変調・符号化#168

Faster-than-Nyquist伝送 — ナイキスト基準をあえて破ってスペクトル効率を稼ぐ

パルス整形で学んだナイキストのISIゼロ基準は、実は『十分条件』に過ぎない。シンボル間隔をナイキスト間隔より意図的に詰め込むFaster-than-Nyquist(FTN)伝送が、Mazo限界という古典的結果のもとで最尤系列検出により誤り率を劣化させずにスペクトル効率を高められることを、信号モデル・トレリス受信機・シャノン平面上の位置づけまで数式で理解する。

前提知識: パルス整形とナイキスト基準 — 帯域を有限に収める設計チャネル等化技術 — ZF等化器・DFE・MLSEでISIを能動的に取り除く

FTN伝送Mazo限界スペクトル効率MLSE等化帯域幅圧縮

この回で学ぶこと

パルス整形とナイキスト基準の回では、送受信フィルタの合成パルス p(t)p(t)

p(nT)={1n=00n0, nZp(nT) = \begin{cases} 1 & n=0 \\ 0 & n \ne 0,\ n \in \mathbb{Z} \end{cases}

というナイキストのISIゼロ基準を満たしていれば、シンボル間隔 TT ごとに信号を送っても、判定タイミングでは他のシンボルからの漏れ込み(符号間干渉、ISI)が完全にゼロになることを見ました。この基準のおかげで、受信機はシンボルごとに独立にしきい値判定するだけでよく、チャネル等化の回で扱ったような能動的な等化処理を持ち出す必要がありませんでした。

ここで、あえて意地の悪い問いを立ててみましょう。ナイキスト基準は「ISIをゼロにするための条件」であって、「情報を正しく伝送するための条件」ではありません。 受信機がシンボルごとの独立判定という「楽な」検出方式にこだわらず、複数シンボルにまたがる系列全体を見て判定してよいのなら、シンボル間隔を TT より詰めて、単位時間あたりにより多くのシンボルを送り込んでも、原理的には情報を正しく復元できる余地があるのではないか——これが、この回で扱うFaster-than-Nyquist (FTN) 伝送の出発点です。

この直感を最初に数学的に裏付けたのが、J. E. Mazoが1975年に示した古典的な結果でした。シンボル間隔をナイキスト間隔のある割合まで詰めても、最尤(系列)検出を使う限り、誤り率を支配する信号点間の最小距離は劣化しない——この閾値をMazo限界と呼びます。この回では、次の流れでFTN伝送を数式で追っていきます。

  1. FTN信号のモデル化: 同じパルス波形 p(t)p(t) を、意図的に TT より短い間隔 τT\tau T (τ<1\tau < 1)で並べて送るとどうなるか。
  2. Mazo限界: なぜ間隔を詰めても、ある閾値までは誤り率が劣化しないのか。
  3. 受信機の複雑化: チャネル等化の回で学んだMLSE(トレリスベースの最尤系列推定)が、なぜFTNの検出に不可欠になるのか。
  4. スペクトル効率の位置づけ: シャノン容量の回で学んだ帯域幅効率対電力効率のトレードオフ曲線上で、FTNがどの軸方向に効くのか。

直感的導入: ナイキスト基準は「十分条件」であって「必要条件」ではない

なぜナイキスト基準が「ISIをゼロにするための十分条件」に過ぎないのか、もう少し掘り下げてみましょう。ナイキスト基準が実現しているのは、各シンボルの判定を、他のシンボルの値を一切知らなくても独立に(メモリレスに)下せるという、受信機にとって非常に都合のよい性質です。裏を返せば、ナイキスト基準はシンボル同士を信号空間の中で完全に「直交」させることで、最も単純な検出方式(シンボルごとのしきい値判定)でも最適な性能が出るように、あらかじめ信号設計側でお膳立てしている、とも言えます。

しかし、情報理論の立場から見ると、シンボル同士が完全に直交している必要はありません。2つの異なる送信系列 {ak}\{a_k\}{ak}\{a_k'\} が、受信波形として区別できる(信号空間上で十分離れている)限り、原理的には正しく復元できます。シンボル間隔を詰めて隣接パルスが重なり合っても、その重なり方が決定論的で既知であれば、部分応答方式(デュオバイナリ)の回で見たのと同じ発想——ISIを「敵」として消し去るのではなく、「既知の構造」として受信機に取り込む——が使えます。デュオバイナリは同じシンボルレート(1/T1/T)のまま相関符号化でこの構造を作り出しましたが、FTNはそれとは違う方向からこの発想を推し進めます。符号化のルールを変えるのではなく、シンボルを送る速さそのものを、ナイキスト間隔 TT より詰めてしまうのです。

もちろん、詰めすぎれば当然どこかで情報は失われます(極端な場合、間隔をゼロに近づければすべてのシンボルが1点に重なり、区別不能になります)。問題は「どこまで詰めても、実用上の性能劣化なしに済むか」という閾値がどこにあるか、そしてそれを利用するために受信機がどれだけの複雑さを引き受ける必要があるか、です。

FTN信号のモデル化

パルス整形の回で導入した、送受信フィルタを合成した実効パルス p(t)p(t) をそのまま使います。この p(t)p(t) はレート 1/T1/T に対してナイキスト基準 p(nT)=δn,0p(nT)=\delta_{n,0} を満たすように設計されており、占有帯域幅は B=(1+α)/TB = (1+\alpha)/T でした(α\alpha はロールオフ率)。

FTN伝送では、この同じパルス波形 p(t)p(t) を、TT ではなく τT\tau T (0<τ<10 < \tau < 1)の間隔で並べて送信します。

s(t)=k=akp(tkτT),ak{1,+1},τ<1s(t) = \sum_{k=-\infty}^{\infty} a_k\, p(t - k\tau T), \qquad a_k \in \{-1,+1\},\quad \tau < 1

ここで τ\tauFTNパラメータ(タイムパッキング係数)と呼びます。τ=1\tau = 1 が通常のナイキストレート伝送、τ\tau が小さいほど、単位時間に詰め込むシンボル数が多い(より積極的なFTN)ことを意味します。

重要なのは、パルス p(t)p(t) の形状も、送信フィルタの帯域幅 B=(1+α)/TB=(1+\alpha)/T も一切変えていないということです。変えているのはシンボルを並べる時間間隔だけです。したがって単位時間あたりのシンボルレート(=情報レートに直結)は

RsFTN=1τT=1τ1TR_s^{\text{FTN}} = \frac{1}{\tau T} = \frac{1}{\tau}\cdot\frac{1}{T}

となり、通常のナイキストレート 1/T1/T1/τ1/\tau 倍に増加します。占有帯域幅 BB は変わらないので、これはそのまま同じ帯域幅の中により多くの情報を詰め込んでいることを意味します。

受信サンプル値とISI項

受信機が(整合フィルタを通した後の)受信波形を、送信間隔と同じ τT\tau T ごとにサンプリングすると、mm 番目のサンプルは

ym=k=akp((mk)τT)+νm=amp(0)+n0amnp(nτT)+νmy_m = \sum_{k=-\infty}^{\infty} a_k\, p\big((m-k)\tau T\big) + \nu_m = a_m\, p(0) + \sum_{n \ne 0} a_{m-n}\, p(n\tau T) + \nu_m

となります(νm\nu_m は雑音項)。ここで正規化ISIタップを

hnp(nτT)p(0),h0=1h_n \equiv \frac{p(n\tau T)}{p(0)}, \qquad h_0 = 1

と定義すると、

ym=am+n0hnamn+νmy_m = a_m + \sum_{n \ne 0} h_n\, a_{m-n} + \nu_m

という形になります。これはチャネル等化の回の冒頭で見た受信サンプルの分解式 yk=ak+n0aknhn+νky_k = a_k + \sum_{n\neq0} a_{k-n}h_n + \nu_k と、記法まで含めてまったく同じ構造です。決定的に異なるのはISIの発生源です。等化の回で扱ったISIは、周波数選択性フェージングなど通信路自体の未知の歪みが原因でした。ここでのISIは、送信側が最初から知っている(というより意図的に作り出した)p(t)p(t) という関数を、τT\tau T という間隔でサンプリングした結果として現れる、完全に決定論的で既知の量です。p(t)p(t) はナイキスト基準により p(nT)=δn,0p(nT)=\delta_{n,0} を満たすよう設計されていますが、τ<1\tau < 1 のとき nτTn\tau T は一般に TT の整数倍からずれるため、p(nτT)0p(n\tau T) \ne 0 となる n0n \ne 0 が複数存在してしまいます。ナイキストの零点をわざと踏み外す間隔でサンプリングしている、と言い換えることもできます。

帯域幅の側から見ても同じ結論に至ります。p(t)p(t) の周波数特性 P(f)P(f) は、レート 1/T1/T に対してのみナイキスト条件 nP(f+n/T)=T\sum_n P(f+n/T) = T(パルス整形の回で導出済み)を満たすように設計されています。ところがFTNでは実際のシンボルレートは 1/(τT)>1/T1/(\tau T) > 1/T であり、この高いレートに対応するナイキスト条件を P(f)P(f) はそもそも満たすように作られていません。帯域幅 BB を固定したまま、その帯域が本来ISIフリーに支えられるはずのシンボルレート 1/T1/T を超えて、無理やりシンボルを詰め込んでいる——これがFTNの周波数領域での意味であり、ISIが再発する理由でもあります。

Mazo限界

前節の議論だけを見ると、FTNは「わざとISIを増やして誤り率を悪化させる、割に合わない操作」のように思えます。ところがMazoが1975年に示した結果は、直感に反してもっと寛容なものでした。

二値対心信号(antipodal PAM)を理想的なsinc波形(α=0\alpha=0の理想ナイキストパルス)で送り、受信機が最尤系列検出(MLSE)を用いる場合、シンボル間隔を τT\tau T まで詰めても、τ\tau がある閾値 τMazo\tau_{\text{Mazo}} より大きい範囲では、誤り率の指数的挙動を支配する最小ユークリッド距離が、直交伝送(τ=1\tau=1)の場合とまったく同じ値のまま保たれる。

この閾値は数値的に

τMazo0.802\tau_{\text{Mazo}} \approx 0.802

であることが知られています。つまり、シンボル間隔をナイキスト間隔のわずか約80.2%まで詰めても、最適な受信機(MLSE)を使う限り、高SNR極限での漸近的な誤り率は劣化しないのです。この結果を最小距離の言葉で書くと、

dmin2(τ)=dmin2(1)(τMazoτ1)d_{\min}^2(\tau) = d_{\min}^2(1) \qquad (\tau_{\text{Mazo}} \le \tau \le 1)

dmin2(τ)d_{\min}^2(\tau) は、FTNパラメータ τ\tau のもとで区別可能な2つの送信系列間の最小ユークリッド距離の2乗です。τ\tau をさらに τMazo\tau_{\text{Mazo}} より小さくしていくと、dmin2(τ)d_{\min}^2(\tau)τ\tau とともに減少し始め、誤り率は劣化していきます。

なぜこんなことが起こり得るのか、直感を補っておきましょう。ナイキスト間隔 τ=1\tau=1 での直交伝送は、信号空間の中でシンボル系列同士を「必要以上に」離して配置している、いわば過剰品質な設計だったのです。シンボル間隔をわずかに詰めても、系列全体で見た識別性(最小距離)にはすぐには影響が出ず、ある程度まではほぼ無傷でシンボルレートだけを稼げる「遊び」の余地があった、というのがMazo限界の意味するところです。τMazo\tau_{\text{Mazo}} を下回ると、この遊びが尽き、詰め込みすぎたシンボル同士が信号空間上で本当に接近し始め、最小距離が縮み始めます。

この結果は理想sincパルス・二値信号という限定的な設定でのものですが、後年の研究(F. Rusek, J. B. Andersonらによる一般化)により、ロールオフ率 α>0\alpha>0 のRRCパルスや多値変調に対しても同様の「最小距離を保ったまま詰め込める閾値」が存在することが示されています。一般に α\alpha が大きい(帯域に余裕がある)パルスほど、より小さい τ\tau まで最小距離を保てる、すなわちより積極的なタイムパッキングが可能になる傾向があります。ロールオフ率が生む「余分な」帯域幅が、時間軸方向の詰め込みに使える潜在的な自由度として顔を出す、という見方ができます。

受信機の複雑さ: MLSEが不可欠になる理由

Mazo限界が保証しているのは「最小距離を保ったまま詰め込める」という事実であって、「シンボルごとの独立判定でそれが達成できる」ことではありません。むしろ話は逆です。FTN信号から τMazo\tau_{\text{Mazo}} 近くの利得を実際に引き出すには、チャネル等化の回で見た**最尤系列推定(MLSE)**が本質的に必要になります。

前節で導いたISIタップ hn=p(nτT)/p(0)h_n = p(n\tau T)/p(0) を有意な範囲 n<L/2|n| < L/2 程度で打ち切ると、時刻 kk の(雑音を除いた)受信サンプルは

yˉk=nhnakn\bar{y}_k = \sum_{n} h_n\, a_{k-n}

という、記憶長 LL の状態機械とみなせる形になります。状態を過去のシンボル履歴 sk=(ak1,,akL+1)s_k = (a_{k-1}, \ldots, a_{k-L+1}) と定義すれば、チャネル等化の回でマルチパス通信路に対して構成したのとまったく同じトレリスが描け、状態数 2L12^{L-1} のトレリス上でビタビアルゴリズムを走らせることで最尤系列 {a^k}\{\hat a_k\} を復元できます。ブランチメトリックも同様に

λk(sksk+1)=ykyˉk(sk,ak)2\lambda_k(s_k \to s_{k+1}) = \big|y_k - \bar y_k(s_k, a_k)\big|^2

というユークリッド距離の2乗で与えられ、パスメトリックの更新則もそのまま流用できます。ここで一点、等化の回で扱った物理チャネルとの重要な違いを確認しておきましょう。マルチパスフェージング通信路の hnh_n は未知・時変であり、トレーニング系列などを使って推定する必要がありました。一方FTNの hn=p(nτT)/p(0)h_n = p(n\tau T)/p(0) は、パルス波形 p(t)p(t) とFTNパラメータ τ\tau を設計時に決めた時点で、送受信双方にとって完全に既知の定数です。つまりFTNのMLSE受信機は、通信路推定という不確実性を扱う必要がなく、既知のトレリス構造の上でビタビアルゴリズムを走らせるだけで済むという点で、物理チャネル等化よりも見通しは良いと言えます。

とはいえ計算量の問題は残ります。τ\tau を小さくしていくほど、パルス整形の回で見たレイズドコサインパルスの時間応答 p(t)sinc(t/T)cos(παt/T)/(14α2t2/T2)p(t) \propto \text{sinc}(t/T)\cdot \cos(\pi\alpha t/T)/(1-4\alpha^2t^2/T^2)(裾が 1/t31/t^3 で減衰)の零点は nTnT の位置に固定されたままなので、間隔 τT\tau T でサンプリングする点はその零点からどんどんずれていき、有意な非ゼロタップ hnh_n の本数(実効的な記憶長 LL)が増加していきます。トレリスの状態数は 2L12^{L-1} で指数的に増えるため、τMazo\tau_{\text{Mazo}} よりさらに深く詰め込もうとすると、MLSE受信機の演算量はすぐに実用的な範囲を超えてしまいます。実務でFTNの適用範囲がMazo限界近辺、あるいはそれよりやや控えめな τ\tau に留められることが多いのは、この複雑さとのトレードオフが理由です。

スペクトル効率の位置づけ: シャノン平面上でのFTN

シャノン容量の回では、スペクトル効率 ηR/B\eta \equiv R/B(bit/s/Hz)を軸に取った平面上で、シャノン限界曲線

η<log2 ⁣(1+EbN0η)\eta < \log_2\!\left(1 + \frac{E_b}{N_0}\,\eta\right)

を導き、無符号化BPSK(η1\eta \approx 1)がこの限界からどれだけ離れているかを見ました。従来、η\eta を引き上げる代表的な手段は、MM値の変調多値数を増やす(QPSKからAPSK、多値QAMへ)ことでした。この方法は帯域幅 BB を変えずにビット/シンボルを増やせる一方、信号点間の距離が縮むため、同じ誤り率を保つには要求 Eb/N0E_b/N_0 が上昇するという代償を伴います。つまり多値化は、シャノン平面上で電力効率を犠牲にスペクトル効率を稼ぐ方向への移動です。

FTNはこれとは異なる軸で η\eta を引き上げます。変調多値数 MM はそのまま(たとえば二値のまま)に、シンボルレートを 1/(τT)1/(\tau T) に上げることで、η=R/B\eta = R/B1/τ1/\tau 倍にします。Mazo限界の範囲内(ττMazo\tau \ge \tau_{\text{Mazo}})であれば、MLSE受信機を使う限り最小距離(≒漸近的な誤り率)は劣化しないため、Eb/N0E_b/N_0 の要求を悪化させることなく η\eta を引き上げられるという、多値化とは質的に異なる「無料に近い」スペクトル効率の獲得手段になります。

より理論的な見方をすると、Rusek と Anderson による解析(2009年)は、帯域制限されたパルス p(t)p(t) を使ったナイキストレート直交伝送(この回で言う τ=1\tau=1)は、実は同じ帯域幅・同じ送信電力制約のもとでのシャノン容量を達成していない——直交という制約自体が、達成可能なレートに不要な足かせをかけている——ことを示しました。FTNはこの直交性の制約を緩めることで、シャノン限界曲線により近づく余地を、帯域幅を追加で使うことも Eb/N0E_b/N_0 を上げることもなく手に入れる手段だと位置づけられます。言い換えれば、ナイキスト基準は「受信機を簡単にするための設計上の選択」であって、シャノン限界という情報理論的な壁そのものではなかった、というのがこの回全体を通じた結論です。

実務での使われ方

パルス整形の回で触れたように、DVB-S2Xのような高効率衛星通信規格は、ロールオフ率 α\alpha0.050.05 程度まで絞り込むという、パルス整形側からの帯域幅節約をすでに追求しています。FTNはこれとは独立に効く、もう一段のレバーとして研究が進められています。J. B. AndersonらのグループやESA(欧州宇宙機関)関連の研究コミュニティでは、DVB-S2X世代を超える次世代の高スループット衛星通信(High Throughput Satellite, HTS)ペイロード向けに、FTNタイムパッキングと、後述するターボ等化を組み合わせた変調方式の検討が続けられています。これは、限られた周波数割り当ての中で伝送容量をさらに引き上げたいという要求と、地上局・搭載機双方のディジタル信号処理能力が年々向上しているという実装上の追い風の両方に支えられた動きです。

現時点でのFTNの位置づけは、CCSDSやDVB-S2Xの標準規格に含まれる主流モードというよりは、研究・実証段階の候補技術です。理由は前節で見た通り明快で、Mazo限界近くまで詰め込むほどMLSE(あるいは後述のターボ等化)の演算量が増大し、探査機や小型衛星の限られた電力・演算資源の予算と衝突しやすいためです。一方で、地上局側(受信機側)にはFTNの複雑な検出処理を集中させやすいという非対称性があり、ダウンリンク(探査機→地上)方向、すなわち送信側の変調自体は単純な多値位相変調のままシンボル間隔だけを詰め、受信側の地上局がMLSE/ターボ等化という重い処理を引き受けるという構成が、深宇宙・衛星通信の電力非対称な性質と相性が良い候補として注目されています。

演習問題

  1. Mazo限界 τMazo0.802\tau_{\text{Mazo}} \approx 0.802 をそのまま用いる場合、通常のナイキストレート伝送と比べてシンボルレート(≒スペクトル効率 η\eta)は何倍になるか(1/τ1/\tau)を計算し、百分率(何%の向上か)で示してください。

  2. ある深宇宙リンクが、ロールオフ率 α=0.35\alpha=0.35 のRRCフィルタを用い、ナイキストレート伝送でビットレート Rb=4R_b = 4 Mbps・占有帯域幅 B=(1+α)RbB=(1+\alpha)R_b で運用されているとします。同じ帯域幅 BB のまま、τ=0.85\tau = 0.85 のFTNに切り替えた場合の新しいビットレート RbFTN=Rb/τR_b^{\text{FTN}} = R_b/\tau を求め、帯域幅あたりのスペクトル効率がどれだけ改善するか計算してください。

  3. あるFTN設定で、有意なISIタップが h2,h1,h0,h1,h2h_{-2}, h_{-1}, h_0, h_1, h_2(記憶長 L=5L=5)まで無視できないとします。チャネル等化の回で学んだMLSEのトレリス状態数の考え方に従って、必要な状態数を求めてください。またFTNパラメータ τ\tau をさらに小さくしていくと、なぜ一般に有意なタップの本数 LL が増えていくのか、レイズドコサインパルスの時間応答が 1/t31/t^3 で減衰するというパルス整形の回の結果を踏まえて説明してください。

  4. FTN伝送における受信サンプル値の分解式 ym=am+n0hnamn+νmy_m = a_m + \sum_{n\neq0} h_n a_{m-n} + \nu_m は、チャネル等化の回冒頭のISI分解式と数式の形は同じですが、ISIタップ hnh_n の性質が本質的に異なります。両者の違いを、「未知か既知か」「時変か時不変か」という観点から説明し、この違いがFTNのMLSE受信機の設計をどう簡単にしているか論じてください。

まとめと次回予告

ナイキストのISIゼロ基準は、シンボルごとの独立判定という簡便な受信機を実現するための「十分条件」であり、情報伝送そのものの限界を定めた「必要条件」ではありませんでした。FTN伝送は、シンボル間隔をナイキスト間隔より意図的に詰め込むことで、この基準をあえて破りますが、Mazo限界(τMazo0.802\tau_{\text{Mazo}} \approx 0.802、理想sincパルス・二値信号の場合)より詰めすぎない範囲であれば、最尤系列検出(MLSE)を用いる限り、誤り率を支配する最小距離を劣化させることなくスペクトル効率を引き上げられることを見ました。この代償として、受信機はチャネル等化の回で学んだMLSEのトレリス処理を、通信路等化とは別の文脈——パルス自身の自己相関が作る既知の記憶構造——に対して走らせる必要があり、τ\tau を詰めるほどトレリスの状態数が指数的に増大するという複雑さとの綱引きになります。

しかし、Mazo限界近くまで積極的に詰め込むと、MLSEの状態数がすぐに実用範囲を超えてしまいます。この計算量問題を緩和する実務上の鍵が、外側の誤り訂正符号とFTN等化器の間で確率情報を反復的にやり取りする**ターボ等化(Turbo Equalization)**です。次回は、このターボ等化の考え方に軽く触れ、なぜソフト出力のBCJRアルゴリズムを使った反復処理が、深いISI記憶を持つFTN信号の実用的な検出を可能にするのかを見ていきます。

参考文献

  • J. E. Mazo, “Faster-than-Nyquist Signaling,” Bell System Technical Journal, vol. 54, no. 8, 1975
  • F. Rusek, J. B. Anderson, “Constrained Capacities for Faster-Than-Nyquist Signaling,” IEEE Transactions on Information Theory, vol. 55, no. 2, 2009
  • J. B. Anderson, F. Rusek, V. Öwall, “Faster-Than-Nyquist Signaling,” Proceedings of the IEEE, vol. 101, no. 8, 2013
  • J. G. Proakis, M. Salehi, Digital Communications, 5th ed., McGraw-Hill
  • ETSI EN 302 307-2, Second Generation DVB Interactive Satellite System (DVB-S2X) Extensions