変調・符号化#121

時空間符号化とMIMO基礎 — 送信側のアンテナでダイバーシティを稼ぐ

受信側に複数アンテナを置けない状況で、送信側に複数アンテナを配置してダイバーシティ利得を得るAlamouti符号の仕組みを、直交性にもとづく符号化行列と線形処理だけで2次ダイバーシティが得られることの証明から理解し、空間多重によるMIMOへの拡張と地上系4G/5Gでの普及・深宇宙探査機での不採用理由を見る。

前提知識: ダイバーシティ合成 — 独立した伝搬路の組み合わせで深いフェージングを避ける

MIMOAlamouti符号時空間符号化送信ダイバーシティ空間多重

この回で学ぶこと

ダイバーシティ合成の回では、統計的に独立な複数の伝搬経路を用意し、それらの受信信号を選択合成や最大比合成(MRC)で組み合わせることで、深いフェージングに全経路が同時に見舞われる確率を劇的に下げられることを見ました。あの議論には、暗黙のうちに1つの前提がありました。受信側が複数のアンテナ(あるいは複数の受信局)を持てる、という前提です。DSNの3局構成や、アンテナアレイの複数受信機は、まさにこの前提の上に成り立っていました。

しかしこの前提が崩れる状況は珍しくありません。地上の携帯電話端末を思い浮かべてください。基地局側には複数のアンテナを立てる余裕がいくらでもありますが、手のひらに収まる端末側には、波長オーダーで十分に離した複数のアンテナを収める物理的な余地がほとんどありません。深宇宙探査機の場合はこの逆で、探査機側が搭載スペース・重量・電力の制約から複数の高利得アンテナを持ちにくく、地上局側(DSNの巨大パラボラ)にこそ複数アンテナを展開する余裕がある、という非対称な構図になります。

この回で扱う 時空間符号化(Space-Time Coding) は、この非対称性に対する答えです。問いを逆転させて、こう考えます。「受信側のアンテナは1本しかないという制約のもとで、送信側に複数アンテナを配置するだけで、ダイバーシティ利得を得られないか?」 これはダイバーシティ合成の回で見た「複数の受信信号を合成する」というアプローチとは主従が逆転した、**送信ダイバーシティ(transmit diversity)**という発想です。

この回では、次の3つを数式で追います。

  1. なぜ複数の送信アンテナから単純に同じ信号を同時に送るだけではダイバーシティが得られないのか、という問題の所在
  2. Alamouti符号——2本の送信アンテナと2つの時間スロットを使い、直交性を保つように符号化することで、受信側がアンテナ1本・線形処理だけで2次のダイバーシティ利得を得られる仕組み
  3. 送信・受信の両方に複数アンテナを持つMIMO(Multiple-Input Multiple-Output)への拡張と、ダイバーシティとは別のもう1つの利用法である空間多重

最後に、地上の4G/5G網でMIMOがどう普及しているか、そして深宇宙探査機ではなぜMIMOがいまだ一般的でないのかを見ます。

直感的導入 — 「複数のアンテナから同じ信号を送る」だけではなぜダメなのか

まず、素朴なアイデアから始めてみましょう。送信側に2本のアンテナがあるなら、同じシンボル ss を両方のアンテナから同時に送信すればよいのではないか、という発想です。

しかしこれはうまくいきません。2本のアンテナからの信号は、受信側の1本のアンテナのところで、電波として空間で足し合わさってから受信されます。アンテナ1からの伝搬路の複素利得(フェージング係数)を h1h_1、アンテナ2からのものを h2h_2 とすると、受信信号は

r=h1s+h2s+n=(h1+h2)s+nr = h_1 s + h_2 s + n = (h_1 + h_2) s + n

となります。もし h1h_1h2h_2 がたまたま逆位相に近く、h1+h20h_1 + h_2 \approx 0 となる瞬間があれば(これは独立フェージングでは十分に起こり得ます)、2本のアンテナを使っているにもかかわらず、信号は完全に打ち消し合って消えてしまいます。これは1本アンテナのときの深いフェードよりもむしろ悪化しうる、破壊的干渉の問題です。単純な同時送信は、ダイバーシティ利得をもたらすどころか、むしろフェージングを不安定にしかねません。

ダイバーシティ合成の回のMRCが機能したのは、受信側が h1,h2h_1, h_2両方の値を個別に知っており、それぞれに適切な重み wiai/N0,iw_i \propto a_i/N_{0,i} を掛けてから合成していたからでした。ところが今考えている送信ダイバーシティの状況では、受信側のアンテナは1本しかなく、h1sh_1 sh2sh_2 s が混ざり合った単一の観測値しか手に入りません。この1つの観測から、2つの独立な伝搬路の情報をどうやって引き出すのか——これが送信ダイバーシティが解決すべき本質的な問題です。答えは「空間だけでなく、時間軸も使って、2つの伝搬路を分離可能な形で符号化する」ことにあります。これがAlamouti符号の核心です。

Alamouti符号 — 2送信アンテナの時空間ブロック符号

符号化: シンボルを時間とアンテナの2次元格子に配置する

送りたいデータシンボルが2つ、s1s_1s2s_2 あるとします(たとえばBPSKやQPSKのシンボル)。Alamouti符号は、これらを2本の送信アンテナ(Tx1,Tx2\mathrm{Tx}_1, \mathrm{Tx}_2)と2つの連続する時間スロット(t=1,t=2t=1, t=2)からなる 2×22\times 2 の格子に、次の符号化行列にしたがって配置します。

S=(s1s2s2s1)\boxed{ \mathbf{S} = \begin{pmatrix} s_1 & -s_2^{*} \\ s_2 & s_1^{*} \end{pmatrix} }

行を時間スロット、列を送信アンテナに対応させると読みやすくなります。

Tx1\mathrm{Tx}_1Tx2\mathrm{Tx}_2
時刻 t=1t=1s1s_1s2s_2
時刻 t=2t=2s2-s_2^{*}s1s_1^{*}

つまり、時刻1ではアンテナ1が s1s_1 を、アンテナ2が s2s_2 を同時に送ります。続く時刻2では、アンテナ1が s2-s_2^{*}(シンボル2の複素共役に負号をつけたもの)を、アンテナ2が s1s_1^{*}(シンボル1の複素共役)を同時に送ります。2シンボル分の情報を伝えるのに2つの時間スロットを使うので、伝送レートそのものは1本アンテナのときと変わらない(シンボルレート1)点に注意してください。この回で得られる恩恵はレートの向上ではなく、後述するダイバーシティ利得です。

この行列の作り方には理由があります。S\mathbf{S} の2つの行(=2つの時間スロットでの送信ベクトル)は互いに直交します。

(s1s2)(s2s1)=s1s2+(s2)s1=s1s2s1s2=0\begin{pmatrix} s_1 & -s_2^{*} \end{pmatrix} \cdot \overline{\begin{pmatrix} s_2 & s_1^{*} \end{pmatrix}}^{\top} = s_1 s_2^{*} + (-s_2^{*}) s_1 = s_1 s_2^{*} - s_1 s_2^{*} = 0

同様に列同士(=2本のアンテナがそれぞれ送る系列)も直交します。この直交性こそが、受信側が単純な線形処理だけで2つのシンボルをきれいに分離できる理由であり、以下の復号の議論の土台になります。

受信モデル

伝搬路がこの2時刻の間で変化しない(準静的フェージング)と仮定し、アンテナ1から受信機までの複素チャネル利得を h1h_1、アンテナ2からのものを h2h_2 とします。受信機はアンテナ1本しか持たないため、2つの時刻でそれぞれ1つずつ、合計2つのスカラー観測値 r1,r2r_1, r_2 を得ます。

r1=h1s1+h2s2+n1r_1 = h_1 s_1 + h_2 s_2 + n_1 r2=h1(s2)+h2s1+n2=h1s2+h2s1+n2r_2 = h_1 (-s_2^{*}) + h_2 s_1^{*} + n_2 = -h_1 s_2^{*} + h_2 s_1^{*} + n_2

ここで n1,n2NC(0,N0)n_1, n_2 \sim \mathcal{N}_{\mathbb{C}}(0, N_0) は独立な複素ガウス雑音です。この2式は s1,s2s_1, s_2 について線形な連立方程式ですが、s2s_2 が共役の形で混ざっているため、そのままでは通常の線形代数の行列形に書けません。そこで2番目の式の複素共役を取ります。

r2=h1s2+h2s1r_2^{*} = -h_1^{*} s_2 + h_2^{*} s_1

これを r1r_1 の式と並べると、(s1,s2)(s_1, s_2) を未知数とするきれいな線形連立方程式になります。

(r1r2)=(h1h2h2h1)H(s1s2)+(n1n2)\begin{pmatrix} r_1 \\ r_2^{*} \end{pmatrix} = \underbrace{\begin{pmatrix} h_1 & h_2 \\ h_2^{*} & -h_1^{*} \end{pmatrix}}_{\displaystyle \mathbf{H}} \begin{pmatrix} s_1 \\ s_2 \end{pmatrix} + \begin{pmatrix} n_1 \\ n_2^{*} \end{pmatrix}

この等価チャネル行列 H\mathbf{H} を見ると、Alamouti符号の設計の巧妙さが見えてきます。H\mathbf{H} の列同士の内積を計算すると、

(h1h2)H(h2h1)=h1h2h2h1=0\begin{pmatrix} h_1 \\ h_2^{*} \end{pmatrix}^{H} \begin{pmatrix} h_2 \\ -h_1^{*} \end{pmatrix} = h_1^{*} h_2 - h_2 h_1^{*} = 0

すなわち H\mathbf{H} の2つの列は互いに直交しています。さらに、

HHH=(h12+h22)I2\mathbf{H}^{H}\mathbf{H} = \left(|h_1|^2 + |h_2|^2\right) \mathbf{I}_2

というきれいな対角行列になります。等価チャネル行列が(スカラー倍を除いて)ユニタリ行列になっている、というこの事実が、Alamouti符号がしばしば「直交時空間ブロック符号(Orthogonal Space-Time Block Code, OSTBC)」と呼ばれる理由です。

復号: 単純な線形結合だけで最尤推定に到達する

HHH\mathbf{H}^H \mathbf{H} が対角行列になるということは、受信ベクトルに HH\mathbf{H}^H を掛けるだけで、s1s_1s2s_2 の推定が互いに干渉せず分離できることを意味します。実際に、受信信号 r1,r2r_1, r_2 から次の2つの線形結合(合成信号)を作ります。

s~1=h1r1+h2r2,s~2=h2r1h1r2\tilde{s}_1 = h_1^{*} r_1 + h_2 r_2^{*}, \qquad \tilde{s}_2 = h_2^{*} r_1 - h_1 r_2^{*}

s~1\tilde{s}_1r1,r2r_1, r_2^{*} の定義を代入して展開してみましょう。

s~1=h1(h1s1+h2s2+n1)+h2(h2s1h1s2+n2)\tilde{s}_1 = h_1^{*}(h_1 s_1 + h_2 s_2 + n_1) + h_2(h_2^{*} s_1 - h_1^{*} s_2 + n_2^{*}) =h12s1+h1h2s2+h22s1h2h1s2+h1n1+h2n2= |h_1|^2 s_1 + h_1^{*} h_2 s_2 + |h_2|^2 s_1 - h_2 h_1^{*} s_2 + h_1^{*} n_1 + h_2 n_2^{*}

s2s_2 にかかる2つの項 h1h2s2h_1^{*} h_2 s_2h2h1s2-h_2 h_1^{*} s_2 が完全に打ち消し合うことに注目してください。これはまさに H\mathbf{H} の列直交性から来る帰結です。残るのは、

s~1=(h12+h22)s1+n~1,n~1=h1n1+h2n2\boxed{\tilde{s}_1 = \left(|h_1|^2 + |h_2|^2\right) s_1 + \tilde{n}_1}, \qquad \tilde{n}_1 = h_1^{*} n_1 + h_2 n_2^{*}

s1s_1 だけが残り、s2s_2 の項は完全に消え、しかも雑音項 n~1\tilde n_1n1,n2n_1, n_2 の線形結合(独立な複素ガウス雑音の線形結合はやはり複素ガウス)です。同様の計算で s~2=(h12+h22)s2+n~2\tilde{s}_2 = (|h_1|^2+|h_2|^2) s_2 + \tilde{n}_2 が得られます(演習問題1で確認してください)。

この式の形を、ダイバーシティ合成の回で導いたMRC後のSNRと見比べてみましょう。s~1\tilde{s}_1 の信号項は (h12+h22)s1(|h_1|^2+|h_2|^2)s_1 というゲインを受け、雑音分散は E[n~12]=(h12+h22)N0E[|\tilde n_1|^2] = (|h_1|^2+|h_2|^2)N_0 となる(演習問題1)ため、実効SNRは

γAlamouti=(h12+h22)2s12(h12+h22)N0=(h12+h22)s12N0=(h12+h22)s12N0\gamma_{\text{Alamouti}} = \frac{\left(|h_1|^2+|h_2|^2\right)^2 |s_1|^2}{(|h_1|^2+|h_2|^2)N_0} = \frac{\left(|h_1|^2+|h_2|^2\right)|s_1|^2}{N_0} = \left(|h_1|^2 + |h_2|^2\right)\frac{|s_1|^2}{N_0}

となり、各経路の瞬時SNRを γi=hi2s12/N0\gamma_i = |h_i|^2 |s_1|^2 / N_0 と定義すれば、これは

γAlamouti=γ1+γ2\boxed{\gamma_{\text{Alamouti}} = \gamma_1 + \gamma_2}

と書けます。これはダイバーシティ合成の回で導いた最大比合成の結果 γMRC=iγi\gamma_{MRC} = \sum_i \gamma_iまったく同じ形です。受信側はアンテナをたった1本しか持たず、行っている処理も h1,h2h_1^{*}, h_2^{*} を掛けて足し合わせるだけの単純な線形演算であるにもかかわらず、送信側に2本のアンテナを配置し、Alamouti符号にしたがって時空間に符号化するだけで、受信側が2本のアンテナでMRCを行った場合と数式的に同じ2次のダイバーシティ利得が得られるのです。これがAlamouti符号の最大の成果です。NN本の送信アンテナに一般化した直交時空間ブロック符号(OSTBC)も存在し、NN次のダイバーシティ利得を達成できますが、N3N \ge 3 では(複素シンボルに対して)完全な速度1の直交符号は原理的に構成できないことが知られており、Alamouti符号の2アンテナの場合が最も簡潔で完全な($レート1かつ完全直交の)特別な例になっています。

MIMOへの拡張 — ダイバーシティと空間多重という2つの道

ここまでは送信側に複数アンテナ、受信側に1本という構成(これを 2×12\times 1 のMISO、Multiple-Input Single-Outputと呼びます)でした。送信・受信の両方に複数アンテナを配置する一般形が MIMO(Multiple-Input Multiple-Output) です。送信アンテナ数 NTN_T、受信アンテナ数 NRN_R のMIMOチャネルは、NR×NTN_R \times N_T の行列 H\mathbf{H} で表され、送信ベクトル s\mathbf{s}(各要素が各アンテナの送信シンボル)に対して受信ベクトルは

r=Hs+n,HCNR×NT\mathbf{r} = \mathbf{H}\mathbf{s} + \mathbf{n}, \qquad \mathbf{H} \in \mathbb{C}^{N_R \times N_T}

と書けます。このチャネル行列 H\mathbf{H} が持つ自由度を、通信システムの設計者は大きく2つの異なる目的に使い分けることができます。

空間ダイバーシティ: ここまで見てきたAlamouti符号のように、複数のアンテナ(送信側・受信側の一方または両方)にまたがる冗長性を使って、伝搬路の統計的独立性を利用し、深いフェードに全経路が同時に見舞われる確率を下げる利用法です。伝送するシンボルレート自体は増えません。目的は信頼性(誤り率の改善)です。

空間多重(Spatial Multiplexing): これはダイバーシティとはまったく異なる発想で、H\mathbf{H}独立な複数の空間的自由度を使って、異なるデータストリームを異なる送信アンテナから同時に送ることで、伝送レートそのものを引き上げようという利用法です。たとえば NT=NR=2N_T = N_R = 2 のMIMOで、アンテナ1からストリームA、アンテナ2からストリームBを同時に送信すれば、理想的には同じ帯域幅・同じ送信電力のままシンボルレートを2倍にできます。これが可能なのは、H\mathbf{H} が(十分な多重散乱環境のもとで)フルランクに近い行列となり、受信側が NRN_R 本のアンテナで得た NRN_R 個の観測から、線形代数的に(H\mathbf{H} の擬似逆行列などを用いて)NTN_T 個の独立なストリームを分離・復元できるためです。

MIMOチャネル容量の理論(Telatarらによる)は、AWGNのもとでのMIMO容量が

C=log2det(INR+ρNTHHH)[bit/s/Hz]C = \log_2 \det\left(\mathbf{I}_{N_R} + \frac{\rho}{N_T}\mathbf{H}\mathbf{H}^{H}\right) \quad \text{[bit/s/Hz]}

で与えられることを示しており(ρ\rho は受信SNR)、H\mathbf{H} がフルランク min(NT,NR)\min(N_T,N_R) を持つ豊かな散乱環境では、この容量は min(NT,NR)\min(N_T, N_R)ほぼ比例して増加します。つまりアンテナを NN 本ずつ増やせば、周波数帯域も送信電力も増やさずに、容量が最大 NN 倍近くまで伸びる可能性がある、という驚くべき結果です。ダイバーシティ利得(誤り率の改善)と多重化利得(レートの向上)はトレードオフの関係にあり(Zheng-Tseのダイバーシティ・多重化トレードオフ)、同じ NT,NRN_T, N_R のアンテナ資源をどちらの目的にどれだけ配分するかは、システム設計上の選択になります。Alamouti符号は、このトレードオフの中で「多重化利得ゼロ、ダイバーシティ利得を最大化」という一方の極端を選んだ設計だと位置づけられます。

実務での使われ方

地上の4G/5G携帯電話網

MIMOは現代の地上モバイル通信の標準的な構成要素です。3GPPが規定するLTE(4G)は、基地局とスマートフォン間の下りリンクで 2×22\times24×44\times4 のMIMOをサポートし、5G NR(New Radio)ではさらに進んで、基地局側に数十〜数百素子のアンテナを集積する**大規模MIMO(Massive MIMO)**が実用化されています。基地局は多数のアンテナを立てる空間的余裕があり、また多数のユーザー端末に対して空間多重(MU-MIMO、複数ユーザーへ同時に異なるストリームを送る)を行うことで、限られた周波数帯域のままセル全体のスループットを大きく引き上げています。一方、スマートフォン端末側は、この回の冒頭で触れたとおりアンテナ間隔の確保が難しいため、搭載できるアンテナ数はせいぜい2〜4本程度に制限され、Alamouti符号のような送信ダイバーシティ技術(3GPP規格ではSFBC、Space-Frequency Block Codingとして周波数軸版も規定)は、この端末側の制約下でリンクの信頼性を稼ぐ実用手段として広く使われています。

深宇宙探査機ではなぜMIMOが一般的でないか

これに対し、深宇宙探査機と地上局を結ぶリンクでは、MIMOはいまだ研究段階にとどまり、実運用ミッションで採用された例はほとんどありません。理由はいくつかの制約が重なっています。

アンテナ間隔の制約。 MIMOが多重化利得を発揮するには、H\mathbf{H} の各成分(hijh_{ij})が互いに統計的に独立である必要があり、そのためには送受信の各アンテナ間隔を、伝搬環境の角度拡がり(散乱の豊かさ)に応じて波長オーダー以上に離す必要があります。地上の携帯電話環境は建物や地形による多重散乱が豊富なため、比較的狭い間隔でも十分な独立性が得られますが、深宇宙リンクは(探査機・地上局の間に散乱体がほぼ存在しない)ほぼ純粋な見通し内(LOS, Line-of-Sight)伝搬です。LOS環境では、アンテナアレイの回で見たような単一の波面が支配的になり、複数の伝搬路が独立になりにくいため、H\mathbf{H} のランクが上がらず、空間多重の恩恵が原理的に得にくくなります。

搭載制約という非対称性。 探査機側は重量・電力・搭載スペースがミッション全体を通じて最も厳しい制約であり、複数の高利得アンテナ(あるいはそれを支える複数の送信機・電力増幅器)を追加で搭載するコストは非常に大きくなります。地上局側(DSNの70m/34mアンテナ群)にはアンテナを増やす余地がありますが、そもそもアンテナアレイの回ダイバーシティ合成の回で見た「複数の受信アンテナをコヒーレント合成する」という技術(アンテナアレイ)や「複数の独立局を使う」という技術(サイトダイバーシティ)によって、地上局側だけの複数アンテナ運用は、探査機側にAlamouti符号のような送信ダイバーシティを実装しなくても、すでにかなりの信頼性向上を達成できています。

電力制限領域という本質的な理由。 さらに本質的な理由として、深宇宙リンクは一貫して電力制限(power-limited)領域での運用であることが挙げられます。空間多重が有効なのは、[受信SNRに十分な余裕があり、それを複数ストリームに分けても各ストリームが復調可能な程度のSNRを保てる]帯域制限(bandwidth-limited)環境です。しかし深宇宙リンクでは、PCM/PSK/PMの回ダイバーシティ合成の回を通じて繰り返し見てきたように、Eb/N0E_b/N_0 を確保すること自体が最大の課題であり、利用可能な送信電力をアンテナ本数で分割してしまう空間多重は、むしろ1本あたりのSNRを悪化させ逆効果になりかねません。この領域では、複数の小さなアンテナに電力を分散させるよりも、単一の高利得パラボラアンテナに全電力を集中させるほうが、リンクバジェット上つねに有利です(これはアレイの回で見た「利得はアンテナ開口面積に比例する」という関係の裏返しでもあります)。したがって、深宇宙探査機の設計者にとって、MIMOによる多重化利得は魅力が薄く、ダイバーシティ利得についても、探査機側の搭載制約の重さと、地上局側の既存技術による代替可能性から、採用の優先順位は低いままです。将来的に月・火星近傍での中継衛星ネットワークのように、探査機同士・中継局間の距離が近く、散乱環境がよりリッチになる用途では、MIMOの応用余地が研究され始めています。

演習問題

  1. 本文では s~1=h1r1+h2r2\tilde{s}_1 = h_1^{*} r_1 + h_2 r_2^{*} を展開して s2s_2 の項が打ち消し合うことを確認しました。同様に s~2=h2r1h1r2\tilde{s}_2 = h_2^{*} r_1 - h_1 r_2^{*} を展開し、s1s_1 の項が打ち消し合って s~2=(h12+h22)s2+n~2\tilde{s}_2 = (|h_1|^2+|h_2|^2)s_2 + \tilde n_2 の形になることを示してください。また、雑音項 n~1=h1n1+h2n2\tilde n_1 = h_1^{*}n_1 + h_2 n_2^{*} の分散が E[n~12]=(h12+h22)N0E[|\tilde n_1|^2] = (|h_1|^2+|h_2|^2)N_0 となることを、n1,n2n_1, n_2 が独立で分散 N0N_0 の複素ガウス雑音であることを使って示してください。

  2. 本文冒頭で見た「2本のアンテナから同じシンボル ss を単純に同時送信する」方式(繰り返し符号)と、Alamouti符号の決定的な違いはどこにあるか。両者とも2本の送信アンテナを使っている点は同じですが、なぜ一方は破壊的干渉のリスクを抱え、もう一方は受信側の線形処理だけで確実にダイバーシティ利得を得られるのか、この回で導いた等価チャネル行列 H\mathbf{H} の直交性という観点から説明してください。

  3. MIMOチャネル容量の式 C=log2det(INR+ρNTHHH)C = \log_2\det(\mathbf{I}_{N_R} + \frac{\rho}{N_T}\mathbf{H}\mathbf{H}^H) において、NT=NR=1N_T = N_R = 1(SISO、単一送信・単一受信)のときにこの式がPCM/PSK/PMの回などで馴染みのある通常のシャノン容量の式 C=log2(1+ρh2)C=\log_2(1+\rho|h|^2) に帰着することを確認してください。また、深宇宙リンクのようにLOS支配的で H\mathbf{H} の行(あるいは列)が互いにほぼ線形従属になってしまう場合、NT,NRN_T, N_R を増やしても det()\det(\cdot) が思ったほど増えない理由を、行列のランクの観点から自分の言葉で説明してください。

  4. 本文では、深宇宙探査機でMIMOが一般的でない理由として「アンテナ間隔の制約」「搭載制約という非対称性」「電力制限領域という本質的な理由」の3つを挙げました。このうち、将来的に技術が発展しても解消しにくい本質的な制約はどれで、逆に工学的な工夫(たとえば編隊飛行する複数の小型探査機を用いた分散MIMOなど)によって将来的に緩和されうる制約はどれか、自分の考えを整理して説明してください。

まとめと次回予告

この回では、ダイバーシティ合成の回で扱った「受信側で複数アンテナを合成する」ダイバーシティとは逆に、「送信側に複数アンテナを配置する」送信ダイバーシティという発想を導入し、その代表例であるAlamouti符号を数式で追いました。2つのシンボル s1,s2s_1, s_2 を、直交性を保つように2つの時間スロットと2本のアンテナに配置する符号化行列 (s1s2s2s1)\begin{pmatrix}s_1 & -s_2^{*}\\ s_2 & s_1^{*}\end{pmatrix} によって、等価チャネル行列 H\mathbf{H} が(スカラー倍を除いて)ユニタリになるという性質が生まれ、受信側はアンテナ1本・単純な線形結合だけで、ダイバーシティ合成の回のMRCと数式的に同じ γ1+γ2\gamma_1+\gamma_2 という2次のダイバーシティ利得を達成できることを示しました。さらに、送信・受信の両方に複数アンテナを持つ一般のMIMOでは、このダイバーシティ利得に加えて、独立なデータストリームを複数アンテナから同時送信して伝送レートを引き上げる空間多重というもう1つの利用法があることを見て、両者がトレードオフの関係にあることを確認しました。実務面では、地上の4G/5G網でMIMO・大規模MIMOが標準的に使われている一方、深宇宙探査機ではアンテナ間隔・搭載制約に加え、電力制限領域では単一の高利得アンテナに電力を集中させるほうが有利という本質的な理由から、MIMOがいまだ一般的でないことを確認しました。

次回は視点を変えて、通信路で発生した誤りを検出するための最も基本的で広く使われている手法の1つ、CRC(Cyclic Redundancy Check、巡回冗長検査)誤り検出符号に軽く触れます。これまで見てきたダイバーシティやAlamouti符号が「誤りをそもそも起きにくくする」物理層の工夫だったのに対し、CRCは「起きてしまった誤りを、受信側がどう検知するか」という、符号化のまた別のレイヤーの話になります。

参考文献

  • S. M. Alamouti, “A Simple Transmit Diversity Technique for Wireless Communications,” IEEE Journal on Selected Areas in Communications, vol. 16, no. 8, 1998
  • I. E. Telatar, “Capacity of Multi-antenna Gaussian Channels,” European Transactions on Telecommunications, vol. 10, no. 6, 1999
  • L. Zheng, D. N. C. Tse, “Diversity and Multiplexing: A Fundamental Tradeoff in Multiple-Antenna Channels,” IEEE Transactions on Information Theory, vol. 49, no. 5, 2003
  • V. Tarokh, H. Jafarkhani, A. R. Calderbank, “Space-Time Block Codes from Orthogonal Designs,” IEEE Transactions on Information Theory, vol. 45, no. 5, 1999
  • D. Tse, P. Viswanath, Fundamentals of Wireless Communication, Cambridge University Press
  • 3GPP TS 36.211, Evolved Universal Terrestrial Radio Access (E-UTRA); Physical Channels and Modulation(LTE MIMO/SFBCの規定)
  • J. H. Yuen (ed.), Deep Space Telecommunications Systems Engineering, JPL Publication 82-76