測距・追跡#137
測地VLBI — クエーサーカタログと位相基準観測で地球を測る
DDORで使ったVLBIは探査機の角度を測る応用の1つに過ぎない。搬送波位相そのものを使う位相基準観測、ICRFクエーサーカタログを基準にした基線ベクトルの逆推定、そしてミリメートル/年の地殻変動検出という、VLBI本来の姿である測地学への応用を数式で追い、それがDDOR/SBIの基線知識にどうフィードバックするかまでを見る。
前提知識: DDOR — 電波干渉法で天球上の角度を測る、SBI — 同一ビーム干渉法で2機の相対位置を測る
この回で学ぶこと
DDORとSBIの2回で、我々はVLBI(超長基線電波干渉法)を「探査機の天球上の角度を決定する道具」として学んできました。地上局のペア(基線)で同じ電波源からの信号を受信し、到達時間差 から視線方向 を逆算する、という筋道でした。この定式化では、基線ベクトル (地上局の位置関係)は既知の量として扱い、未知の電波源方向 を求めるという向きで議論が進んでいたことを思い出してください。
しかし歴史的には、話の順序はまったく逆でした。VLBIという技術そのものは1960年代後半から70年代にかけて、電波天文学者が地球そのものの形と動きを精密に測るために発展させたものです。発想を反転させ、天球上の位置がきわめて正確に分かっている電波源(クエーサー)を基準にすれば、逆に地上局の位置関係(基線ベクトル)を未知数として解くことができます。つまりDDORとは主客が入れ替わった、VLBIのもう1つの、しかも本来の使い方です。
この回では、この測地VLBI(Geodetic VLBI)を扱います。具体的には、(1) DDORで使った群遅延よりもさらに高精度な搬送波位相を使うために必要な「位相基準観測」という考え方とアンビギュイティ解消の仕組み、(2) 国際天球基準座標系(ICRF)を構成するクエーサーカタログを基準点とした基線ベクトルの逆推定、(3) 長期観測で見えてくるミリメートル/年オーダーの地殻変動とプレートテクトニクス、そして(4) この地上局位置の精密な知識がDDOR/SBIの航法精度に直接フィードバックする構造、を数式とともに追っていきます。DDORの基本幾何(前々回で導出済み)はここでは再導出しません。
直感的導入: VLBIの生まれ故郷は「地球の形」を測ることだった
DDORの回で見たように、群遅延測定の到達時間差 から角度 を求めるには、基線ベクトル が既知でなければなりません。しかし、その ——つまり地上局アンテナの正確な3次元座標——は、いったい誰が、どうやって決めているのでしょうか。
答えは「VLBIそのもの」です。地球上の複数のアンテナで、天球上のきわめて遠方にあり、実用上まったく動かないとみなせる電波源——クエーサー(準恒星状電波源)——を観測すれば、DDORと同じ幾何学の式 において、今度は (クエーサー方向)を既知として扱えます。クエーサーは数十億光年彼方の天体で、その天球上の見かけの位置は年間ごくわずかなオーダーでしか変化しないため、「動かない基準点」として理想的です。この既知の と測定した から、逆に未知数である基線ベクトル を求める——これが測地VLBIの基本発想です。
さらに、この観測を24時間かけて地球が自転する間、天球上のさまざまな方向にある多数のクエーサーに対して繰り返せば、基線ベクトルの3成分だけでなく、地上局の時計のズレ、大気による遅延、さらには地球の自転・姿勢そのもの(極運動や自転速度の変化)まで、同時に高精度で求めることができます。DDORが「既知の基線から未知の探査機方向を求める」順方向の問題だったのに対し、測地VLBIは「既知のクエーサー方向群から未知の基線を求める」逆問題であり、この2つは同じ物理現象(VLBI干渉計の到達時間差)の表と裏の関係にあります。
数式による定式化
群遅延から搬送波位相へ: なぜもっと精密に測りたいのか
DDORの回では、アンビギュイティを避けるために、広帯域トーンの位相差から群遅延を測定する方法を見ました。群遅延測定の精度は、DDORの例では数十ピコ秒のオーダーでした。ところが、探査機の変調スペクトルとは違い、クエーサー自体は連続スペクトルの雑音的な電波源です。地上局はこのクエーサーからの雑音信号をそのまま2局で相互相関させ、搬送波位相そのもの(受信した電波の瞬時位相)を直接比較できます。
搬送波の周波数を とすると、原理的には位相の精度は群遅延よりはるかに良く、換算した遅延の精度は
というオーダーになります。ここで は位相測定の雑音(ラジアン単位)です。高いSNRの観測では を数十ミリラジアン程度まで追い込めるため、 GHz(Xバンド)なら はサブピコ秒、すなわち群遅延測定よりさらに1〜2桁良い精度に達します。搬送波位相を使うことは、原理的にはDDORの群遅延測定を桁違いに凌駕する精度を約束してくれるわけです。
しかし、これはDDORの回で見たアンビギュイティの問題を、より厳しい形で呼び戻します。搬送波位相の測定値 は の範囲でしか分からず、実際の遅延に対応する位相は
という形で、整数 (位相アンビギュイティ、何周期分ズレているか分からない未知数)を含んでいます。 GHzでは1周期はわずかナノ秒に相当するので、地球規模の基線が生む数十ミリ秒オーダーの遅延に対しては、 の候補は文字通り天文学的な数になり、位相だけからこの整数を特定することは不可能です。
位相アンビギュイティの解消: 群遅延を「粗い定規」として使う
この問題の解決の第一段階は、DDORでも使った群遅延測定を、今度はアンビギュイティ解消のための粗い定規として使うことです。群遅延測定 (精度 、DDORの回で見たように数十ピコ秒オーダー)がすでに得られていれば、これを使って整数 を一意に決定できます。
この決定が一意になる条件は、群遅延の不確かさが1周期の半分より十分小さいこと、すなわち
です。 GHzでは ピコ秒であり、群遅延精度が数十ピコ秒であれば、この条件はぎりぎり満たされるものの余裕は大きくありません。そのため実務では、DDORのときと同様、狭帯域から広帯域まで複数の周波数対を段階的に組み合わせてアンビギュイティを絞り込む「帯域合成(bandwidth synthesis)」の手続きが使われます。 が一度確定すれば、以降は式 に従って、群遅延よりも1〜2桁良い精度の遅延測定値が得られます。
位相基準観測: アンビギュイティを「つなぎ止める」
もう1つの、そしてより本質的な仕組みが**位相基準観測(phase-referencing)**です。これは単に1回だけ を決定する手続きではなく、観測セッション全体を通じて位相の連続性(コヒーレンス)を維持し続ける手法です。
目的の電波源(測地VLBIでは着目しているクエーサー、あるいはDDORの文脈では探査機)と、天球上でごく近くにある位置既知の較正電波源(参照クエーサー)を、数十秒〜数分という短い周期で交互に観測します。この周期は、大気のゆらぎによって位相が1周期分以上ずれてしまう時間スケール(コヒーレンス時間)よりも短く取る必要があります。こうすることで、参照電波源側で連続的に位相を追跡し続ければ、その位相サイクルの数え間違い(サイクルスリップ)が起きず、 の値をセッション全体にわたって一貫して「つなぎ止める」ことができます。
という差分観測量を連続的に構成すると、DDORのDelta較正と同様に、2つの視線に共通する電離層・対流圏遅延や局時計の誤差が相殺されます。ただし、DDORのDelta較正が「群遅延という粗い量」に対する較正だったのに対し、位相基準観測は「1周期(サブナノ秒)未満の精度を持つ量」に対する較正であるため、要求される交互観測の周期はDDORよりもずっと厳しく(数分ではなく数十秒〜1分程度)、大気の状態がその間にほとんど変化しないことが前提になります。この仕組みによって初めて、搬送波位相が本来持つサブピコ秒級の精度を、アンビギュイティに邪魔されずに引き出すことができます。
測地VLBIの観測方程式: 未知数としての基線ベクトル
ここからが測地VLBI特有の議論です。DDORの式 において、(番目のクエーサーの方向)はICRFカタログから高精度に既知だとします。一方、基線ベクトル は、あらかじめ大まかな値 は分かっているものの、正確な値(補正量 )を求めたい未知数です。これを線形化すると、番目のクエーサーに対する観測方程式は
という形になります。ここで は2局間の時計オフセット・周波数オフセットをモデル化する項、 は天頂大気遅延 に、観測時の仰角 に依存する写像関数(マッピング関数) を掛けた対流圏遅延モデル、 は観測雑音です。未知数を とまとめ、既知量を差し引いた残差を と書けば、各観測は
という線形の観測方程式になります( は偏微分係数を並べた行係数ベクトル)。1晩に数百から数千個のこうした観測を、天球上のさまざまな方向にある多数のクエーサーに対して行い、最小二乗法で
として解けば、基線ベクトルの補正量 (すなわち地上局の位置)、局時計のオフセット、大気遅延、そして(観測に組み込めば)地球姿勢パラメータまで、同時に推定できます。ここで重要なのは、天球上の広い範囲・さまざまな仰角にあるクエーサーを多数観測することが幾何学的に不可欠だという点です。特定の方向に偏った観測しかしないと、基線ベクトルの推定値と大気遅延・時計オフセットの推定値が互いに強く相関してしまい(GPSにおける幾何学的精度低下、DOPと同種の問題)、解が不安定になります。DDORが1回のパスで1つの角度を求める問題だったのに対し、測地VLBIは24時間かけて天球全体をスキャンし、過剰決定された連立方程式を解く逆問題である点が本質的に異なります。
基線長の時間変化とプレートテクトニクス
こうして得られる基線ベクトル の推定値は、1回のセッション(典型的に24時間)ごとに求まる「スナップショット」です。これを数年〜数十年にわたって繰り返し観測すると、基線ベクトルの時間変化 の履歴が得られます。これを単純な線形モデルで表すと、
となり、 が**基線の長期的な変化率(secular rate)**です。地球の岩板(プレート)はそれぞれ年間数センチメートルのオーダーで独立に運動しており(たとえば太平洋プレートは北米プレートに対して年間およそ7〜8 cm程度動くことが知られています)、2つの地上局が異なるプレート上にある場合、その基線長は年々ミリメートルからセンチメートルのオーダーで変化し続けます。1回の測地VLBIセッションで基線長がミリメートル級の精度で決まり、これを数年〜数十年蓄積することで、 を年間ミリメートル(mm/yr)オーダーの精度で検出できます。実際に測地VLBIによって観測された基線の伸縮率は、地質学的手法やプレート運動モデル(NNR-NUVEL1Aなど)から予測される値と高い精度で一致することが確認されており、VLBIはプレートテクトニクス理論を宇宙測地学の立場から直接検証した最初の技術の1つでもあります。
この基線変化は、単なる地球科学上の関心にとどまりません。DDORの角度決定精度は、DDORの式 を暗黙に基線長 が正確に既知であることに依存しています。この式を について陰関数的に微分すると(測定された を固定して、 の誤差が の誤差に伝播する量を評価すると)、
となり、基線長の相対誤差 が、そのままオーダーとしてDDORの角度誤差に直結することが分かります。DDORの回で見たナノラジアン級の角度精度( rad)を実現するには、 kmの基線に対して
というように、基線長をミリメートル級で把握しておく必要があることが分かります。もし基線の経年変化(地殻変動)を無視して古い基線値を使い続ければ、年間数ミリメートルからセンチメートルのズレが蓄積し、数年でDDORの角度精度を大きく損なうレベルの誤差になってしまいます。つまり、測地VLBIがIVS(後述)を通じて継続的に基線ベクトルを更新し続けることは、DDORやSBIによる探査機航法の精度を維持するための、目立たないが不可欠な基盤なのです。
実務での使われ方
測地VLBIの国際的な運用は、国際VLBI事業(IVS, International VLBI Service for Geodesy and Astrometry) によって統括されています。IVSは1999年に発足した国際組織で、世界各地の40局以上の測地VLBI専用アンテナのネットワークを運用し、週次の24時間観測セッション(R1、R4セッションなど)を通じて継続的にデータを収集しています。IVSが生成する成果物は、国際地球回転・基準系事業(IERS, International Earth Rotation and Reference Systems Service)を通じて、以下のような形で世界の測地基盤に組み込まれます。
- 国際地上基準座標系(ITRF, International Terrestrial Reference Frame): 測地VLBI、SLR(衛星レーザー測距)、GNSS、DORISという4つの宇宙測地技術の観測を統合して構築される、地球に固定された座標系の公式な実現。測地VLBIは、地球全体を貫く超長基線を扱える点で、ITRFのスケール(距離のスケール)と原点近傍の安定性に独自の寄与をしています。
- 地球姿勢パラメータ(EOP, Earth Orientation Parameters): 極運動(、地球の自転軸が地殻に対してわずかにふらつく現象)と、UT1-UTC(地球の自転速度そのものの変動、うるう秒の根拠となる量)。測地VLBIは、これらのEOPのうちUT1-UTCを直接測定できる唯一の宇宙測地技術であり、GNSSでは得られない情報を提供しています。
- 国際天球基準座標系(ICRF, International Celestial Reference Frame): 現行版のICRF3(2018年、国際天文学連合IAUが採択)は、4000個を超えるクエーサーの位置を、最良のもので数十マイクロ秒角というきわめて高い精度でカタログ化しています。この安定したクエーサー群が、測地VLBIの観測方程式における「既知の 」を提供する基準そのものです。
DSN (Deep Space Network) のアンテナ局(ゴールドストーン、マドリード、キャンベラ)の座標もまた、周辺の測地VLBI局や現地測量とのタイ(結合)観測を通じて、ITRFの枠組みの中で精密に位置決定されています。ゴールドストーン局は太平洋プレートにきわめて近い位置にあり、周辺のプレート運動の影響を無視できないため、DSNの局位置もまた定期的な更新が必要です。この局位置の精度が、そのままDDOR観測に使われる基線ベクトル の精度に直結します。
近年は、従来のS/Xバンド方式に代わり、より広帯域(2〜14 GHz程度)で高速に指向できる小口径アンテナを用いたVGOS (VLBI Global Observing System) という次世代測地VLBIシステムへの移行が進んでいます。VGOSは、従来数日かかっていた解析を24時間以内、将来的には準リアルタイムに近い形で行うことを目指しており、ミリメートル以下の精度で地球姿勢パラメータと局位置を継続的に監視する体制の構築が進められています。
演習問題
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搬送波周波数 GHz、群遅延測定の不確かさ ps とする。位相アンビギュイティの整数 を一意に決定できる条件 を数値的に確認し、この条件がどの程度の余裕(マージン)を持っているか評価せよ。
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基線長 km、視線角 の観測で、DDORの角度精度目標を ナノラジアンとする。本文中で導出した関係式 を使って、この精度目標を達成するために基線長 をどの程度の精度(ミリメートル単位)で把握しておく必要があるか求めよ。
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ある大陸間基線の長さが、測地VLBIによる長期観測から cm/yr の速度で伸びていることが分かったとする。この基線を10年間まったく更新せずに使い続けた場合、蓄積する基線長の誤差(センチメートル単位)を求め、これが演習2で求めたDDORの許容誤差と比べてどの程度深刻かを論じよ。
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DDORのDelta較正(探査機とクエーサーを数分おきに交互観測する)と、測地VLBIの位相基準観測(目標天体と較正天体を数十秒〜1分周期で交互観測する)は、どちらも「近傍の電波源との差分を取って大気・時計誤差を消す」という同じ発想に基づいている。それにもかかわらず後者の方が交互観測の周期をずっと短く取る必要があるのはなぜか、両者が扱う観測量(群遅延 vs. 搬送波位相)の精度の違いに触れながら説明せよ。
まとめと次回予告
DDORとSBIで見たVLBIは、実は電波天文学がもともと地球そのものを測るために発展させてきた測地VLBIという、より大きな技術体系の一部でした。搬送波位相を使うことで群遅延よりも1〜2桁高い精度を引き出せる一方、それは位相アンビギュイティというより厳しい制約を伴い、位相基準観測という短周期の交互観測でこれを解消します。ICRFのクエーサーカタログという「動かない基準点」を既知として使えば、DDORとは主客が逆転した逆問題として、地上局の基線ベクトルそのものを高精度に決定でき、その積み重ねからは地殻のプレート運動という地球科学的な現象までもがミリメートル/年の精度で見えてきます。そして、この基線ベクトルの精密な知識こそが、DDOR・SBIによる探査機航法の精度を根底で支えている——測地学と深宇宙航法は、同じVLBIという1本の技術の、互いに支え合う両輪なのです。
次回は、これまで見てきたレンジ・ドップラー・DDOR・SBIといった追跡技術群が、実際のミッション運用の中で軌道マヌーバの計画や通信ウィンドウの制約とどう絡み合ってくるのかに軽く触れていきます。
参考文献
- P. Charlot et al., “The Third Realization of the International Celestial Reference Frame by Very Long Baseline Interferometry,” Astronomy & Astrophysics, 2020 (ICRF3)
- H. Schuh and D. Behrend, “VLBI: A Fascinating Technique for Geodesy and Astrometry,” Journal of Geodynamics, 2012
- A. Niell et al., “VLBI2010: Current and Future Requirements for Geodetic VLBI Systems,” IVS Working Group 3 Final Report
- G. Petit and B. Luzum (eds.), IERS Conventions (2010), IERS Technical Note No. 36
- DSN Telecommunications Link Design Handbook, DSN No. 810-005 (局位置決定・測地に関するモジュール)
- C. Ma et al., “The International Celestial Reference Frame as Realized by Very Long Baseline Interferometry,” The Astronomical Journal