の解と連続緩和最適値の差は高々「端数の1個分」なので、
相対誤差で見れば、 のオーダーであることを使って
つまり 、すなわち「1回のダウンリンク枠に画像が何十枚も入る」状況では貪欲法はほぼ最適です。逆に 、たとえば「1枚の巨大なハイパースペクトルキューブがダウンリンク枠をほぼ使い切る」ような場合には、貪欲法の判断を無条件に信用してはいけません。この条件の見極めは、機上アルゴリズムを設計するうえで最初に確認すべき事項です。
科学価値 をどう推定するか
ここまでの定式化は が既知である前提でした。しかし実際には、 をどう決めるかこそが問題の本体です。地上の科学者が画像を見れば「これは面白い」と即座に判断できますが、探査機はその画像をまだ誰にも見せていません。機上で を推定する仕組みが要ります。
段階1: 静的な優先度クラス
最も単純な方式は、観測計画の段階で地上が製品タイプごとに固定値を割り当てるものです。
「主要観測ターゲットの画像 = 100、較正画像 = 40、背景モニタ画像 = 10」といった具合です。これは実質的に地上の判断をテーブルとして機上に持ち込んだだけで、自律性はありません。しかし信頼性は最高で、挙動が完全に予測可能なため、多くのミッションはここから出発します。
段階2: ルールベースの観測内容依存の重み
一歩進めて、機上で計算できる特徴量に基づいて を動的に変えます。地球観測や惑星大気観測で最も実績があるのが雲量による重み付けです。画像から雲被覆率 を推定し(可視・近赤外の輝度閾値やバンド比で計算可能)、
とします。 は雲の多い画像を強く割り引くための指数です。地表の観測が目的なら、雲に覆われた画像はほぼ無価値であり、送るビットが丸ごと無駄になります。この単純なルールだけで実効的なダウンリンク効率は劇的に改善します。
もう一つの主力が**変化検出(change detection)**です。同じ地点の過去の観測 が機上に保持されているとき、新しい観測 との差分の大きさを価値とします。
は画素集合、 は単調増加の飽和関数(たとえば )です。何も変わっていない地表を毎日送っても情報量はゼロに近く、火山噴火や洪水や砂嵐が起きた画像こそ価値が高い——これは情報理論的にも自然な発想で、 が実質的に「予測からのサプライズ量」を測っていることになります。
閾値判定を使う場合、判定器は で「イベントあり」と分類する二値分類器になります。この の設定が次節の主題です。
段階3: 機械学習による特徴抽出
さらに進めると、受信機の機械学習異常検知で扱ったのとまったく同じ枠組みが使えます。あちらでは受信信号の統計量から「通常運転か異常か」を判定しましたが、こちらでは観測データから「ありふれた景色か、科学的に珍しい現象か」を判定します。
特徴ベクトル を抽出し(小型の畳み込みネットワーク、あるいは主成分分析のような線形手法)、学習済みの正常分布からの外れ度合いを価値に変換します。たとえばマハラノビス距離を使うなら
は打ち上げ前に地上のシミュレーションデータや先行機のデータで学習しておいた正常データの平均と共分散です。教師あり分類器を使う場合は、クラス (「塵旋風あり」「クレーター」「氷の露頭」など)の事後確率 を出力させ、科学者が事前に与えたクラス重み との内積を取ります。
この形は、分類器が確信を持てないときに が中庸な値になり、極端な取り捨てを避けるという望ましい性質を持ちます。
誤判定のリスク管理: false negativeは取り返しがつかない
判定器を使う以上、必ず誤判定が起きます。ここで決定的に重要なのは、2種類の誤りのコストが非対称であることです。
- False positive(偽陽性): 価値のないデータを価値ありと誤判定し、送ってしまう。損失はダウンリンク帯域の浪費。痛いが、回復可能。
- False negative(偽陰性): 本当は価値のあるデータを無価値と誤判定し、送らない(あるいはメモリから消す)。そのデータは永遠に失われる。
彗星や小惑星のフライバイ、あるいは惑星大気への突入のような二度と再現できない観測では、false negativeのコストは事実上無限大です。この非対称性を定量化するには、判定閾値 に対する期待損失を書き下します。真に価値ありである事前確率を 、閾値 における偽陰性率を 、偽陽性率を 、それぞれの損失を とすると、
これを最小化する を選びます。ベイズ判定の一般論から、最適な判定は尤度比が閾値を超えるかどうかで決まり、その閾値は
となります。 のとき右辺は非常に小さくなり、判定はきわめて寛容な側に倒れる——つまり「少しでも怪しければ送る」設計になります。自律トリアージが「賢く切り捨てる」システムではなく「疑わしきは残す」保守的なシステムとして設計されるのは、この損失の非対称性からの必然です。
実運用ではさらに、機械の判断に全面依存しないための安全弁が組み込まれます。ダウンリンク容量の一定割合 (たとえば20〜30%)を、判定器を通さない無条件送信枠として確保し、そこには地上が明示的に指定した観測や、ランダム抽出したサンプルを載せます。
ランダム抽出を混ぜるのには実務的な意味があります。判定器の性能そのものを地上で評価するには、判定器が「捨てた」側のデータも一部見なければならないからです。捨てられたデータのランダムサンプルを地上に送ることで、偽陰性率 を統計的に推定でき、必要なら閾値や重みを更新するコマンドを送れます。
2段階ダウンリンク: まずサムネイル、次に本体
判定を機械に完全に任せるのを避けるもう一つの強力な手法が、段階的なダウンリンクです。
第1段階では、各データ製品の縮約表現だけを送ります。画像なら大幅にダウンサンプリングしたサムネイル、スペクトルなら数個の要約統計量、時系列なら包絡線です。縮約後のサイズを とすると、圧縮比 は から のオーダーを取り得ます。 個すべてのサムネイルを送るのに要する容量は
で、 なら全データ量の0.1%です。これなら全製品分を送れます。地上の科学者はサムネイルの一覧を見て「この3枚を高解像度で」と指定し、第2段階でそれらの完全版が送られてきます。
この方式の美点は、価値判断を人間に戻せることです。機上の判定器は「サムネイルを作る」という誰も損しない仕事だけをすればよく、false negativeのリスクが原理的に消えます(サムネイルは全件送るので、何も捨てていない)。
代償は時間です。往復1回分の遅延が加算されます。片道の光行時間を 、地上での判断に要する時間を 、次のアップリンク・ダウンリンクの機会を待つ時間を とすると、追加遅延は
火星なら は3〜22分、木星なら35〜52分、外縁天体まで行けば数時間です。しかも実務では が支配的で、次のトラッキングパスまで半日〜数日待つことも普通です。したがって2段階方式が使えるのは、対象が動かない・消えない観測に限られます。地形の高解像度画像は数日後に送っても価値は変わりませんが、数時間で消える大気現象や、フライバイ中に流れ去る天体の観測には使えません。
一般化すると、意思決定は次の三択になります。
| 状況 | 適する戦略 |
|---|---|
| 観測対象が静的、往復遅延を許容できる | 2段階(サムネイル先行) |
| 対象が動的、しかし判定が容易(雲量など) | 機上ルールベース判定 |
| 対象が動的、判定が困難、再現不可能 | 全件保存+保守的閾値+無条件枠を厚く |
実際のミッションでは、これらを製品タイプごとに使い分ける混成方針が取られます。
搭載計算資源という現実的制約
ここまでの議論を実装しようとすると、地上のAI開発の常識が通用しない壁に突き当たります。探査機の計算機は極端に遅いのです。
理由はマスメモリの回で見たSEUと同じで、放射線環境で確実に動作するプロセッサは、地上の民生半導体とは別系統の設計・製造プロセスを経る必要があるからです。微細化はソフトエラー耐性を下げるため最先端プロセスは使えず、設計の検証と実績の蓄積に長い年月がかかるため、実際に飛ぶプロセッサは地上の同時代品より世代にして数世代、性能にして1〜2桁遅いのが常態です。長年の標準であったRAD750クラスのプロセッサは動作周波数が百MHz台、演算性能は概ね数百MIPSのオーダーで、これはスマートフォンどころか一世代前の組み込み機器の水準です。加えて消費電力も厳しく制限され、機上の限られた電力を熱制御や観測機器と奪い合います。
この制約が意味するのは明確です。
- 地上で学習した大規模モデルをそのまま載せることはできない。推論専用に軽量化した小型モデル(層数を絞った畳み込みネット、決定木、線形判別器)に落とし込む必要がある。
- 量子化(浮動小数点から8ビット整数へ)、枝刈り、知識蒸留といったモデル圧縮が事実上必須になる。
- 学習は地上で行い、機上は推論のみ。ただしパラメータはアップリンクで更新可能にしておく。この「地上で学習、機上で推論、パラメータは更新可能」という三点セットが、実質的な標準構成である。
- アルゴリズムの計算量そのものが選定基準になる。前述の修正貪欲法が で済むことが、動的計画法による厳密解( で、 がビット単位だと天文学的)より圧倒的に有利な理由がここにあります。
近年は放射線耐性を持つFPGAや、耐放射線化された低消費電力SoC、あるいは民生部品を冗長構成で使うアプローチによって機上の推論能力は着実に向上していますが、「地上と同じモデルが動く」という前提を置いてはいけないという原則は変わりません。
実務での使われ方
EO-1のASE — 自律科学の先駆的実証
自律トリアージの歴史で最も重要な実証が、NASAの地球観測衛星 EO-1(Earth Observing-1) に搭載された ASE(Autonomous Sciencecraft Experiment) です。EO-1は2000年に打ち上げられた技術実証衛星で、2004年から運用終了までASEソフトウェアが機上で動作しました。
ASEは3つの層から構成されていました。機上の画像から雲量・火山噴火・洪水・海氷の変化といった特徴を抽出する科学解析アルゴリズム群、その結果を受けて「もう一度撮る」「送らない」といった判断を下すプランナ(CASPER)、そしてその計画を実際のコマンド列として実行する**ロバスト実行系(SCL)**です。
ASEの本質的な貢献は、単にデータを捨てたことではなく、「機上の科学判断が次の観測計画にフィードバックされる」ループを閉じたことにあります。火山の噴煙を検出したら、地上に問い合わせることなく次の周回でその地点を再観測する。この応答性は、地上に判断を戻していては(前節の の議論の通り)決して得られません。ASEは雲に覆われた画像の廃棄によってダウンリンクデータ量を大幅に削減しつつ、科学的に重要なイベントの捕捉率をむしろ上げられることを実証しました。
火星探査車の画像選別とAEGIS
火星探査車では、中継アーキテクチャの制約から1ソルあたりのダウンリンク量が限られるため、選別は運用の中核です。MER(Spirit/Opportunity)の時代から、機上で塵旋風(dust devil)や雲を検出し、変化のあった画像だけを送る機能が実装されていました。塵旋風の検出は本稿の変化検出そのもので、連続撮像したフレーム間の差分画像に閾値をかけ、移動する明暗パターンが検出されたフレームだけを保存・送信します。何も起きていない砂漠の画像を何百枚も送る代わりに、「差分があった数枚」だけを送ることで、実効的な科学収量が桁で変わります。
CuriosityとPerseveranceに搭載された AEGIS(Autonomous Exploration for Gathering Increased Science) はさらに踏み込み、走行後に撮影したナビゲーション画像から岩石ターゲットを自動検出し、科学者が事前に指定した基準(サイズ、形状、明るさなど)で順位付けして、最上位のターゲットに対してChemCam(レーザー誘起ブレークダウン分光)を自動照射します。これは「送るデータを選ぶ」を超えて「取るデータを選ぶ」段階への発展であり、往復遅延に律速されない科学活動を可能にしました。地上のオペレータが翌ソルに指示を出していれば1日分の機会が失われるところを、その場で完結させています。
二度と得られない観測での慎重な設計
一方で、自律判断を積極的に使わない領域も明確に存在します。彗星や小惑星のフライバイ、惑星大気への突入プローブ、着陸の最終降下といった、その瞬間に一度きりしか起こらない観測です。
こうした局面では、前節で見た の状況が文字通り成立します。ミッション全体の科学的成否がその数分〜数時間のデータにかかっているとき、機上の判定器が誤って重要なフレームを捨てる可能性は、どれほど小さくても許容できません。したがって設計方針は一貫して「全件を機上に保存し、選別は一切しない。ダウンリンクの順序だけを優先度で制御し、時間をかけて全部を送り切る」となります。New Horizonsが冥王星フライバイのデータを15か月かけて送り切ったのは、まさにこの方針の実践例です。捨てるのではなく、遅らせる。時間だけが唯一の資源であるとき、それは正しい選択です。
自律トリアージが真価を発揮するのは、その対極——観測機会が繰り返し訪れ、かつ大部分がありふれている状況、すなわち周回機による長期の反復観測です。地球観測衛星のオンボード雲検出はその典型で、同じ地点を何度も撮れるのだから、雲がかかった1回分を捨てても失うものはほとんどありません。
標準化の動き
CCSDSやESAでも、機上のデータ処理と自律運用に関する議論が進んでいます。データそのものの表現形式(パケット構造、圧縮方式)は既存の標準に従いつつ、その上で「どの製品にどのメタデータを付けて優先度を表現するか」という層の整備が課題です。実務上は、CFDPなどのファイル転送プロトコルの上に、ミッション固有の優先度キューを構築する形が一般的です。
演習問題
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ある周回機のマスメモリに、次の4つのデータ製品が蓄積されている。A: 、B: 、C: 、D: 。次のダウンリンクウィンドウの容量が Mbit のとき、(a) 各製品の価値密度 を計算して貪欲法の選択と総価値を求めよ。(b) 全部分集合を列挙して0-1ナップサックの厳密最適解を求めよ。(c) 両者が一致するか判定し、一致しない場合は本文の の議論を使ってなぜこの規模では貪欲法が危ういのかを説明せよ。
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本文の反例(製品A: 、製品B: 、容量 )について、修正貪欲法を適用したときの解と近似率を求めよ。さらに、任意のインスタンスに対して修正貪欲法が を満たすことを、本文の という不等式から導け。
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機上の雲検出器の性能が、偽陰性率 、偽陽性率 であるとする。真に価値のある(雲のない)画像の割合が のとき、(a) 偽陽性の損失を 、偽陰性の損失を として期待損失 を計算せよ。(b) 閾値を緩めて になったとき、期待損失はどう変化するか。(c) この結果から、二度と得られない観測において閾値をどちら側に倒すべきかを論じよ。
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火星周回機が1日あたり生の観測データを Gbit 生成し、ダウンリンク容量が1日あたり Gbit しかないとする。(a) 2段階方式で全製品のサムネイル()を毎日送る場合、サムネイルが消費する容量とその容量比を求めよ。(b) 残りの容量で送れる高解像度製品の量を求め、生成量に対する割合を計算せよ。(c) 片道光行時間を12分、次のアップリンク機会までの待ち時間を1日として、サムネイルを見てから本体が届くまでの最短遅延 を見積もり、この方式が使える観測対象と使えない観測対象を具体的に挙げよ。
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搭載プロセッサの演算性能を MIPS とし、1枚の画像に対する機械学習推論に 命令を要するモデルがあるとする。(a) 1枚あたりの推論時間を求めよ。(b) 1日に500枚を処理する必要がある場合、プロセッサ時間の何%を占めるか。(c) 姿勢制御や熱制御など他のタスクにプロセッサ時間の80%を確保しなければならないとき、モデルを何倍軽量化する必要があるか。
まとめと次回予告
科学データの自律トリアージは、「観測機器が生む量」と「送れる量」の桁違いのミスマッチという構造的な問題に対する、探査機側からの能動的な答えです。この回では、その意思決定をダウンリンク容量を制約とするナップサック問題として定式化し、価値密度による貪欲法が の条件下でほぼ最適になること、修正貪欲法が で最適の半分を保証することを見ました。
そのうえで、問題の本体は最適化ではなく価値 の推定にあることを確認し、静的な優先度クラスからルールベースの雲量・変化検出、そして機械学習による特徴抽出までの段階を追いました。ここで決定的なのは、false negativeが不可逆な損失をもたらすという損失の非対称性であり、それが「疑わしきは送る」という保守的な設計、無条件送信枠の確保、ランダムサンプリングによる判定器の性能監視といった実務上の安全弁を要求します。サムネイル先行の2段階方式は価値判断を人間に戻す優れた解ですが、往復遅延という代償を伴うため、静的な対象にしか使えません。そして耐放射線プロセッサの厳しい計算制約が、これらすべての設計を軽量アルゴリズムの側に引き寄せます。
前提となったマスメモリの回が「限られた容量に何を残すか」という保存の問題だったのに対し、今回は「残したもののうち何を送るか」という伝送の問題でした。両者は同じナップサックの形をしていながら、価値の定義も、誤りのコストも異なります。
次回は視点をハードウェアへ移し、レーザー通信端末の設計を扱います。今回見たミスマッチを緩和する最も直接的な手段は、そもそもダウンリンク容量 を桁で増やすことであり、光通信はまさにそれを狙った技術です。ただし電波の何万倍も鋭いビームを、数億km彼方の地上局に正確に指向し続けるという、機械精度と制御の極限が要求されます。望遠鏡光学系、指向・捕捉・追尾(PAT)機構、レーザー光源と検出器という端末の構成要素を、要求精度の数式とともに見ていきます。
参考文献
- S. Chien et al., “Using Autonomy Flight Software to Improve Science Return on Earth Observing One (EO-1),” Journal of Aerospace Computing, Information, and Communication
- R. Castaño et al., “Onboard Autonomous Rover Science,” IEEE Aerospace Conference Proceedings
- T. Estlin et al., “AEGIS Automated Science Targeting for the MER Opportunity Rover,” ACM Transactions on Intelligent Systems and Technology
- R. Francis et al., “AEGIS Autonomous Targeting for ChemCam on Mars Science Laboratory,” Science Robotics
- S. Martello, P. Toth, Knapsack Problems: Algorithms and Computer Implementations, Wiley
- CCSDS 120.0-G, Lossless Data Compression — Informational Report
- NASA/JPL, Mars Reconnaissance Orbiter and Mars Exploration Rover Mission Operations Reports
- J. H. Yuen (ed.), Deep Space Telecommunications Systems Engineering, JPL Publication 82-76