変調・符号化#14

整合フィルタ — 受信SNRを最大化する最適フィルタの理論

なぜ受信機のフィルタ形状がビット誤り率を決めるのか。コーシー・シュワルツの不等式から整合フィルタ定理を厳密に導出し、相関受信機との等価性、そして最大SNR = 2E/N₀という結果がPCM/PSK/PMのBER公式の根拠であることを示す。

前提知識: pcm-psk-pm

整合フィルタ相関受信機SNR最大化信号処理BER

この回で学ぶこと

第1回で、BPSKのビット誤り率は

Pb=Q ⁣(2EbN0)P_b = Q\!\left(\sqrt{\frac{2E_b}{N_0}}\right)

という式で与えられると述べました。このとき「受信機は rr の符号を見るだけでよい」と、まるで当然のことのように書きましたが、よく考えると不思議な主張です。実際の受信信号は、送信パルス波形 p(t)p(t) に雑音が重畳された連続時間の波形 r(t)r(t) であり、それをどう処理して1個の数 rr(判定変数)に落とし込むかによって、結果のSNRはいくらでも変わり得るはずです。ローパスフィルタを通すのか、微分してから積分するのか、単純に波形の最大値をサンプリングするのか——無数の選択肢がある中で、「2Eb/N02E_b/N_0」という具体的な数値が出てくるということは、どこかに最適な受信フィルタが暗黙に仮定されているはずです。

この回で扱う 整合フィルタ (Matched Filter) が、その答えです。整合フィルタ理論は「受信SNRを最大化するフィルタは何か」という最適化問題に対する厳密な解答であり、深宇宙通信に限らずディジタル通信全体の受信機設計の土台をなす、最も重要な定理のひとつです。この回では、コーシー・シュワルツの不等式を武器にこの定理を証明し、整合フィルタが「相関受信機」と数学的に同一物であることを示し、最後に前回までのBER公式の根拠を完全に埋めます。

直感的な導入: なぜ「形」が重要なのか

まず問題設定を明確にします。送信機は、時刻 00 から TT の間だけ存在する既知の波形 p(t)p(t)(パルスエネルギー E=0Tp(t)2dtE = \int_0^T p(t)^2\,dt)を送信するとします。受信信号は

r(t)=p(t)+n(t),0tTr(t) = p(t) + n(t), \qquad 0 \le t \le T

ここで n(t)n(t) は加法性白色ガウス雑音(AWGN)で、両側電力スペクトル密度 N0/2N_0/2 を持ちます。受信機はこの r(t)r(t) を何らかの線形フィルタ h(t)h(t) に通し、その出力を時刻 TT でサンプリングして、判定変数 y(T)y(T) を得ます。

y(t)=r(t)h(t)=r(τ)h(tτ)dτy(t) = r(t) * h(t) = \int_{-\infty}^{\infty} r(\tau)\, h(t-\tau)\, d\tau

直感的に考えると、良いフィルタとは「信号のエネルギーが集まっている場所を強調し、雑音が支配的な場所を減衰させる」フィルタのはずです。もし送信パルス p(t)p(t) が「最初の半分は急激に立ち上がり、後半はゆっくり減衰する」ような非対称な形をしているなら、受信機のフィルタもその形に合わせて「重み付け」をするのが理にかなっています。逆に、パルス波形の情報をまったく使わない適当なフィルタ(たとえば単純な矩形の積分器)では、パルスの形状に応じた最適な重み付けができず、SNRを最大化できません。

整合フィルタ定理は、この直感を数式で正確に述べたものです。結論を先取りすると、出力SNRを最大化するフィルタのインパルス応答は、送信パルス波形を時間反転して遅延させたもの

hopt(t)=p(Tt)h_{\text{opt}}(t) = p(T-t)

である、というのが答えです。h(t)=p(Tt)h(t) = p(T-t) という操作は、p(t)p(t)t=T/2t=T/2 を軸に鏡映し(時間反転)、さらに時刻 TT だけ右にずらしたものです。なぜこの「時間反転・遅延」という一見奇妙な操作が最適なのか、以下で厳密に証明します。

整合フィルタ定理の証明: コーシー・シュワルツの不等式

出力 y(t)y(t) を信号成分と雑音成分に分けて考えます。

y(t)=ys(t)+yn(t),ys(t)=p(t)h(t),yn(t)=n(t)h(t)y(t) = y_s(t) + y_n(t), \qquad y_s(t) = p(t) * h(t), \quad y_n(t) = n(t) * h(t)

判定時刻 t=Tt=T における信号成分は

ys(T)=p(τ)h(Tτ)dτy_s(T) = \int_{-\infty}^{\infty} p(\tau)\, h(T-\tau)\, d\tau

雑音成分 yn(T)y_n(T) は、n(t)n(t) がガウス過程なのでガウス確率変数になります。その平均はゼロ、分散はフィルタの周波数応答 H(f)H(f)(または h(t)h(t) 自身)を使って、ウィーナー・ヒンチンの関係とパーセバルの定理から

σn2=E[yn(T)2]=N02h(t)2dt\sigma_n^2 = E\left[y_n(T)^2\right] = \frac{N_0}{2}\int_{-\infty}^{\infty} |h(t)|^2\, dt

と書けます(白色雑音を線形フィルタに通した出力分散は、フィルタのエネルギーに雑音密度を掛けたものになる、という標準的な結果です)。

したがって出力SNR(振幅の2乗を雑音分散で割ったもの)は

SNR(T)=ys(T)2σn2=p(τ)h(Tτ)dτ2N02h(t)2dt\text{SNR}(T) = \frac{y_s(T)^2}{\sigma_n^2} = \frac{\left|\displaystyle\int_{-\infty}^{\infty} p(\tau)\, h(T-\tau)\, d\tau\right|^2}{\dfrac{N_0}{2}\displaystyle\int_{-\infty}^{\infty} |h(t)|^2\, dt}

ここで変数を g(τ)h(Tτ)g(\tau) \equiv h(T-\tau) と置き換えると(g(τ)2dτ=h(t)2dt\int |g(\tau)|^2 d\tau = \int |h(t)|^2 dt は変数変換で不変)、

SNR(T)=p(τ)g(τ)dτ2N02g(τ)2dτ\text{SNR}(T) = \frac{\left|\displaystyle\int_{-\infty}^{\infty} p(\tau)\, g(\tau)\, d\tau\right|^2}{\dfrac{N_0}{2}\displaystyle\int_{-\infty}^{\infty} |g(\tau)|^2\, d\tau}

この形はまさにコーシー・シュワルツの不等式を適用する形をしています。任意の2乗可積分な関数 a(τ),b(τ)a(\tau), b(\tau) について、

a(τ)b(τ)dτ2(a(τ)2dτ)(b(τ)2dτ)\left|\int_{-\infty}^{\infty} a(\tau)\, b(\tau)\, d\tau\right|^2 \le \left(\int_{-\infty}^{\infty} |a(\tau)|^2\, d\tau\right)\left(\int_{-\infty}^{\infty} |b(\tau)|^2\, d\tau\right)

が成り立ち、等号成立は b(τ)=ca(τ)b(\tau) = c \cdot a(\tau) (cc は任意の実定数)のとき、かつそのときに限ります。これを a(τ)=p(τ)a(\tau) = p(\tau)b(τ)=g(τ)b(\tau) = g(\tau) に適用すると、

p(τ)g(τ)dτ2(p(τ)2dτ)(g(τ)2dτ)=Eg(τ)2dτ\left|\int p(\tau)\, g(\tau)\, d\tau\right|^2 \le \left(\int p(\tau)^2\, d\tau\right)\left(\int g(\tau)^2\, d\tau\right) = E \cdot \int g(\tau)^2\, d\tau

これを先ほどのSNRの式に代入すると、

SNR(T)=p(τ)g(τ)dτ2N02g(τ)2dτEg(τ)2dτN02g(τ)2dτ=2EN0\text{SNR}(T) = \frac{\left|\int p(\tau) g(\tau)\, d\tau\right|^2}{\dfrac{N_0}{2}\int g(\tau)^2\, d\tau} \le \frac{E \cdot \int g(\tau)^2\, d\tau}{\dfrac{N_0}{2}\int g(\tau)^2\, d\tau} = \frac{2E}{N_0}

分母と分子に共通して現れる g(τ)2dτ\int g(\tau)^2 d\tau がちょうど約分されて消え、フィルタの形状 g(τ)g(\tau) に依存しない上限 2E/N02E/N_0 が得られました。これが整合フィルタ定理の核心です。任意の線形フィルタで達成できる出力SNRには、パルスエネルギー EE と雑音密度 N0N_0 だけで決まる普遍的な上限があり、フィルタの「賢さ」でこれを超えることはできません。

そして、この上限が実際に達成可能であることは、コーシー・シュワルツの等号成立条件から分かります。等号は g(τ)=cp(τ)g(\tau) = c\cdot p(\tau) のとき、つまり

h(Tτ)=cp(τ)h(t)=cp(Tt)h(T-\tau) = c\cdot p(\tau) \quad\Longleftrightarrow\quad h(t) = c\cdot p(T-t)

のときに成立します。定数 cc はSNRの比の計算では分子・分母両方に同じ次数で効いて相殺されるため、SNRを最大化するという目的だけを考えれば任意に選べます(通常 c=1c=1 とします)。これで

hopt(t)=p(Tt)\boxed{h_{\text{opt}}(t) = p(T-t)}

が出力SNRを最大化する唯一の(定数倍を除いて一意な)フィルタであること、そしてそのときの最大SNRが

SNRmax=2EN0\text{SNR}_{\max} = \frac{2E}{N_0}

であることが、コーシー・シュワルツの不等式だけから厳密に証明されました。これが「整合フィルタ (matched filter)」という名前の由来です。フィルタのインパルス応答が送信パルス波形に「整合」している(時間反転・遅延した形になっている)ときに、初めてSNRが最大化されるのです。

なぜ時間反転が必要なのか

一見、h(t)=p(t)h(t) = p(t)(反転なし)の方が自然に思えるかもしれません。しかし畳み込みの定義

y(t)=p(τ)h(tτ)dτy(t) = \int p(\tau)\, h(t-\tau)\, d\tau

を思い出すと、フィルタの応答は h(tτ)h(t-\tau) という反転した形で信号に掛け合わされます。したがって、y(T)y(T) において信号と「同じ向き」の重み付けを実現するには、あらかじめ h()h(\cdot) 自体を反転させておく必要があるのです。h(t)=p(Tt)h(t) = p(T-t) と選べば、h(Tτ)=p(T(Tτ))=p(τ)h(T-\tau) = p(T-(T-\tau)) = p(\tau) となり、畳み込みの中で再び反転されて元の p(τ)p(\tau) の向きに戻る——というのがこのトリックの仕組みです。また TT だけ遅延させているのは、h(t)h(t)t<0t<0 で非ゼロにならないようにするための、物理的に実現可能なフィルタ(因果的フィルタ)にするための処理です。

整合フィルタと相関受信機の等価性

整合フィルタの出力を判定時刻 t=Tt=T でサンプリングする、という操作を具体的に書き下してみましょう。

y(T)=r(τ)h(Tτ)dτ=r(τ)p(T(Tτ))dτ=0Tr(τ)p(τ)dτy(T) = \int_{-\infty}^{\infty} r(\tau)\, h(T-\tau)\, d\tau = \int_{-\infty}^{\infty} r(\tau)\, p(T-(T-\tau))\, d\tau = \int_0^T r(\tau)\, p(\tau)\, d\tau

(積分区間が [0,T][0,T] に絞られるのは、p(τ)p(\tau)[0,T][0,T] の外でゼロだからです。)

この最後の式

y(T)=0Tr(τ)p(τ)dτy(T) = \int_0^T r(\tau)\, p(\tau)\, d\tau

は、受信信号 r(τ)r(\tau) と送信パルス波形 p(τ)p(\tau) の**相関(内積)**そのものです。つまり整合フィルタの出力を t=Tt=T でサンプリングするという操作は、「受信波形と送信波形テンプレートの内積を計算する」という操作と数学的にまったく同一です。この、テンプレートとの内積を直接計算する受信機構成を 相関受信機 (correlator) と呼びます。

整理すると、次の2つの受信機構成は、判定時刻における出力に関して完全に等価です。

  1. 整合フィルタ受信機: 受信信号をインパルス応答 h(t)=p(Tt)h(t)=p(T-t) のフィルタに通し、出力を時刻 TT でサンプリングする。
  2. 相関受信機: 受信信号と送信波形のレプリカ p(t)p(t) を掛け合わせ、00 から TT まで積分する(乗算器+積分器、いわゆる “multiply-and-integrate” 構成)。

これは畳み込みと相関の一般的な関係——「畳み込みは、片方の関数を反転してから相関を取る操作」——の直接的な帰結です。実装上はアナログ回路ではフィルタ構成、ディジタル信号処理では相関器(乗算・累積、いわゆるMAC演算の繰り返し)として実現されることが多く、どちらを選ぶかは実装上の都合(フィルタのハードウェア実現のしやすさ、あるいはディジタルでの演算資源)の問題であり、理論的な性能はまったく同じです。

整合フィルタ出力の信号・雑音成分と最大SNRの再確認

先ほどSNRの一般式から上限 2E/N02E/N_0 を導きましたが、整合フィルタ(h(t)=p(Tt)h(t)=p(T-t)、すなわち相関受信機)を実際に代入して、信号成分と雑音成分をそれぞれ具体的に計算し直しておきましょう。

信号成分。 雑音のない場合の出力(相関受信機の形で書くと)は

ys(T)=0Tp(τ)p(τ)dτ=0Tp(τ)2dτ=Ey_s(T) = \int_0^T p(\tau)\, p(\tau)\, d\tau = \int_0^T p(\tau)^2\, d\tau = E

つまり整合フィルタの出力信号成分は、ちょうどパルスエネルギー EE に等しくなります。

雑音成分。 雑音のみを入力したときの出力

yn(T)=0Tn(τ)p(τ)dτy_n(T) = \int_0^T n(\tau)\, p(\tau)\, d\tau

はガウス確率変数で、平均ゼロ、分散は

σn2=E[yn(T)2]=E[0T ⁣ ⁣0Tn(τ1)n(τ2)p(τ1)p(τ2)dτ1dτ2]\sigma_n^2 = E\left[y_n(T)^2\right] = E\left[\int_0^T\!\!\int_0^T n(\tau_1) n(\tau_2)\, p(\tau_1) p(\tau_2)\, d\tau_1\, d\tau_2\right]

AWGNの自己相関は E[n(τ1)n(τ2)]=N02δ(τ1τ2)E[n(\tau_1)n(\tau_2)] = \dfrac{N_0}{2}\delta(\tau_1-\tau_2) なので、デルタ関数の性質でひとつの積分が消え、

σn2=N020Tp(τ)2dτ=N02E\sigma_n^2 = \frac{N_0}{2}\int_0^T p(\tau)^2\, d\tau = \frac{N_0}{2}\, E

SNR。 これらを合わせると、

SNRmax=ys(T)2σn2=E2N02E=2EN0\text{SNR}_{\max} = \frac{y_s(T)^2}{\sigma_n^2} = \frac{E^2}{\dfrac{N_0}{2}E} = \frac{2E}{N_0}

先ほどコーシー・シュワルツの不等式で得た上限とぴったり一致することが確認できました。これは偶然ではなく、整合フィルタが等号成立条件そのものを実現するフィルタである以上、当然の帰結です。

PCM/PSK/PMのBER公式との接続

第1回で登場したBPSKのビット誤り率の公式

Pb=Q ⁣(2EbN0)P_b = Q\!\left(\sqrt{\frac{2E_b}{N_0}}\right)

の根拠が、いまはっきりと見えます。BPSKの受信機は、1ビット周期 TbT_b の間受信した波形 r(t)r(t) を、パルスエネルギー EbE_b の整合フィルタ(あるいは等価な相関受信機)に通して判定変数 yy を作ります。信号点が s1=+Ebs_1=+\sqrt{E_b} のとき送られたとすると、整合フィルタ出力の信号成分は EbE_b に比例したスケーリングを経て実質的に振幅 Eb\sqrt{E_b} の信号点として現れ(内積を正規化した表現)、雑音成分は分散 N0/2N_0/2 のガウス確率変数になります。したがって判定変数は

y=±Eb+n,nN(0,N0/2)y = \pm\sqrt{E_b} + n, \qquad n \sim \mathcal{N}(0, N_0/2)

という、まさに第1回で天下り的に与えた信号空間モデルそのものになります。ここから、y<0y<0 のとき誤って反対のシンボルと判定してしまう確率を計算すると、

Pb=P(y<0s1送信)=P ⁣(n<Eb)=Q ⁣(EbN0/2)=Q ⁣(2EbN0)P_b = P(y<0 \mid s_1\text{送信}) = P\!\left(n < -\sqrt{E_b}\right) = Q\!\left(\frac{\sqrt{E_b}}{\sqrt{N_0/2}}\right) = Q\!\left(\sqrt{\frac{2E_b}{N_0}}\right)

が導かれます。つまり 「受信機のフィルタとして整合フィルタを使う」という前提があって初めて、2Eb/N02E_b/N_0 というSNRとBER公式が成立するのです。もし受信機が整合フィルタ以外の(最適でない)フィルタを使っていたら、同じ送信電力・同じ雑音環境でも実現できるSNRは 2Eb/N02E_b/N_0 より必ず悪化し、BERはより高くなります。整合フィルタ定理は、いわば「ディジタル通信の受信機が理論限界の性能を出すための必要条件」を与えているわけです。

実務での使われ方

FIRフィルタとしての実装

現代の地上局受信機は、アナログのフィルタ回路で整合フィルタを組むのではなく、A/D変換後にディジタル信号処理(DSP)で実現するのが標準です。矩形パルスNRZ信号のような単純な波形の場合、整合フィルタは単に「1シンボル区間にわたる移動平均(累積)」に帰着し、実装は非常に軽量です。

ロールオフを持たせた帯域制限パルス(たとえばルート・レイズド・コサイン, RRC波形)を使う実際の衛星通信システムでは、整合フィルタは有限インパルス応答(FIR)フィルタとして実装されます。送信側でRRCフィルタによって波形整形し、受信側でも同じRRC特性の整合フィルタをかける、という「送受信でルート・レイズド・コサインを分け合う」設計が広く使われます。この構成のもう1つの利点は、送受信のRRCフィルタを縦続接続した全体の周波数特性が、ちょうどレイズド・コサインフィルタになり、シンボル間干渉(ISI)をゼロにするナイキスト条件を満たすことです。つまり整合フィルタリングと帯域制限・ISI抑制という2つの要求を、同じフィルタ設計で同時に満たせるのです。

実装上、FIRフィルタのタップ係数はサンプリングされた p(Tt)p(T-t) の値そのものであり、受信サンプル列とタップ係数列の畳み込み(=デジタルでの相関演算)としてリアルタイムに実行されます。DSNの受信機や商用の衛星地上局モデム(いわゆるベースバンドプロセッサ)では、この整合フィルタ+シンボルタイミング再生+判定のブロックが、受信チェーンの中核部として実装されています。

受信機アーキテクチャの中での位置づけ

典型的なディジタル受信機の信号処理チェーンは、おおむね次のような順序になります。

  1. RFフロントエンド(低雑音増幅器、ダウンコンバート)でベースバンドまたは中間周波数(IF)に変換
  2. A/D変換によるディジタル化
  3. PLLやコスタスループなどによる搬送波位相・周波数の再生(コヒーレント検波)
  4. 整合フィルタ(またはRRCフィルタ)によるパルス整形の除去とSNR最大化
  5. シンボルタイミング再生によるサンプリングタイミングの最適化(整合フィルタ出力のピークをとらえる)
  6. 判定(識別)、誤り訂正復号

整合フィルタは、搬送波が正しく再生された後、そして最終判定の直前という、受信チェーンのまさに心臓部に位置します。ここでのSNR最大化が、リンク全体のBER性能に直結するため、整合フィルタ(あるいはそれに準ずるRRCフィルタ)の実装精度——タップ係数の量子化誤差、サンプリングタイミングのずれ——は、実際のミッションのリンクバジェットにおいて無視できない劣化要因として厳密に管理されます。

演習問題

  1. コーシー・シュワルツの不等式 abdτ2(a2dτ)(b2dτ)\left|\int a b\, d\tau\right|^2 \le \left(\int a^2 d\tau\right)\left(\int b^2 d\tau\right) において等号が成立するための条件を、本文の証明の流れに沿って導出し、それがなぜ h(t)=cp(Tt)h(t) = c\cdot p(T-t) という形に帰着するのかを説明してください。

  2. 振幅 AA、幅 TT の矩形パルス p(t)=Ap(t) = A (0tT0\le t\le T)を考えます。このパルスに対する整合フィルタのインパルス応答 h(t)=p(Tt)h(t)=p(T-t) を具体的に図示または記述し、それが結局は「単純な矩形パルス」と同じ形になることを確認してください(矩形パルスが左右対称であるため、時間反転しても形が変わらないことに注意)。またこのときのパルスエネルギー EE を計算し、最大SNR 2E/N02E/N_0A,T,N0A, T, N_0 で表してください。

  3. ある送信パルスのエネルギーが E=4×1018E = 4 \times 10^{-18} J、雑音の片側スペクトル密度が N0=4×1021N_0 = 4 \times 10^{-21} W/Hz であるとします。整合フィルタ受信機を使ったときの最大SNR 2E/N02E/N_0 を真数およびdBで求め、対応するBPSKのビット誤り率 Pb=Q(2E/N0)P_b = Q(\sqrt{2E/N_0}) を(Q関数の数値計算ツールを使って)概算してください。

  4. 整合フィルタ受信機と相関受信機が数学的に等価であることを、本文の畳み込みの式変形をなぞりながら自分の言葉で説明してください。また、実際のディジタル受信機でどちらの構成(フィルタ型かmultiply-and-integrate型)を選ぶとしても理論的な性能が変わらない理由を述べてください。

まとめと次回予告

整合フィルタ定理は、「受信SNRを最大化するフィルタは、送信パルス波形を時間反転・遅延させたものである」という、一見地味ながらディジタル通信全体を支える中心定理です。コーシー・シュワルツの不等式を使うことで、この事実は天下りではなく厳密に証明でき、しかも達成可能な最大SNRが 2E/N02E/N_0 という具体的な値に定まることまで分かりました。この結果は、第1回で見たBPSKのBER公式 Pb=Q(2Eb/N0)P_b = Q(\sqrt{2E_b/N_0}) の直接の根拠であり、整合フィルタ(または相関受信機)を使うことが、この理論限界のBERを実現するための必要条件でした。

ここまで、私たちは「ある1つのリンク(1シンボルあたりのエネルギーと雑音密度)でどこまで誤り率を下げられるか」という視点で議論を進めてきました。次回は視点を変え、「そもそも雑音のある通信路を通して、誤りなく伝送できる情報量には理論的な上限があるのか」という、情報理論の根本問題——シャノンの通信路容量定理——に軽く触れます。整合フィルタが「与えられた変調方式のもとでの誤り率の限界」を扱う理論だったのに対し、シャノンの定理は「変調方式によらない、情報伝送そのものの限界」を扱う、一段上の視点の理論です。

参考文献

  • J. G. Proakis, M. Salehi, Digital Communications, 5th ed., McGraw-Hill (Matched Filter and Correlation Receiver の章)
  • A. J. Viterbi, Principles of Coherent Communication, McGraw-Hill
  • J. H. Yuen (ed.), Deep Space Telecommunications Systems Engineering, JPL Publication 82-76
  • DSN Telecommunications Link Design Handbook, DSN No. 810-005
  • B. Sklar, Digital Communications: Fundamentals and Applications, 2nd ed., Prentice Hall