測距・追跡#135

Bearings-Only Navigation — 角度だけで軌道を決める

測距もドップラーも使えず、視線方向の角度しか観測できない特殊な航法問題を扱う。単一時刻・単一観測点からは距離が原理的に決定不能であることを幾何学的に示し、観測者自身の運動による視差でこの不可観測性がどこまで解消できるか、そしてなぜ解消しきれない場合が残るのかを非線形最小二乗法とスケール不確定性の議論で追う。

前提知識: DDOR — 電波干渉法で天球上の角度を測る

Bearings-Only Navigation観測可能性視差非線形最小二乗法編隊飛行

この回で学ぶこと

前々回は視線直交方向の角度を測るDDORを、前回は測距・ドップラー・DDORという3種類の観測量をどう組み合わせて探査機の6次元状態を決定するかを学びました。そこで前提にしていたのは、「地上局は電波を出して探査機と往復通信でき、距離・速度・角度のうち複数を同時に、あるいは補完的に測定できる」という比較的恵まれた状況でした。

しかし現実には、測距もドップラーも使えない、あるいは意味を持たない場面があります。たとえば、

  • 探査機同士が受動的に(電波をいっさい出さず)搭載カメラで互いを観測するだけの編隊飛行やランデブー運用
  • 相手が電波トランスポンダを持たない天体(小惑星、彗星、スペースデブリ)で、光学カメラの視線方向情報しか得られない接近運用
  • 消費電力・質量の制約から能動的な測距センサ(レーダー、LIDAR)を搭載できない小型探査機

といった状況では、観測できるのは「相手がどの方向に見えるか」という角度だけです。距離を直接測る手段も、視線方向の速度をドップラーとして測る手段もありません。この回では、こうした角度情報だけを頼りに軌道(自分と相手の相対的な位置・速度)を決定するという、特殊だが実務上重要な航法問題 Bearings-Only Navigation(角度のみによる航法) を扱います。

まず、単一時刻・単一観測点からの角度観測だけでは距離が原理的に決定不能であるという基本的な観測可能性(オブザーバビリティ)の限界を幾何学的に示します。次に、観測者自身が軌道上を移動することで生じる視差を使えば、複数時刻の角度観測から距離情報を間接的に引き出せることを、非線形最小二乗問題として定式化します。そのうえで、なぜこの問題が本質的に強い非線形性を持ち、観測者の軌道設計(どう動けば観測可能性が改善するか)が死活的に重要になるのかを見ていきます。

直感的導入: 「方向は分かるが、距離は分からない」

暗い部屋の中で、遠くに小さな光の点が1つ見えているとします。目を凝らしてその方向を精密に測ることはできますが、その光が「近くにある小さな光」なのか「遠くにある巨大な光」なのかを、その一瞬の見え方だけから区別することはできません。方向(角度)の情報は、視線に沿ったどこまでも遠い可能性を排除してくれないのです。これがBearings-only navigationが直面する最も基本的な壁です。

この問題は宇宙探査に特有のものではありません。海中を航行する潜水艦のソナー航法では、能動的に音波を発すると自分の位置が敵に露見してしまうため、多くの場面で受動ソナー、すなわち相手が発する音のする方向(ベアリング、bearing)だけを頼りに敵艦の位置と針路を推定する必要があります。この分野は古くからTarget Motion Analysis (TMA) として研究されており、「角度だけからどこまで相手の運動を復元できるか」という観測可能性の問題は、1980年代から数学的に厳密に扱われてきました。宇宙探査機の受動光学航法は、この潜水艦TMAの問題と数学的にほぼ同じ構造を持っています。

直感的に重要なのは、次の2つの事実です。

  1. 自分(観測者)が動かなければ、距離は原理的に決まらない: 視線方向は変わらないまま、相手がどれだけ離れているかを示す手がかりが増えないからです。
  2. 自分が動いても、相手がまったく同じように”つれて”動いていれば、やはり距離は決まらない: 見かけの角度の変化が、近くの物体がゆっくり動いた結果なのか、遠くの物体が速く動いた結果なのかを区別できない場合があるからです。

以下では、この2つの直感をそれぞれ数式で厳密に裏付けていきます。

数式による定式化

単一時刻・単一観測点からの不可観測性

観測者(自分の探査機)の位置を rO(t)\mathbf{r}_O(t)、相手(目標)の位置を rT(t)\mathbf{r}_T(t) とし、両者の相対位置ベクトルを

ρ(t)=rT(t)rO(t)\boldsymbol{\rho}(t) = \mathbf{r}_T(t) - \mathbf{r}_O(t)

とします。観測者は自分自身の軌道 rO(t)\mathbf{r}_O(t) を(自機の軌道決定によって)高精度に知っているものとします。角度観測でカメラが直接得られるのは、相対距離 ρ=ρ\rho = |\boldsymbol{\rho}| ではなく、視線方向の単位ベクトル

b^(t)=ρ(t)ρ(t)\hat{\mathbf{b}}(t) = \frac{\boldsymbol{\rho}(t)}{\rho(t)}

だけです。実際には画像上の2次元座標(方位角・仰角、あるいは天球上の赤経・赤緯に相当する2つの角度)として観測されますが、これは b^\hat{\mathbf b} という単位ベクトル(3成分のうち独立な自由度は2つ)を測っていることと等価です。

ある時刻 t1t_1b^(t1)\hat{\mathbf b}(t_1) を観測したとしましょう。このとき、観測方程式を満たす相対位置は

ρ(t1)=ρ1b^(t1),ρ1(0,)\boldsymbol{\rho}(t_1) = \rho_1\,\hat{\mathbf{b}}(t_1), \qquad \rho_1 \in (0,\infty)

という任意の正の距離 ρ1\rho_1 に対して成立します。つまり観測方程式 b^=ρ/ρ\hat{\mathbf b}=\boldsymbol\rho/|\boldsymbol\rho| を満たす ρ\boldsymbol\rho の集合は、原点(観測者)から b^(t1)\hat{\mathbf b}(t_1) 方向に伸びる半直線(レイ)全体であり、1点には決まりません。これは近似の話ではなく、観測方程式の構造そのものから来る厳密な不可観測性です。

前回導入した観測行列(ヤコビ行)の言葉で言い換えると、より鮮明になります。b^(ρ)=ρ/ρ\hat{\mathbf b}(\boldsymbol\rho)=\boldsymbol\rho/\rhoρ\boldsymbol\rho のまわりで線形化すると、

δb^=1ρ(Ib^b^T)δρ\delta\hat{\mathbf b} = \frac{1}{\rho}\left(I - \hat{\mathbf b}\hat{\mathbf b}^T\right)\delta\boldsymbol\rho

という関係が(単位ベクトルの微分公式から)厳密に成り立ちます。ここで Ib^b^TI-\hat{\mathbf b}\hat{\mathbf b}^T は視線に直交する方向への射影行列そのもので、前回・DDORの回で繰り返し登場した射影演算子と同じものです。この式が示すのは、視線方向(動径方向)の微小変化 δρ=(b^b^T)δρ\delta\boldsymbol\rho_\parallel = (\hat{\mathbf b}\hat{\mathbf b}^T)\delta\boldsymbol\rho に対して、

(Ib^b^T)δρ=0\left(I-\hat{\mathbf b}\hat{\mathbf b}^T\right)\delta\boldsymbol\rho_\parallel = \mathbf 0

すなわち動径方向にどれだけ相手を動かしても(δρ\delta\rho)、観測される角度は(1次のオーダーで)まったく変化しないということです。DDORの回では、この射影行列は「視線直交方向の角度を測れる」という強みを表す式として登場しました。ここでは同じ数学が逆向きに、「角度センサは動径方向に対して恒等的に感度ゼロである」という弱みを表しています。これが、単一時刻・単一観測点の角度観測だけでは距離が決まらないことの厳密な言い換えです。

観測者の運動による視差: 静止目標の簡単な場合

この不可観測性を解消する最も素朴な方法は、観測者自身が移動して、異なる位置から同じ目標を観測することです。目標が(観測している間は)静止しているとみなせる単純な場合を考えましょう。観測者が時刻 t1,t2t_1, t_2 にそれぞれ位置 rO(t1),rO(t2)\mathbf r_O(t_1), \mathbf r_O(t_2) から目標の方向 b^(t1),b^(t2)\hat{\mathbf b}(t_1), \hat{\mathbf b}(t_2) を観測したとします。これは、DDORSBIで学んだ「2つの異なる地点から同じ相手を見る」という**視差(パララックス)**の考え方を、地上局のペアではなく観測者自身の軌道運動に応用したものにほかなりません。

2本の視線 rO(t1)+ρ1b^(t1)\mathbf r_O(t_1)+\rho_1\hat{\mathbf b}(t_1)rO(t2)+ρ2b^(t2)\mathbf r_O(t_2)+\rho_2\hat{\mathbf b}(t_2) が同一の(静止した)目標位置 rT\mathbf r_T を指すという幾何学的な拘束条件から、未知数 ρ1,ρ2\rho_1,\rho_2 が(2本の視線が現実にねじれの位置にならない理想的な平面内配置であれば)一意に決まります。これは中学校で習う三角測量そのもので、観測者の移動距離(基線長)を b=rO(t2)rO(t1)b=|\mathbf r_O(t_2)-\mathbf r_O(t_1)|、2つの視線がなす角(視差角)を Δθ\Delta\theta とすると、小角近似のもとで

Δθbρ\Delta\theta \approx \frac{b}{\rho}

という関係が成り立ちます。これは天文学の年周視差による恒星距離測定とまったく同じ式です。この関係を距離 ρ\rho について微分し、視差角の測定誤差 σθ\sigma_\theta を距離の推定誤差 σρ\sigma_\rho に伝播させると、

d(Δθ)dρ=bρ2σρρ2bσθ\left|\frac{d(\Delta\theta)}{d\rho}\right| = \frac{b}{\rho^2} \quad\Longrightarrow\quad \sigma_\rho \approx \frac{\rho^2}{b}\,\sigma_\theta

という重要な関係が得られます。これは「距離の推定誤差は距離の2乗に比例して悪化する」ことを意味します。近距離では角度測定だけでもそこそこの距離精度が出ますが、目標が遠くなるほど(基線 bb が同じままなら)必要な精度が急激に厳しくなり、やがて実用に耐えなくなります。同じ角度測定精度でも、基線 bb を大きく取れば取るほど距離推定は良くなる、というのが視差航法の基本的なトレードオフです。DDORが基線長 BB を大きく取るほど角度分解能が上がったのと対をなす関係になっていることに注目してください。

相対軌道推定の非線形最小二乗問題としての定式化

しかし現実のBearings-only navigationでは、目標は静止していません。目標も観測者も軌道力学に従って運動しており、知りたいのは「ある基準時刻における相対位置と相対速度」、すなわち相対状態ベクトル

x0=(ρ0v0)R6\mathbf{x}_0 = \begin{pmatrix}\boldsymbol\rho_0\\ \mathbf v_0\end{pmatrix} \in \mathbb R^6

です(前回と同じ6次元状態です)。相対運動の力学モデル(たとえば線形化されたCW方程式、あるいは非線形の相対軌道伝播式)による状態遷移行列 Φ(t,t0)\Phi(t,t_0) を使うと、任意の時刻 tit_i における相対位置は

ρ(ti;x0)=[Φ(ti,t0)x0]1:3\boldsymbol\rho(t_i;\mathbf x_0) = \big[\Phi(t_i,t_0)\,\mathbf x_0\big]_{1:3}

と書けます(添字 1:31{:}3 は6次元ベクトルの位置成分3つを取り出す操作)。角度観測は、この予測位置から計算される単位ベクトルと実測値の残差として、

Δbib^imeasρ(ti;x0)ρ(ti;x0)\Delta \mathbf b_i \equiv \hat{\mathbf b}_i^{\text{meas}} - \frac{\boldsymbol\rho(t_i;\mathbf x_0)}{|\boldsymbol\rho(t_i;\mathbf x_0)|}

の形で得られます。これを基準解 x0,ref\mathbf x_{0,\text{ref}} のまわりで線形化すると、先ほど導いた射影行列を使って、

δb^i1ρi(Ib^ib^iT)[Φ(ti,t0)]1:3,:H~i (2×6, 実質的な独立成分のみ) δx0\delta\hat{\mathbf b}_i \approx \underbrace{\frac{1}{\rho_i}\left(I-\hat{\mathbf b}_i\hat{\mathbf b}_i^T\right)\Big[\Phi(t_i,t_0)\Big]_{1:3,\,:}}_{\displaystyle \tilde H_i \ (2\times 6,\ \text{実質的な独立成分のみ})}\ \delta\mathbf x_0

という観測行列 H~i\tilde H_i が得られます(単位ベクトルの拘束 b^=1|\hat{\mathbf b}|=1 により実質的な独立成分は2つなので、視線に直交する2つの基底ベクトルへの射影として 2×62\times6 行列にまとめるのが実務上の標準的な扱いです)。これを複数時刻についてスタックし、前回と同じ重み付き最小二乗法の枠組みに載せれば、

δx^0=(H~TWH~)1H~TWΔb,H~=(H~1H~m)\delta\hat{\mathbf x}_0 = \left(\tilde H^TW\tilde H\right)^{-1}\tilde H^TW\,\Delta\mathbf b, \qquad \tilde H=\begin{pmatrix}\tilde H_1\\\vdots\\\tilde H_m\end{pmatrix}

という解が形式上は得られます。しかし、ここには測距・ドップラー・DDORのときにはなかった重大な難しさが1つ隠れています。観測行列 H~i\tilde H_i の中に、推定したい量そのものである距離 ρi\rho_i が分母として現れていることです。角度観測だけでは距離のスケール自体がまったく未知なので、線形化のための基準解 x0,ref\mathbf x_{0,\text{ref}}(とりわけ距離のオーダー)を最初にどう与えるかが、反復計算(微分補正法)が正しい解に収束するかどうかを大きく左右します。これがBearings-only navigationが「本質的に強い非線形性を持つ」と言われる第一の理由です。

なぜ均質な相対力学ではスケールが決まらないのか

もう1つ、さらに根深い問題があります。相手も観測者も一定の速度で直線運動している(あるいは、線形化されたCW/Hill方程式に従って運動している)場合、角度観測だけでは距離のスケールそのものが原理的に決定不能であることが示せます。

まず、最も単純な直線等速運動の場合を見てみましょう。相対位置が

ρ(t)=ρ0+v0(tt0)\boldsymbol\rho(t) = \boldsymbol\rho_0 + \mathbf v_0\,(t-t_0)

で表されるとします。ここで、任意の正のスカラー λ>0\lambda>0 について、初期条件を (ρ0,v0)(λρ0,λv0)(\boldsymbol\rho_0,\mathbf v_0)\to(\lambda\boldsymbol\rho_0,\lambda\mathbf v_0) とスケールした別の相対運動を考えると、

ρ(λ)(t)=λρ0+λv0(tt0)=λρ(t)\boldsymbol\rho^{(\lambda)}(t) = \lambda\boldsymbol\rho_0+\lambda\mathbf v_0(t-t_0) = \lambda\,\boldsymbol\rho(t)

となり、すべての時刻で ρ(λ)(t)\boldsymbol\rho^{(\lambda)}(t) はもとの ρ(t)\boldsymbol\rho(t) のちょうど λ\lambda 倍です。角度観測はベクトルの大きさで正規化されるので、

b^(λ)(t)=ρ(λ)(t)ρ(λ)(t)=λρ(t)λρ(t)=b^(t)\hat{\mathbf b}^{(\lambda)}(t) = \frac{\boldsymbol\rho^{(\lambda)}(t)}{|\boldsymbol\rho^{(\lambda)}(t)|} = \frac{\lambda\boldsymbol\rho(t)}{\lambda|\boldsymbol\rho(t)|} = \hat{\mathbf b}(t)

と、λ\lambdaまったく依存せず一致します。つまり「近くをゆっくり動く目標」と「λ\lambda 倍遠くを λ\lambda 倍速く動く目標」は、角度観測の時系列だけからはどの時刻をとっても完全に見分けがつかないのです。これは線形化の近似誤差ではなく、任意の λ\lambda に対して厳密に成り立つ数学的な不変性(対称性)です。

この結果は直線等速運動に限りません。相対運動を近似的に記述するClohessy-Wiltshire(CW/Hill)方程式

x¨2ny˙3n2x=0,y¨+2nx˙=0,z¨+n2z=0\ddot x - 2n\dot y - 3n^2 x = 0,\qquad \ddot y + 2n\dot x = 0,\qquad \ddot z + n^2 z = 0

(基準軌道の平均運動を nn とする)は、状態ベクトル x=(ρ;ρ˙)\mathbf x=(\boldsymbol\rho;\dot{\boldsymbol\rho}) について線形かつ斉次(外力項を含まない)な微分方程式 x˙=Fx\dot{\mathbf x}=F\mathbf x です。線形微分方程式の解の性質から、x0\mathbf x_0 を初期条件とする解が x(t)=Φ(t,t0)x0\mathbf x(t)=\Phi(t,t_0)\mathbf x_0 であれば、λx0\lambda\mathbf x_0 を初期条件とする解は状態遷移行列の線形性によりちょうど λΦ(t,t0)x0=λx(t)\lambda\Phi(t,t_0)\mathbf x_0=\lambda\mathbf x(t) になります。つまりCW方程式に従う相対運動でも、直線等速運動とまったく同じスケール不変性が厳密に成り立つのです。これは近似の粗さの問題ではなく、CW方程式が線形かつ斉次であるという構造そのものに由来する数学的事実です。

この事実を、先ほどの観測行列の言葉で言い換えると、状態空間の中で x0,ref\mathbf x_{0,\text{ref}} 自身が向く方向(δx0=εx0,ref\delta\mathbf x_0 = \varepsilon\,\mathbf x_{0,\text{ref}} という「相対状態全体を一律に少しだけスケールする」方向)への摂動が、あらゆる時刻の角度観測に対して(線形化のオーダーだけでなく厳密に)ゼロの感度しか持たないということです。したがって、この方向はスタックした観測行列 H~\tilde H の(近似的にではなく)厳密な零方向であり、重み付き最小二乗の情報行列 H~TWH~\tilde H^TW\tilde H は原理的にこの方向で特異になります。目標も観測者も一定の速度で(あるいはCW方程式に従って)動いているだけの状況では、角度観測をどれだけ長時間・高精度に集めても、相対距離のスケールだけはどうしても決まらない、というのがBearings-only navigationの本質的な限界です。

非線形性・機動による観測可能性の回復

このスケール不変性を破るには、相対運動の記述が線形・斉次でなくなる必要があります。実務上、これには大きく2つの道筋があります。

  1. 観測者(あるいは目標)が機動(インパルス的な Δv\Delta v)を行う: ある時刻 tmt_m に速度を Δv\Delta\mathbf v だけ瞬時に変化させると、その後の相対運動は x(tm+)=x(tm)+(0;Δv)\mathbf x(t_m^+)=\mathbf x(t_m^-)+(\mathbf 0;\Delta\mathbf v) という、初期状態のスケールに依存しない固定オフセットを持つことになります。Δv\Delta\mathbf vx0\mathbf x_0 に比例して大きくなるものではないため、x0λx0\mathbf x_0\to\lambda\mathbf x_0 というスケール変換のもとで機動後の軌道は単純に λ\lambda 倍にはならず、先ほどの厳密な不変性が壊れます。これはまさに潜水艦のTMAで、受動ソナーによる目標運動解析を行う艦(own-ship)が意図的に針路を変える「オウンシップ・マニューバ」と呼ばれる古典的な戦術と数学的に同じ発想です。宇宙機の場合は、観測者(あるいは目標側)が推進系による意図的な軌道変更を行うことで、角度観測だけから距離のスケールを決定できるようになります。
  2. 相対運動の真の非線形性(重力の差分効果)に頼る: CW方程式は、基準軌道からの相対距離が十分小さいときの近似(線形化)にすぎません。実際の2体問題の重力加速度は μr/r3-\mu\mathbf r/|\mathbf r|^3 という非線形な関数であり、厳密には x0λx0\mathbf x_0\to\lambda\mathbf x_0 に対して力学が単純に λ\lambda 倍にスケールする性質(斉次性)を持ちません。したがって、相対距離が大きく、観測時間が長く、軌道の非線形な曲率(離心率の効果や重力の差分効果)が無視できないほど蓄積される状況では、機動なしでもわずかながら距離のスケールに関する情報がにじみ出てきます。ただしこの効果は一般に非常に弱く、実用的な精度で距離を決めるには長い観測時間と高いSNRが必要になります。

この2つの選択肢があるからこそ、Bearings-only navigationでは観測者の軌道設計そのものが航法系の性能を左右する設計パラメータになります。単に「カメラの精度を上げる」「観測回数を増やす」だけでは根本的なスケール不確定性は解消されず、いつ・どの方向へ・どれだけの Δv\Delta v で機動するか、あるいはどれだけ長く非線形な相対運動が蓄積するのを待つか、という軌道設計の意思決定が観測可能性そのものを左右します。これは、これまでの回で扱ってきたDDORの基線配置設計(東西・南北基線をどう組むか)よりもさらに一段深く、「そもそも情報が原理的に存在するかどうか」に関わる設計問題です。

実務での使われ方

Bearings-only navigationは、他の回で扱ってきたCCSDSの通信規格のような標準化されたプロトコルというよりも、誘導・航法・制御(GN&C, Guidance, Navigation and Control)の分野で培われてきた推定アルゴリズムの体系として実装され、運用されています。

  • 潜水艦の受動ソナー航法(Target Motion Analysis, TMA): 冒頭で触れた通り、この分野の観測可能性理論の古典として、Nardone and Aidalaによる1981年の論文が、直線等速運動を仮定した場合に自艦(観測者)が機動しない限り目標の距離・速度が原理的に決定できないことを数学的に証明し、以後のTMA研究の基礎になりました。この結果は、本文で導いたスケール不変性の議論とほぼ同じ構造を持っています。
  • 編隊飛行・近傍運用における受動光学航法: 編隊飛行の相対航法の回で扱ったSBIやクロスリンク測距は能動的な電波・レーザー機器を必要としましたが、電力や質量、視認性(ステルス性)の制約からそれらを搭載できない小型衛星では、搭載カメラによる相手機の方向検出(Vision-Based Sensor, VBS)だけを頼りに接近・ランデブーを行う設計が検討・実証されてきました。スウェーデン宇宙公社のPRISMAミッションでは、能動的なRFセンサ(FFRF)に加えて、光学カメラによる角度のみのナビゲーションフェーズが軌道上で実証されており、本文で述べた「機動によって観測可能性を確保する」設計思想がそのまま反映されています。
  • 自律ランデブー・ドッキングのための角度のみ航法: NASAやJPLの研究グループ(D. WoffindenとD. Gellerによる一連の研究など)は、能動的なレーダーやLIDARを搭載しない、あるいはそれらが利用できない状況を想定した角度のみによる自律ランデブー航法の観測可能性理論を体系化し、意図的なシューティング(視線方向を横切るような機動プロファイル)を計画に組み込むことで観測可能性を確保する設計手法を提案しています。
  • 小惑星・彗星への受動的接近における応用可能性: 電波トランスポンダを持たない自然天体への接近運用では、搭載カメラによる天体の方向検出が航法情報の中心になります。ただし実際のミッション(はやぶさ2、OSIRIS-RExなど)の近傍運用では、本文で見た角度のみの観測可能性の弱さを踏まえ、レーザー高度計(LIDAR)による直接的な距離測定を併用する設計が標準的に採られています。これは、Bearings-only navigationが抱える原理的な弱点(距離のスケール不確定性)を、工学的には角度センサ単体に頼らず補助的な測距手段を追加することで回避するという、実務上の典型的な解決策です。

演習問題

  1. 観測方程式 b^=ρ/ρ\hat{\mathbf b}=\boldsymbol\rho/\rho を線形化した式 δb^=1ρ(Ib^b^T)δρ\delta\hat{\mathbf b}=\dfrac{1}{\rho}(I-\hat{\mathbf b}\hat{\mathbf b}^T)\delta\boldsymbol\rho を使って、視線方向の変化 δρ=εb^\delta\boldsymbol\rho=\varepsilon\hat{\mathbf b}(ε\varepsilonは微小なスカラー)に対して δb^=0\delta\hat{\mathbf b}=\mathbf 0 となることを示してください。射影行列の性質 b^T(Ib^b^T)=0T\hat{\mathbf b}^T(I-\hat{\mathbf b}\hat{\mathbf b}^T)=\mathbf 0^T を使ってよい。

  2. 観測者が基線長 b=500b=500 km だけ移動して静止目標を視差観測したところ、視差角が Δθ=2×104\Delta\theta = 2\times10^{-4} rad(角度測定精度 σθ=10 μrad\sigma_\theta = 10\ \mu\text{rad})だった。本文の関係式 Δθb/ρ\Delta\theta\approx b/\rho を使って距離 ρ\rho を推定し、さらに σρ(ρ2/b)σθ\sigma_\rho\approx(\rho^2/b)\sigma_\theta を使って距離の推定誤差を求めよ。同じ目標がこの2倍遠くにあった場合、距離推定誤差はどう変化するか論じよ。

  3. 相対運動が直線等速運動 ρ(t)=ρ0+v0(tt0)\boldsymbol\rho(t)=\boldsymbol\rho_0+\mathbf v_0(t-t_0) に従うとき、(ρ0,v0)(λρ0,λv0)(\boldsymbol\rho_0,\mathbf v_0)\to(\lambda\boldsymbol\rho_0,\lambda\mathbf v_0) というスケール変換のもとで角度観測の時系列 b^(t)\hat{\mathbf b}(t) が任意の λ>0\lambda>0 に対して厳密に不変であることを、本文の式変形を再現して示してください。また、この不変性がCW方程式(線形・斉次な相対力学)に従う一般の相対運動でも成り立つ理由を、状態遷移行列の線形性の観点から説明せよ。

  4. なぜ観測者(あるいは目標)が行うインパルス的な速度変化 Δv\Delta\mathbf v は、問題3で示したスケール不変性を破るのか。Δv\Delta\mathbf v が初期状態 x0\mathbf x_0 のスケールに依存しない「固定オフセット」であることに触れながら、自分の言葉で説明せよ。さらに、潜水艦TMAにおける「オウンシップ・マニューバ」という戦術が、この数学的性質とどう対応しているかを論じよ。

まとめと次回予告

Bearings-only navigationは、測距もドップラーも使えず、視線方向の角度だけしか観測できない特殊な状況で軌道情報を引き出す航法問題です。単一時刻・単一観測点からの角度観測は、視線に直交する方向にしか感度を持たず、距離方向には厳密にゼロの感度しかないため、原理的に距離が決まりません。観測者が自ら移動することで生じる視差を使えば、静止目標であれば単純な三角測量で距離が決まりますが、目標自身も運動している一般の場合には、相対状態を非線形最小二乗問題として推定する必要があります。さらに、相対運動が直線等速運動やCW方程式のような線形・斉次な力学に従う限り、角度観測の時系列は相対状態のスケール変換に対して厳密に不変であり、距離のスケールだけはどうしても決まりません。この不可観測性を破るには、観測者(あるいは目標)の意図的な機動か、無視できない非線形性の蓄積が必要であり、これが「観測者の軌道設計そのものが航法性能を左右する」というBearings-only navigation特有の設計上の考慮につながっています。

次回は視点を変えて、これまで前提としてきた「基準軌道」そのものが、実際には重力の非一様性や大気抵抗、太陽輻射圧といった摂動によってどうずれていくのか、軌道摂動論の基礎に軽く触れ、それが追跡・軌道予測の精度にどう効いてくるかを見ていきます。

参考文献

  • S. C. Nardone, V. J. Aidala, “Observability Criteria for Bearings-Only Target Motion Analysis,” IEEE Transactions on Aerospace and Electronic Systems, AES-17(2), 1981
  • D. Woffinden, D. Geller, “Navigating the Road to Autonomous Orbital Rendezvous,” Journal of Spacecraft and Rockets, 44(4), 2007
  • D. Woffinden, D. Geller, “Observability Criteria for Angles-Only Navigation,” IEEE Transactions on Aerospace and Electronic Systems, 45(3), 2009
  • S. Persson, S. Veldman, P. Bodin, “PRISMA Formation Flying Demonstrator: Overview and Conclusions from the Nominal Mission,” Advances in the Astronautical Sciences, AAS
  • H. Schaub, J. L. Junkins, Analytical Mechanics of Space Systems, AIAA Education Series(Clohessy-Wiltshire方程式に関する章)
  • B. D. Tapley, B. E. Schutz, G. H. Born, Statistical Orbit Determination, Elsevier Academic Press