測距・追跡#7

シーケンシャルトーン測距 — 正弦波トーンの位相からPN符号測距へ

複数の正弦波トーンを高い周波数から低い周波数へ順に送り、位相のアンビギュイティを段階的に解消していく古典的なシーケンシャルトーン測距の仕組みを数式で追い、現代のPN符号測距との精度・獲得時間・帯域幅効率のトレードオフを比較する。

前提知識: ranging-regen

測距シーケンシャルトーンPN符号アンビギュイティ解消CCSDS

この回で学ぶこと

前々回前回では、探査機との距離を測る「測距(レンジング)」を、地上からの信号を探査機がどう折り返すかというアーキテクチャの軸(非再生 vs 再生)で見てきました。往復の経路全体に雑音が乗る非再生方式と、探査機側で一度信号を再生してから送り返す再生方式の違いは、いずれも「地上と探査機の間を行き来する測距信号そのものの中身」については立ち入らず、その信号を素通しするか処理するかという運用の違いに焦点を当てたものでした。

今回はその測距信号の中身、すなわち波形そのものの軸を扱います。歴史的に深宇宙探査機の測距に使われてきたのは、複数の正弦波トーンを周波数の高い方から低い方へ順番に送り込む**シーケンシャルトーン測距(sequential tone ranging)**という方式でした。ボイジャーやパイオニアの時代から使われてきたこの方式は、単一の正弦波では原理的に距離を一意に決められないという問題を、周波数の異なる複数のトーンを段階的に組み合わせることで解決する、非常に巧妙な仕掛けを持っています。

一方、現代の多くのミッションは**PN符号測距(擬似雑音符号による測距)**に移行しています。CCSDSの規約でも標準的な測距方式として採用されているこの方式は、正弦波トーンの代わりに擬似雑音(Pseudo-Noise, PN)符号の自己相関性を利用して距離を測ります。

この回では、まずシーケンシャルトーン測距がどうやって「精密だが曖昧」な位相測定から「曖昧さのない距離」を組み立てるのかを、中国剰余定理的な考え方を使って数式で追います。次にPN符号測距の相関ベースの仕組みを見て、最後に両者を測距精度・獲得時間(acquisition time)・帯域幅効率という3つの軸で定量的に比較します。

直感的導入: なぜ1つのトーンだけでは測れないのか

距離を測る最も素朴な発想は、「送信した正弦波と、探査機が折り返してきた正弦波の位相差を測れば、往復の遅延時間が分かる」というものです。周波数 ff の正弦波の位相は、遅延時間 τ\tau に対して 2πfτ2\pi f \tau だけ回転します。地上局はこの位相回転を精密に測定できるので、原理的には非常に高い分解能で τ\tau、ひいては距離 R=cτ/2R = c\tau/2 を求められそうです。

ところが正弦波には根本的な弱点があります。位相は 2π2\pi ごとに同じ値へ戻ってしまうため、測定できる位相差 Δϕ[0,2π)\Delta\phi \in [0, 2\pi) だけからは、実際の遅延が「何周分回った上でこの位相差になったのか」を区別できません。周波数 ff のトーンで測定できる遅延の一意範囲(アンビギュイティ周期)は、位相が1周する時間 1/f1/f に限られます。深宇宙探査機との往復遅延は数分から数十時間にも及ぶため、高精度な(=高周波数の)トーンだけを使うと、実際の距離候補が天文学的な数だけ存在してしまい、どれが正解かまったく分かりません。

この問題を解くシーケンシャルトーン測距のアイデアは、次のようなものです。

  • まず十分に低い周波数のトーン(「クロックトーン」の中でも一番低いもの)を送り、アンビギュイティ周期を往復遅延の想定範囲より確実に大きく取る。これで距離は粗いけれども一意に決まる。
  • 次に少し高い周波数のトーンを送る。アンビギュイティ周期は短くなるが、直前の粗い距離推定から「本当はどの周期の中にいるか」を絞り込めるので、位相測定から距離推定を精密化できる。
  • これを周波数を上げながら繰り返し、最後に最も高精度な**精密トーン(fine tone)**まで到達すると、アンビギュイティのない、高精度な距離推定が得られる。

つまり「粗いが曖昧さのない測定」から出発して、少しずつ精度を上げながらアンビギュイティを解消していく、**段階的な精密化(successive refinement)**の考え方です。この節ではこれを数式で厳密に定式化します。

数式による定式化

単一トーンの位相測定とアンビギュイティ

送信されるトーン ii の角周波数を ωi=2πfi\omega_i = 2\pi f_i とし、地上局から探査機を経由して地上局に戻ってくるまでの往復伝搬遅延を τ\tau とします。地上局が受信する折り返しトーンの位相は、送信時の位相を基準にすると

ϕi=ωiτ(mod2π)\phi_i = \omega_i \tau \pmod{2\pi}

だけずれています。地上局が測定できるのはこの ϕi[0,2π)\phi_i \in [0, 2\pi) の値そのものであり、実際の遅延は

τ=ϕi+2πniωi,ni=0,1,2,\tau = \frac{\phi_i + 2\pi n_i}{\omega_i}, \qquad n_i = 0, 1, 2, \dots

という形の無限個の候補を持ちます。ここで整数 nin_i が「本当は何周分回っているか」というアンビギュイティ整数です。周波数 fif_i のトーンだけから分かるのは、τ\tau が周期

Ti=1fiT_i = \frac{1}{f_i}

を法として ϕi/ωi\phi_i/\omega_i に等しいという情報だけです。距離に換算すると、アンビギュイティ距離(一意に決定できる最大片道距離、電波の往復を考慮)は

Ramb,i=c2fiR_{\text{amb},i} = \frac{c}{2f_i}

となります。fif_i を大きくするほど位相測定の分解能(=距離の精度)は上がりますが、Ramb,iR_{\text{amb},i} は小さくなり、より多くの候補 nin_i の中から正解を選ばなければならなくなる、というトレードオフがここに現れています。

クロックトーンによる段階的アンビギュイティ解消

シーケンシャルトーン測距では、周波数の異なる一連のトーン f1<f2<<fNf_1 < f_2 < \cdots < f_N を用意します。f1f_1 が最も低い「メジャートーン」ないし最初の「クロックトーン」、fNf_N が最も高い「精密トーン(fine tone)」です。設計の要は、隣り合うトーンの周波数比を適切に選び、低い周波数のトーンで決めた粗い距離が、次に高い周波数のトーンのアンビギュイティを一意に絞り込めるようにすることです。

具体的には、各トーンのアンビギュイティ周期(距離換算)が

Ramb,1>Ramb,2>>Ramb,NR_{\text{amb},1} > R_{\text{amb},2} > \cdots > R_{\text{amb},N}

という順に並ぶように周波数を選びます(典型的には各段で2倍あるいは10倍程度の比率を取ります)。まず最初の f1f_1 で測定した位相 ϕ1\phi_1 から、粗い距離推定

R^1=c2ω1ϕ1\hat{R}_1 = \frac{c}{2\omega_1}\phi_1

が(候補が1つしかないという意味で)一意に得られます。誤差は位相測定誤差 σϕ\sigma_\phi 程度に相当する範囲に収まっていると仮定します。次に f2f_2 で測定した位相 ϕ2\phi_2 を使って、R^1\hat R_1 に最も近い整数 n2n_2 を選びます。

n2=round(2R^1ω2/cϕ22π)n_2 = \operatorname{round}\left(\frac{2\hat R_1 \omega_2/c - \phi_2}{2\pi}\right)

こうして選んだ n2n_2 を使うと、f2f_2 の高い分解能を活かした、より精密な距離推定

R^2=c2ω2(ϕ2+2πn2)\hat{R}_2 = \frac{c}{2\omega_2}(\phi_2 + 2\pi n_2)

が得られます。この操作を f3,f4,,fNf_3, f_4, \ldots, f_N まで順に繰り返すことで、各段階でアンビギュイティを一意に解消しながら精度を上げていき、最終的に精密トーン fNf_N の高分解能な位相測定を、曖昧さなく完全な距離に対応づけることができます。

この手続きが破綻しないための条件は、各段階で粗い推定の誤差が、次のトーンのアンビギュイティ周期の半分を超えないことです。すなわち

σR^k<Ramb,k+12\sigma_{\hat R_{k}} < \frac{R_{\text{amb},k+1}}{2}

が各 kk で成り立つ必要があります。これは中国剰余定理(Chinese Remainder Theorem)による復元と数学的に同じ構造を持っています。中国剰余定理は「複数の互いに素な法 m1,m2,m_1, m_2, \ldots に関する剰余がそれぞれ分かっていれば、それらの積 mi\prod m_i を法とした値が一意に復元できる」という定理ですが、シーケンシャルトーン測距では各トーンの位相測定が「アンビギュイティ周期 TiT_i を法とした遅延の剰余」に相当し、精度を保ちながら段階を追うことで、実効的なアンビギュイティ周期を最終的に精密トーンでの分解能のまま、最初の(最も低い)クロックトーンのアンビギュイティ周期まで拡大していることになります。すなわち全体として

Ramb,eff=Ramb,1R_{\text{amb,eff}} = R_{\text{amb},1}

という広いアンビギュイティ距離の中で、Ramb,NR_{\text{amb},N} 相当の精密さで距離を決定できるわけです。

精密トーンによる測距精度

最終的な測距精度は、精密トーン fNf_N の位相測定精度で決まります。位相測定の誤差の標準偏差 σϕ\sigma_\phi(ラジアン)は、受信信号のトーン電力対雑音比 Ptone/N0P_{\text{tone}}/N_0 とループ帯域幅 BLB_L、積分時間などに依存しますが、線形化されたPLLトラッキング(参照: 第2回 PLL)のもとでは、既に見た

σϕ21ρL,ρL=PtoneN0BL\sigma_\phi^2 \approx \frac{1}{\rho_L}, \qquad \rho_L = \frac{P_{\text{tone}}}{N_0 B_L}

という関係が距離精度の議論にもそのまま応用できます。距離の測定誤差 σR\sigma_R は、精密トーンの角周波数 ωN\omega_N を使って

σR=c2ωNσϕ=c4πfNσϕ\sigma_R = \frac{c}{2\omega_N}\,\sigma_\phi = \frac{c}{4\pi f_N}\,\sigma_\phi

と書けます。つまり測距精度は精密トーンの周波数 fNf_N に反比例して向上します。精密トーンの周波数を上げれば上げるほど精度は良くなりますが、それに伴ってアンビギュイティ周期 Ramb,N=c/(2fN)R_{\text{amb},N} = c/(2f_N) は狭くなるため、その狭さを補うための中間トーンの段数を増やす必要が出てきます。ここに「精度を上げたければトーンの段数(=測定に要する時間)も増やさざるを得ない」というシーケンシャルトーン測距の基本的なトレードオフがあります。

PN符号測距: 相関ピークによる遅延推定

これに対しPN符号測距では、正弦波トーンの代わりに、長さ LL チップの擬似雑音符号 c[k]{1,+1}c[k] \in \{-1, +1\} (k=0,1,,L1k = 0, 1, \ldots, L-1、周期 LL で繰り返す)をチップレート RcR_c(1秒あたりのチップ数、チップ周期 Tc=1/RcT_c = 1/R_c)で送信します。この符号はほぼ理想的な自己相関特性

Rcc(Δ)=1Lk=0L1c[k]c[(k+Δ)modL]{1Δ0(modL)0Δ≢0(modL)R_{cc}(\Delta) = \frac{1}{L}\sum_{k=0}^{L-1} c[k]\, c[(k+\Delta) \bmod L] \approx \begin{cases} 1 & \Delta \equiv 0 \pmod L \\ \approx 0 & \Delta \not\equiv 0 \pmod L \end{cases}

を持つように設計されます(たとえばM系列やゴールド符号)。地上局は、探査機から折り返された符号 c[kΔ]c[k - \Delta](往復遅延 τ\tau に対応するチップ数シフト Δ=τ/Tc\Delta = \tau/T_c だけずれている)と、自分が保持しているローカルレプリカ符号 c[k]c[k] とを、レプリカの時間シフトを掃引しながら相関を取ります。

ρ^(d)=1Lk=0L1r[k]c[(kd)modL]\hat{\rho}(d) = \frac{1}{L}\sum_{k=0}^{L-1} r[k]\, c[(k-d) \bmod L]

この相関値 ρ^(d)\hat\rho(d) が最大になるシフト量 d=Δ^d = \hat\Delta を探すことで、遅延を推定します。

Δ^=argmaxdρ^(d),τ^=Δ^Tc\hat\Delta = \arg\max_{d} \hat\rho(d), \qquad \hat\tau = \hat\Delta \cdot T_c

自己相関のピークはチップ周期 TcT_c 程度の幅を持ちますが、実際にはピーク付近の相関値の形状(補間、あるいは複数チップにまたがる重心計算)を使ってサブチップ精度まで遅延を推定できます。

符号長 LL が測距のアンビギュイティを決めます。符号は周期 LL で繰り返すため、LL チップ分の時間、すなわち LTcLT_c 秒より長い遅延は、短い遅延と区別がつきません。距離換算のアンビギュイティは

Ramb=cLTc2R_{\text{amb}} = \frac{c \, L T_c}{2}

です。一方、精度を決めるのはチップレート Rc=1/TcR_c = 1/T_c です。相関ピークの推定精度(標準偏差)は、受信SNR ρ\rho(符号全体の電力対雑音比に相当)を使って近似的に

στTcρκ,σR=c2στ\sigma_\tau \approx \frac{T_c}{\sqrt{\rho}} \cdot \kappa, \qquad \sigma_R = \frac{c}{2}\sigma_\tau

の形で与えられます(κ\kappa は相関器の実装(早遅ゲート方式など)や自己相関のメインローブ形状に依存する係数のオーダー1程度の定数)。つまりチップレートが精度を、符号長がアンビギュイティを決めるという構造は、トーン測距における「精密トーンの周波数が精度を、最も低いクロックトーンの周波数がアンビギュイティを決める」という構造と数学的に対応しています。実際、PN符号測距はチップレートを精密トーンの周波数に、符号の周期(コード長)全体を最も低いクロックトーンのアンビギュイティ周期に見立てることで、シーケンシャルトーン測距の一般化・置き換えとして理解することができます。

獲得時間の比較

両者の大きな違いが表れるのが獲得時間(acquisition time)、すなわち「距離が一意に決まるまでにかかる時間」です。

シーケンシャルトーン測距では、各トーンを順番に送り、それぞれ十分な積分時間(トーンの位相を精度良く測定するのに必要な時間、多くの場合は数秒から数十秒)をかけて測定してからでないと次のトーンに移れません。段数を NN とすると、獲得時間は各段の測定時間の和

Tacq,tonei=1NTint,iT_{\text{acq,tone}} \approx \sum_{i=1}^{N} T_{\text{int},i}

となり、精度を上げる(段数 NN を増やす)ほど直線的に長くなります。

一方、PN符号測距では、符号全体を(通常は繰り返し)送信し続け、地上局はローカルレプリカとの相関を全シフト量にわたって(並列にあるいは高速に掃引しながら)計算します。理想的には、符号の1周期分の受信時間があれば全シフト範囲を評価でき、獲得時間は符号長 LL とチップレート RcR_c で決まる

Tacq,PNLRc×(相関器の並列度・掃引方式に依存する係数)T_{\text{acq,PN}} \approx \frac{L}{R_c} \times (\text{相関器の並列度・掃引方式に依存する係数})

程度で済みます。現代の相関器は多数のシフト仮説を並列またはFFTベースの高速相関で同時に評価できるため、符号長が長くても実際の獲得時間はトーン方式より大幅に短縮できます。

測距精度・獲得時間・帯域幅効率の比較

以上をまとめると、次のような対比が得られます。

項目シーケンシャルトーン測距PN符号測距
精度を決める要素精密トーンの周波数 fNf_Nチップレート RcR_c
アンビギュイティを決める要素最も低いクロックトーンの周波数 f1f_1符号長 LL(周期 LTcLT_c)
獲得時間トーン段数 NN に比例して増加(各段で逐次測定)符号の1周期程度(並列相関で高速化可能)
帯域幅効率各トーンが個別の狭帯域スペクトル線を占有し、トーン数分の周波数リソースが必要単一の広帯域スペクトルにエネルギーを拡散、スペクトル利用効率が高い
雑音耐性トーンごとに個別のPLLでコヒーレントに追尾する必要があり、低SNRでは追尾自体が難しい相関処理自体が処理利得(コーディングゲイン的な効果)を持ち、低SNR環境でも相関のピークが検出しやすい
実装の複雑さアナログ的なトーン発生・位相検波の技術で古くから実装可能デジタル信号処理(符号生成・相関計算)に依存、現代のデジタル受信機と親和性が高い

帯域幅効率について補足すると、シーケンシャルトーン測距では、各クロックトーンおよび精密トーンがそれぞれ個別の周波数に配置された正弦波(スペクトル上は狭いスパイク)であるため、複数のトーンを同時に送る場合はそれらが互いに干渉しないよう周波数を離して配置する必要があり、全体として広い周波数レンジにわたる複数のスペクトル線を必要とします。これに対しPN符号測距では、1つの広帯域信号(スペクトルはチップレート RcR_c 程度の帯域幅に広がった連続的な形状)としてまとめて送信でき、限られた測距帯域を効率よく使い切ることができます。特にKa帯のような帯域幅に制約のあるリンクでは、この帯域幅効率の差が実務上重要になります。

実務での使われ方

歴史的に、シーケンシャルトーン測距は1960年代から1990年代にかけてのNASA深宇宙ミッションで標準的に使われてきました。パイオニア10号・11号ボイジャー1号・2号バイキングガリレオなどの初期の外惑星探査機は、いずれもこの方式(いわゆる「JPLレンジングシステム」、複数のトーン周波数を段階的に切り替えるアナログ的な測距システム)で追跡されていました。当時はデジタル相関処理を大規模に、かつリアルタイムで実行する計算資源が限られていたため、アナログのPLLでトーンの位相を個別に追尾するシーケンシャルトーン方式が、実装上現実的な選択でした。

一方、CCSDSは2000年代以降、PN符号を用いた測距方式を標準化しました。代表的なものが CCSDS 414.1-B (Pseudo-Noise Ranging Systems) であり、複数の副搬送波を組み合わせたPN符号測距の詳細な仕様(符号構成、チップレート、相関処理の要件)が規定されています。JPLの深宇宙局(DSN)でもデジタル測距アセンブリ(Ranging Subsystem)がPN符号測距をサポートするように更新され、現在の多くの現行ミッション(火星探査機群、木星氷衛星探査機群など)ではPN符号測距が標準として使われています。

現代のミッションがPN符号測距へ移行した主な理由は、この回で見た比較表の項目とそのまま対応しています。

  • 獲得時間の大幅な短縮: 深宇宙リンクは片道光行時間が数分〜数時間にも及ぶため、トーン方式のように何段もの逐次測定を繰り返すと、1回の測距だけで往復通信の何倍もの時間がかかってしまいます。PN符号測距はデジタル相関処理の並列化により、これを大幅に短縮できます。
  • デジタル信号処理との親和性: 現代の受信機はソフトウェア無線(SDR、第39回で扱います)としてデジタル実装されており、符号生成・相関計算はデジタル回路・ソフトウェアで自然に実装できます。アナログのトーン発生・位相検波回路を多段用意する必要がありません。
  • 低SNR環境での頑健性: 符号長を長く取るほど、相関処理による処理利得(プロセシングゲイン)が大きくなり、より弱い信号でも安定して測距できます。外惑星探査機や将来の恒星間探査ミッションのように、受信SNRが極めて低くなる状況ほど、この利得の恩恵が大きくなります。
  • 帯域幅の有効利用: 特にKa帯運用では割り当てられる測距帯域が限られており、PN符号測距の帯域幅効率の高さが、テレメトリ・レンジングを同時に運用する上での実務上の利点になります。

なお、いずれの方式でも、測距に使う信号自体は前々回・前回で扱った非再生/再生アーキテクチャの枠組みに載せられます。すなわち「トーン measure か PN符号か」という波形の選択(今回の軸)と、「探査機がどう折り返すか」というアーキテクチャの選択(前々回・前回の軸)は独立した設計次元であり、実際にはこの2つの軸を組み合わせて具体的な測距システムが構成されます。

演習問題

  1. 精密トーンの周波数を fN=1f_N = 1 MHz、最も低いクロックトーンの周波数を f1=20f_1 = 20 Hz とする。それぞれのトーンのアンビギュイティ距離 Ramb=c/(2f)R_{\text{amb}} = c/(2f) を計算し、両者の比を求めよ。この比が、シーケンシャルトーン測距において「粗い距離推定から精密な距離推定へどれだけの段階が必要か」の目安になることを説明せよ。

  2. PN符号測距で、符号長 L=2201L = 2^{20} - 1 チップ(M系列)、チップレート Rc=1R_c = 1 Mchip/s とする。アンビギュイティ距離 Ramb=cLTc/2R_{\text{amb}} = cLT_c/2 をkm単位で求め、これが深宇宙探査機との片道距離(たとえば火星探査機で数億km)を一意にカバーできるかどうかを議論せよ。カバーできない場合、実務上どのような補完手段が考えられるか(ヒント: 概略の距離は軌道力学的な予測からある程度分かっている)。

  3. 精密トーンの位相測定誤差 σϕ=0.05\sigma_\phi = 0.05 rad、精密トーンの周波数 fN=500f_N = 500 kHz のとき、シーケンシャルトーン測距による距離誤差 σR\sigma_R をメートル単位で求めよ。PN符号測距でチップレート Rc=2R_c = 2 Mchip/s、実効SNR ρ=400\rho = 400(真数)、係数 κ1\kappa \approx 1 とした場合の距離誤差 σR\sigma_R と比較し、どちらが高精度か議論せよ。

  4. シーケンシャルトーン測距が「なぜ獲得時間で不利になるのか」を、この回で導出した Tacq,toneiTint,iT_{\text{acq,tone}} \approx \sum_i T_{\text{int},i} という式の構造に基づいて説明せよ。またPN符号測距が並列相関によってこの問題を回避できる理由を、相関演算 ρ^(d)\hat\rho(d) の計算構造に触れながら述べよ。

まとめと次回予告

シーケンシャルトーン測距は、単一の正弦波トーンでは避けられない「精度とアンビギュイティのトレードオフ」を、周波数の異なる複数のトーンを高い方から低い方(あるいは低い方から高い方)へ段階的に組み合わせることで解決する、歴史的に重要な測距方式でした。その仕組みは中国剰余定理的な段階的アンビギュイティ解消として数式で厳密に理解でき、精密トーンの周波数が精度を、最も低いクロックトーンの周波数がアンビギュイティ距離を支配するという明快な構造を持っています。

現代のPN符号測距は、この構造をチップレート(精度)と符号長(アンビギュイティ)という2つのパラメータに置き換え、デジタル相関処理による並列的な獲得と、広帯域信号としての帯域幅効率の高さによって、シーケンシャルトーン測距が抱えていた獲得時間の課題を大きく改善しました。CCSDS 414.1-Bとして標準化された今日では、多くの現行ミッションがPN符号測距を採用しています。

ここまで3回にわたって、探査機との距離をどう測るかを見てきました。しかし探査機の軌道決定には、距離(レンジ)だけでなく方向・角度の情報も欠かせません。次回は、複数の地上局アンテナで同一の探査機信号を同時に受信し、その到達時刻のわずかな差から探査機の天球上の角度位置を極めて高精度に決定する DDOR(Delta-Differential One-way Ranging、Delta-DOR) を扱います。今回の「時間差(位相差・相関ピーク)から距離を求める」という発想が、DDORでは「複数局間の時間差から角度を求める」という形に姿を変えて再登場します。

参考文献

  • CCSDS 414.1-B, Pseudo-Noise (PN) Ranging Systems
  • J. H. Yuen (ed.), Deep Space Telecommunications Systems Engineering, JPL Publication 82-76
  • DSN Telecommunications Link Design Handbook, DSN No. 810-005 (Ranging に関するモジュール)
  • S. Butman, U. Timor, “Interplanetary Ranging by Sequential Tone Codes,” IEEE Transactions on Communications
  • M. K. Simon, J. K. Omura, R. A. Scholtz, B. K. Levitt, Spread Spectrum Communications Handbook, McGraw-Hill