システム・運用#207

同時運用時のスケジューリング競合 — 火星到着ラッシュで地上局が足りなくなるとき

約26ヶ月ごとの打ち上げウィンドウのせいで、複数国の探査機の軌道投入・EDLという「二度と繰り返せない」イベントが数日のうちに集中する。この構造的競合を重み付き区間スケジューリングとして定式化し、優先度決定の論理、MSPA・クロスサポート・オンボード保持・Ka帯化という緩和策、そしてテレメトリを失うことのミッション保証上のリスクを、2021年の火星到着ラッシュを題材に数式で読み解く。

前提知識: DSN運用スケジューリング — 有限のアンテナを数十のミッションが取り合う資源配分問題

スケジューリング競合クリティカルイベントMSPAクロスサポートミッション保証

この回で学ぶこと

DSN運用スケジューリングの回では、アンテナという有限資源の割当を制約充足問題(CSP)ないし0-1整数計画として定式化し、それが一般にはNP困難であることを見ました。あの回で扱ったのは「どういうアルゴリズムで解くか」という仕組みの話でした。

この回で扱うのは、その裏返しです。すなわち、実際に競合が起きたとき、現場では何が起きるのか

深宇宙運用の競合には、地上系の一般的な資源競合とは決定的に違う性質が2つあります。

  1. 競合の発生時刻を人間が選べない。 軌道投入(MOI: Mars Orbit Insertion)やEDL(Entry, Descent and Landing)、あるいは重力アシストのフライバイ時刻は、探査機がまだ地上にある設計段階で天体力学によって決まってしまい、運用フェーズに入ってから「1日ずらす」ということが原理的にできません。
  2. イベントが一度きりで再試行できない。 EDLは失敗しても2回目がなく、MOIは所定の時刻に減速噴射を逃せば探査機は火星の重力圏を通り抜けて二度と戻ってきません。

そしてこの2つが最悪の形で重なるのが、約26ヶ月ごとに訪れる火星の打ち上げウィンドウです。世界中の火星ミッションが同じウィンドウで打ち上げ、同じような転移軌道を飛び、結果として数日から数週間のうちに複数国のクリティカルイベントが集中するという構造的な競合が、周期的に必ず発生します。

この回では、この競合を区間スケジューリング問題として定式化し、優先度がどう決まり、どんな技術で緩和され、確保に失敗すると何が失われるのかを、2021年2月の火星到着ラッシュを具体例として追っていきます。

なぜ競合は「周期的に必ず」起きるのか — 会合周期

まず、競合が偶然ではなく構造的であることを天体力学から確認します。

地球の公転周期を TET_E、火星の公転周期を TMT_M とすると、地球から見た火星の会合周期(synodic period) TsynT_{\text{syn}} は、両者の平均角速度 n=2π/Tn = 2\pi/T の差から

2πTsyn=2πTE2πTMTsyn=(1TE1TM)1\frac{2\pi}{T_{\text{syn}}} = \left|\frac{2\pi}{T_E} - \frac{2\pi}{T_M}\right| \quad\Longleftrightarrow\quad T_{\text{syn}} = \left(\frac{1}{T_E} - \frac{1}{T_M}\right)^{-1}

と書けます。TE365.25T_E \approx 365.25 日、TM686.98T_M \approx 686.98 日を代入すると

Tsyn=(1365.251686.98)1780 日25.6 ヶ月T_{\text{syn}} = \left(\frac{1}{365.25} - \frac{1}{686.98}\right)^{-1} \approx 780\ \text{日} \approx 25.6\ \text{ヶ月}

エネルギー効率の良いホーマン型の転移軌道が成立する幾何配置は、この会合周期ごとにしか訪れません。したがってすべての火星ミッションは、約26ヶ月に一度、数週間しか開かない同じ打ち上げウィンドウに殺到せざるを得ないわけです。

さらに、ホーマン転移の飛行時間は転移楕円の半周期として

tTOF=12Ttrans=πatrans3μ,atrans=rE+rM2t_{\text{TOF}} = \frac{1}{2}\, T_{\text{trans}} = \pi \sqrt{\frac{a_{\text{trans}}^3}{\mu_\odot}}, \qquad a_{\text{trans}} = \frac{r_E + r_M}{2}

で与えられ、rE1.00r_E \approx 1.00 au、rM1.52r_M \approx 1.52 au なら atrans1.26a_{\text{trans}} \approx 1.26 au、tTOF259t_{\text{TOF}} \approx 259 日 ≈ 8.5ヶ月となります。実際のミッションはType-I/Type-IIの軌道選択やC3の制約で6〜9ヶ月程度に散らばりますが、いずれにせよ同じウィンドウで打ち上げた機体は、同じような時期に火星に着く

つまり因果の連鎖はこうです。

会合周期 Tsyn天体力学    打ち上げ集中数週間の窓    到着集中数日〜数週間    地上局競合運用\underbrace{\text{会合周期}\ T_{\text{syn}}}_{\text{天体力学}} \;\Rightarrow\; \underbrace{\text{打ち上げ集中}}_{\text{数週間の窓}} \;\Rightarrow\; \underbrace{\text{到着集中}}_{\text{数日〜数週間}} \;\Rightarrow\; \underbrace{\text{地上局競合}}_{\text{運用}}

しかも到着した探査機は地球から見て**すべて同じ方向(火星の方向)**にあります。DSN運用スケジューリングの記法で言えば、可視ウィンドウ [er,lr][e_r, l_r] が互いにほぼ完全に一致し、適格アンテナ集合 ArA_r もほぼ同一になる、という最悪の条件が揃うのです。

クリティカルイベントの区間としての定式化

競合の構造を数式にしましょう。ミッション ii のクリティカルイベント(MOIの噴射開始、EDLの大気圏突入など)の公称時刻を tit_i とします。運用側が実際に地上局を必要とするのは、その一点ではなく前後に余裕を取った区間です。

Ii=[tiΔi,  ti+Δi+]I_i = [\,t_i - \Delta_i^{-},\; t_i + \Delta_i^{+}\,]
  • Δi\Delta_i^{-}: イベント前に必要な時間。最終的な機器状態の確認、コマンドシーケンスの最終アップリンク、姿勢マヌーバの監視など。典型的には数時間。
  • Δi+\Delta_i^{+}: イベント後に必要な時間。噴射終了の確認、新しい軌道要素をドップラー計測から確定させる作業、着陸後の初期状態確認など。こちらも数時間規模。

重要なのは、tit_i運用側の裁量で動かせない外生変数だということです。Δi±\Delta_i^\pm は多少削れますが、tit_i 自体は軌道決定の結果として与えられます。さらに、電波の片道遅延

τi=dic\tau_i = \frac{d_i}{c}

を考えると、地球で tit_i に起きた出来事を地上局が知るのは ti+τit_i + \tau_i です。火星が遠地点付近(約2.5 au)にあれば τ2.5×499 s21\tau \approx 2.5 \times 499\ \text{s} \approx 21 分。したがって地上局側で確保すべき実区間は受信時刻ベースで

IiRX=[ti+τiΔi,  ti+τi+Δi+]I_i^{\text{RX}} = [\,t_i + \tau_i - \Delta_i^{-},\; t_i + \tau_i + \Delta_i^{+}\,]

となり、しかも遅延のせいでリアルタイム介入は不可能です。地上局は「見ている」だけで、事象はすでに終わっています。それでもなぜ局を確保するのかは、後の「リスクの評価」節で扱います。

競合の判定条件

2つのミッション i,ji, j が競合するのは、次の3条件が同時に成り立つときです。

(i)IiRXIjRX(ii)AiAj(iii)(ii)の共通アンテナ以外に代替がない\text{(i)}\quad I_i^{\text{RX}} \cap I_j^{\text{RX}} \neq \emptyset \qquad \text{(ii)}\quad A_i \cap A_j \neq \emptyset \qquad \text{(iii)}\quad \text{(ii)の共通アンテナ以外に代替がない}

火星到着ラッシュでは(ii)がほぼ自動的に成立します。天球上でほぼ同じ方向にある以上、可視な局は同じだからです。角度で言えば、2機の視線方向のなす角 θij\theta_{ij}

θijθHPBW70λD [deg]\theta_{ij} \ll \theta_{\text{HPBW}} \approx \frac{70\lambda}{D}\ [\text{deg}]

を満たすほど近接していることも珍しくありません(34mアンテナ・Xバンドで θHPBW0.06\theta_{\text{HPBW}} \approx 0.06^\circ 程度)。これは後述するMSPAの前提条件にもなります。

重み付き区間スケジューリングと動的計画法

ここで、1本のアンテナ(あるいは1つの局)に注目し、そこに寄せられた nn 個の要求 I1,,InI_1, \dots, I_n をそれぞれ重み wi>0w_i > 0 付きで考えます。重なる区間は同時に受けられないという制約のもとで、重みの総和を最大化する部分集合 SS を選ぶ問題は、

maxS{1,,n}iSwis.t.IiIj=   i,jS, ij\max_{S \subseteq \{1,\dots,n\}} \sum_{i \in S} w_i \qquad \text{s.t.}\quad I_i \cap I_j = \emptyset \ \ \ \forall i,j \in S,\ i \neq j

これが古典的な重み付き区間スケジューリング問題です。前回、この単一機械のケースは動的計画法で厳密に解けると述べましたが、ここではその中身を明示しておきます。

区間を終了時刻の昇順にソートし直し(f1f2fnf_1 \le f_2 \le \dots \le f_n)、区間 ii の開始時刻を sis_i として

p(i)=max{j<i  :  fjsi}p(i) = \max\{\, j < i \;:\; f_j \le s_i \,\}

(そのような jj がなければ p(i)=0p(i) = 0)と定義します。つまり p(i)p(i) は「区間 ii と重ならない、最も遅く終わる区間」のインデックスです。最適値 OPT(i)\mathrm{OPT}(i) を「区間 1,,i1,\dots,i だけを考えたときの最大重み」とすると、区間 ii を選ぶか選ばないかの二択から

 OPT(i)=max{OPT(i1),  wi+OPT(p(i))},OPT(0)=0 \boxed{\ \mathrm{OPT}(i) = \max\big\{\, \mathrm{OPT}(i-1),\; w_i + \mathrm{OPT}(p(i)) \,\big\},\qquad \mathrm{OPT}(0) = 0\ }

という漸化式が得られます。ソートに O(nlogn)O(n\log n)、各 p(i)p(i) を二分探索で求めるのに O(nlogn)O(n \log n)、漸化式の評価が O(n)O(n) で、全体として

T(n)=O(nlogn)T(n) = O(n \log n)

厳密な最適解が得られます。貪欲法(重みの大きい順、あるいは終了時刻の早い順)では最適性が保証されないのに対し、この定式化では最適部分構造が成り立つことが本質です。

なぜこの「易しい問題」が実務では易しくないのか

数学的には O(nlogn)O(n\log n) で解けるのに、現場でDSNのクリティカルイベント競合が難問であり続けるのはなぜか。理由は3つあります。

第一に、wiw_i を誰も客観的に決められない。 「A国のEDL」と「B国のMOI」の重みを数値で比較する普遍的な尺度は存在しません。目的関数の入力そのものが政治的・組織的な合意事項です。

第二に、wiw_i が事実上無限大の要求が複数同時に存在する。 クリティカルイベントは前回見たように wiw_i \to \infty のハード制約として扱われますが、w1=w2=w_1 = w_2 = \inftyI1I2I_1 \cap I_2 \neq \emptyset なら、DPは「どちらかを捨てろ」としか言いません。この状況では最適化ではなく、制約そのものを緩めるしかない(後述の緩和策)。

第三に、実際のDSNは単一機械ではない。 複数局・複数アンテナ・適格性制約が入った瞬間にNP困難な並列機械スケジューリングになります。DPが使えるのは、あくまで「1本のアンテナに絞ったときの局所的な意思決定」に限られます。

優先度はどう決まるのか — 不可逆性による序列化

重み wiw_i を決める実務的な論理を整理します。深宇宙運用における優先度の第一原理は、**不可逆性(irreversibility)**です。

要求 ii に対して、「この機会を逃したとき、後で取り返せるか」という再試行可能性 ρi[0,1]\rho_i \in [0,1] を考えます。

要求の種類再試行可能性 ρi\rho_i逃した場合の帰結
EDL(大気圏突入・降下・着陸)ρ0\rho \approx 0二度と起こらない。数分間で全てが決まる
MOI(軌道投入噴射)ρ0\rho \approx 0逃せば探査機は火星を通過し永久に失われる
惑星フライバイ・重力アシストρ0\rho \approx 0幾何配置は二度と再現しない
軌道修正マヌーバ(TCM)0<ρ<10 < \rho < 1次のTCM機会に振り替え可能だが Δv\Delta v 予算を消費
科学観測データのダウンリンクρ1\rho \approx 1オンボードに残っていれば後日再送可能
巡航中の定常健康監視ρ1\rho \approx 1次のパスに延期して実害ほぼなし

この序列を目的関数に反映させる自然な方法は、重みを

wi=Vi(1ρi)w_i = V_i \cdot (1 - \rho_i)

と分解することです。ViV_i はそのイベントが持つ科学的・運用的価値、(1ρi)(1-\rho_i) は不可逆性の係数。ρi1\rho_i \to 1(いつでもやり直せる)なら wi0w_i \to 0 となり、押し出しても損失がほぼゼロ。ρi0\rho_i \to 0(一度きり)なら wiViw_i \to V_i で満額の損失が計上されます。

さらに、延期可能な要求でも「延期し続けると値が上がる」ことがあります。前回触れたオンボードレコーダの逼迫がその例で、蓄積量 B(t)B(t) が容量 BmaxB_{\max} に近づくにつれデータ喪失リスクが立ち上がるため、実効的な重みを

wieff(t)=wi(0)[1+κ(Bi(t)Bmax,i)q],κ>0, q>1w_i^{\text{eff}}(t) = w_i^{(0)} \cdot \left[1 + \kappa \left(\frac{B_i(t)}{B_{\max,i}}\right)^{q}\right], \qquad \kappa > 0,\ q > 1

のように動的に扱う発想が成り立ちます(q>1q>1 は「容量に近づくほど急激に効く」ことを表す)。

国際協力による相互譲歩

wi=w_i = \infty が複数同時に立つ状況では、最適化ではなく交渉が最終手段になります。ここで働くのが、宇宙機関どうしの互恵性です。

各機関 kk について、これまでに他機関へ譲った量と譲られた量の差

Φk=過去(提供したアパーチャ時間)過去(提供されたアパーチャ時間)\Phi_k = \sum_{\text{過去}} \big(\text{提供したアパーチャ時間}\big) - \sum_{\text{過去}} \big(\text{提供されたアパーチャ時間}\big)

を一種の「貸し借り台帳」とみなすと、Φk>0\Phi_k > 0 の機関(貸しがある側)の要求が通りやすくなる、という繰り返しゲーム的な力学が生まれます。次の会合周期でも同じ顔ぶれが同じ問題に直面するため、26ヶ月後にまた会うという予見が協力を安定化させる。これはCCSDS/IOAGの枠組み(国際相互運用参照)が、技術標準だけでなく運用調整の場としても機能している理由でもあります。

緩和策の技術 — 制約そのものを緩める

w1=w2=w_1 = w_2 = \infty の競合は、目的関数をいじっても解けません。解けるのは制約を緩めたときだけです。実務で使われる緩和策を4つ見ます。

(1) MSPA — 排他制約の緩和

複数探査機の同時追跡で扱ったMSPA(Multiple Spacecraft Per Antenna)は、前回の制約(b)

rxr,a,t1rxr,a,tNMSPA\sum_{r} x_{r,a,t} \le 1 \qquad\longrightarrow\qquad \sum_{r} x_{r,a,t} \le N_{\text{MSPA}}

への置き換えに相当します。DSNの運用では1本のアンテナで同時受信できるダウンリンクは複数機まで(典型的には4機程度)ですが、アップリンクは原則として同時に1機のみです。ここが重要で、MSPAは受信容量の制約は緩めても送信容量の制約は緩めません。

rxr,a,tDLNMSPA,rxr,a,tUL1\sum_{r} x^{\text{DL}}_{r,a,t} \le N_{\text{MSPA}}, \qquad \sum_{r} x^{\text{UL}}_{r,a,t} \le 1

したがって「複数機のテレメトリを同時に聞く」ことはできても、「複数機に同時にコマンドを送る」ことはできない。MOI直前に最終コマンドをアップリンクしたいミッションが2つあれば、MSPAでは救えないのです。

適用条件も厳しく、対象機がビーム幅内に収まること(θijθHPBW\theta_{ij} \ll \theta_{\text{HPBW}})、ダウンリンク周波数が受信系で分離可能なだけ離れていること(fifj>Bi/2+Bj/2|f_i - f_j| > B_i/2 + B_j/2)が必要です。

(2) クロスサポート — 適格集合 ArA_r の拡大

他機関の地上局網を借りれば、適格アンテナ集合そのものが広がります。

Ar    ArArESTRACKArJAXAA_r \;\longrightarrow\; A_r \cup A_r^{\text{ESTRACK}} \cup A_r^{\text{JAXA}} \cup \cdots

ESAのESTRACKは、ニューノルシア(豪)、セブレロス(スペイン)、マラルグエ(アルゼンチン)に35m深宇宙アンテナを持ち、DSNと同様に経度方向に分散配置されているため、DSNの各局とほぼ相補的に使えます。CCSDS勧告に準拠した空間データリンクとSLE(Space Link Extension)サービスにより、「ESAの局で受信した生データをNASAの運用センターへ転送する」といった運用が標準化された手順で実現できます。

ただし制約もあります。口径が違えば G/TG/T が違い、同じデータレートが出せるとは限りません。受信可能な最大データレートは

Rb,max=Pr/N0(Eb/N0)req=1(Eb/N0)reqPtGtLs1kGrTsR_{b,\max} = \frac{P_r/N_0}{(E_b/N_0)_{\text{req}}} = \frac{1}{(E_b/N_0)_{\text{req}}}\cdot \frac{P_t G_t}{L_s}\cdot \frac{1}{k}\cdot \frac{G_r}{T_s}

なので、34m→35mの差は小さくても、70mからの代替とは大きな開きが出ます。クロスサポートは「受けられるか否か」を救っても「同じ速度で受けられるか」までは救わないのです。

(3) オンボードデータ保持 — 時間軸方向への逃がし

局が確保できない時間帯があっても、探査機側でデータを貯めておければ実害を先送りできます。生成レート RgenR_{\text{gen}}、ダウンリンクレート RDLR_{\text{DL}}、可視率(デューティ) η\eta とすると、蓄積量は

dBdt=RgenηRDL\frac{dB}{dt} = R_{\text{gen}} - \eta R_{\text{DL}}

局を全く確保できない期間(η=0\eta = 0)にオーバーフローするまでの猶予時間は

Thold=BmaxB(0)RgenT_{\text{hold}} = \frac{B_{\max} - B(0)}{R_{\text{gen}}}

深宇宙探査機のマスメモリ(マスメモリとオンボードデータ蓄積参照)は、典型的に数日分の生成データをバッファできるよう設計されます。つまり TholdT_{\text{hold}} が数日あれば、その期間の定常ダウンリンク要求は ρ1\rho \approx 1(完全に延期可能)として扱える。これが「巡航中のミッションが譲れる」ことの物理的な裏づけです。

逆に言えば、TholdT_{\text{hold}} を大きく設計しておくことは、26ヶ月ごとの競合期を乗り切るための設計段階での投資にほかなりません。

(4) Ka帯化 — 占有時間そのものの短縮

同じデータ量 QQ を送るのに必要な局占有時間は

Tocc=QRbT_{\text{occ}} = \frac{Q}{R_b}

なので、RbR_b を上げれば ToccT_{\text{occ}} が縮み、区間 IiI_i の長さそのものが短くなって競合確率が下がります。Xバンド(8.4 GHz)からKaバンド(32 GHz)へ移ると、送受信アンテナ利得が G(D/λ)2G \propto (D/\lambda)^2 で効くため、理想的には周波数比の2乗

PrKaPrX(fKafX)2=(328.4)214.5(11.6 dB)\frac{P_r^{\text{Ka}}}{P_r^{\text{X}}} \approx \left(\frac{f_{\text{Ka}}}{f_{\text{X}}}\right)^{2} = \left(\frac{32}{8.4}\right)^{2} \approx 14.5 \quad (\approx 11.6\ \text{dB})

の受信電力向上が期待できます(送信側アンテナ径・電力を同一とした場合)。実際には指向精度要求の厳格化と降雨減衰で目減りしますが、それでも数倍〜十数倍のレート向上は現実的で、その分だけ局を短時間で解放できます。

区間の長さが ToccT_{\text{occ}} に比例して縮むとき、ランダムに配置された2区間が重なる確率はおおよそ

P(conflict)Tocc,i+Tocc,jTwindowP(\text{conflict}) \approx \frac{T_{\text{occ},i} + T_{\text{occ},j}}{T_{\text{window}}}

と見積もれるので、占有時間の短縮はそのまま競合確率の線形の低減につながります。

リスクの評価 — 局を確保できないと何を失うのか

ここまで「局を確保する」ことを自明の目標としてきましたが、片道20分の遅延があってリアルタイム介入ができないのに、なぜEDLの最中に局を張り付ける必要があるのでしょうか。

答えは**ミッション保証(mission assurance)**です。クリティカルイベント中に確保できなかった場合の損失を分解すると、

L=Lstate生死・状態の把握遅れ+Ldiag失敗時の原因究明不能+Lrecover回復操作の遅れL = \underbrace{L_{\text{state}}}_{\text{生死・状態の把握遅れ}} + \underbrace{L_{\text{diag}}}_{\text{失敗時の原因究明不能}} + \underbrace{L_{\text{recover}}}_{\text{回復操作の遅れ}}

の3成分になります。

LstateL_{\text{state}}: 状態把握。 成功したのか失敗したのか、次の中継パスまで分からない。着陸後の初期シーケンス(太陽電池パドル展開、通信系の切り替え)に異常があった場合、対応開始が数時間から十数時間遅れます。

LdiagL_{\text{diag}}: 原因究明。 これが最も大きい。EDLの数分間に何が起きたかを記録しているのは探査機自身のテレメトリだけであり、失敗すれば探査機は失われ、テレメトリも一緒に失われます。リアルタイムでダウンリンクしていなければ、事故原因は永久に不明になる。次号機の設計にフィードバックできず、同じ失敗を繰り返すリスクが残ります。この価値は「探査機を救う」ためではなく「プログラムを救う」ために計上されるものです。

LrecoverL_{\text{recover}}: 回復操作。 セーフモードに落ちた探査機を復旧させるには、まず何が起きたかを知る必要があります。テレメトリが得られていれば、次のアップリンク機会で的確なコマンドを打てる。

期待損失は、イベントの失敗確率を pfailp_{\text{fail}}、局を確保できない確率を pmissp_{\text{miss}} として

E[L]=pmiss[Lstate+pfail(Ldiag+Lrecover)]\mathbb{E}[L] = p_{\text{miss}}\Big[ L_{\text{state}} + p_{\text{fail}}\,\big(L_{\text{diag}} + L_{\text{recover}}\big)\Big]

と書けます。LdiagL_{\text{diag}} が数億〜数十億ドル規模のプログラム価値に比例する量である以上、pmissp_{\text{miss}} をゼロに近づけるためのコストはほぼ常に正当化される。これが「クリティカルイベントは実質ハード制約」という運用上の扱いの、定量的な根拠です。

なお、極限まで劣化した条件下でも最低限の情報を得る手段として、トーン(セマフォ)によるダウンリンクがあります。テレメトリを復調できるだけの Eb/N0E_b/N_0 が確保できなくても、あらかじめ定めた周波数のトーンを検出するだけなら遥かに低いSNRで済みます。MM 個の周波数のうちどれが立っているかで log2M\log_2 M ビットの離散状態(「パラシュート展開完了」「逆噴射開始」など)を伝えるこの方式は、火星着陸ミッションのEDL中に直接地球へ向けた最低限の実況手段として実際に用いられてきました(EDL通信参照)。局さえ確保できていれば、リンクが痩せていても何かは分かるというのが、局確保が最優先される理由でもあります。

実務での使われ方

2021年2月の火星到着ラッシュ

構造的競合の最も鮮明な実例が、2020年7月の打ち上げウィンドウで飛び立った3機の到着です。

ミッション機関打ち上げ火星でのクリティカルイベント
Hope(Al-Amal)UAE(MBRSC)2020年7月19–20日2021年2月9日 火星軌道投入(MOI)
天問1号(Tianwen-1)中国(CNSA)2020年7月23日2021年2月10日 火星軌道投入(MOI)
Perseverance(Mars 2020)NASA2020年7月30日2021年2月18日 EDL・着陸

10日足らずのうちに、3ヶ国の「二度と繰り返せない」イベントが3回。しかも到着直後は3機とも天球上でほぼ同じ方向にあり、さらに既存の火星周回機・探査車(MRO、MAVEN、Odyssey、Curiosity、InSight、ESAのMars Express/TGOなど)も同じ方向で運用中でした。前節の記法で言えば、IiRXI_i^{\text{RX}} が重なりかけ、AiA_i がほぼ完全に一致した状態です。

このとき何が起きたか。

  • NASAとUAEのクロスサポート。 Hopeは自前の深宇宙局を持たないため、DSNがMOIを含む深宇宙追跡を担当しました。これは「UAEとNASAの間で局を取り合う」のではなく「最初からDSNが両方を抱える」形で、DSN内部の資源競合として現れました。
  • ESA ESTRACKによる補完。 ESAはDSNとの相互支援協定に加え、中国の天問1号に対しても地上局支援を提供しました。適格集合 ArA_r を機関の壁を越えて拡大する、クロスサポートの典型例です。
  • DSNの容量増強。 マドリード局では2021年初頭に新しい34m BWGアンテナ(DSS-56)が運用に加わるなど、Aperture Enhancement Programによる増設が進められていました。長期的には「ビンの数 KK を増やす」ことが唯一の根本解です。
  • Perseverance EDLの扱い。 EDL当日は、直接地球向けのXバンド・トーン送信と、上空を通過するMRO・MAVEN・ESA TGOによるUHFリレーが並行して計画されました。同じ情報を複数経路で確保する冗長設計であり、これも「1つの局が取れなかったときの pmissp_{\text{miss}} を下げる」ための投資です。

調整余地が乏しいという構造

このラッシュで際立ったのは、誰も日程を動かせなかったという点です。MOIやEDLの時刻は、打ち上げ日と転移軌道が確定した瞬間に、天体力学の帰結として固定されます。運用者が交渉できるのは Δi±\Delta_i^\pm の削り方と、どの局・どの周波数帯を使うかだけ。

これは地上のITシステムのメンテナンス窓調整とは根本的に違います。地上系なら「では来週にしましょう」が言える。深宇宙では言えない。「時間の柔軟性」という、スケジューリング問題で通常最も頼りになる自由度が、最初から存在しないのです。だからこそ、緩和策が空間方向(局を増やす、他機関を頼る)と情報方向(データ量を減らす、レートを上げる、オンボードに貯める)に集中することになります。

DSNの階層的な調整サイクル

こうした競合に備え、DSNのスケジューリングは時間スケールごとに階層化されたプロセスとして運用されています。

長期(数年〜1年前)。 ミッションが打ち上がるはるか前から、各ミッションは将来のアパーチャ時間の見込みを申告します。ここで「2021年2月に火星到着が集中する」という需要のピークが数年前から可視化され、アンテナ増設計画や、周辺ミッションの活動計画の前倒し・後ろ倒しといった、大きな構造的手当てが検討されます。競合を最も安く解消できるのはこの段階です。

中期(数ヶ月〜数週間前)。 ドラフトスケジュールを共有し、各ミッションのスケジューリングエンジニアがピア・ツー・ピアで競合を潰していきます。クリティカルイベントを持つミッションは「動かせない予約」を先に確定させ、周囲がそれを避けるように自分の要求を並べ替える。ここで前節の wi=Vi(1ρi)w_i = V_i(1-\rho_i) の序列が、実質的な交渉の共通言語として機能します。

短期(数日〜当日)。 ベースライン確定後も、探査機のセーフモード遷移、局側の設備故障、軌道決定の更新によるイベント時刻の微修正などで再調整が必要になります。この段階では最適化ではなく、実行可能解の素早い回復が目標です。

この3層構造の要点は、時間スケールが短くなるほど打てる手が減ることです。長期なら設備を増やせる。中期なら並べ替えられる。当日は、もはや誰かが諦めるしかない。

演習問題

  1. 地球(TE=365.25T_E = 365.25 日)と木星(TJ=4332.6T_J = 4332.6 日)の会合周期 TsynT_{\text{syn}} を計算せよ。また、火星の約780日と比べて、木星探査ミッションの打ち上げウィンドウ集中による地上局競合が火星ほど深刻になりにくい理由を、会合周期とミッション数の両面から論じよ。

  2. ある1本のアンテナに、次の4つの要求が寄せられている(時刻は同一タイムライン上の時)。

    要求開始 sis_i終了 fif_i重み wiw_i内容
    I1I_1068巡航中の健康監視
    I2I_251020MOI(不可逆)
    I3I_39147科学データ再生
    I4I_4131818EDL(不可逆)

    終了時刻順に p(i)p(i) を求め、漸化式 OPT(i)=max{OPT(i1),wi+OPT(p(i))}\mathrm{OPT}(i) = \max\{\mathrm{OPT}(i-1),\, w_i + \mathrm{OPT}(p(i))\} を順に評価して最適な要求集合と最大重みを求めよ。さらに、「重みの大きい順に貪欲に選ぶ」方式でも同じ解になるかを確認し、ならない例を作れるか考察せよ。

  3. ある探査機が科学データを Rgen=2.0R_{\text{gen}} = 2.0 Mbit/s で生成し、マスメモリ容量が Bmax=128B_{\max} = 128 Gbit、現在の蓄積量が B(0)=40B(0) = 40 Gbit であるとする。他ミッションのクリティカルイベントのため、この探査機が今後まったくダウンリンクできないとき、オーバーフローまでの猶予 TholdT_{\text{hold}} を時間単位で求めよ。また、この探査機の要求の再試行可能性 ρi\rho_iTholdT_{\text{hold}} の関数としてどうモデル化すべきか、自分なりの案を式で示せ。

  4. クリティカルイベント中に局を確保できない確率が pmiss=0.05p_{\text{miss}} = 0.05、イベントの失敗確率が pfail=0.1p_{\text{fail}} = 0.1 であるとき、Lstate=1L_{\text{state}} = 1Ldiag=50L_{\text{diag}} = 50Lrecover=5L_{\text{recover}} = 5(任意単位)として期待損失 E[L]\mathbb{E}[L] を求めよ。次に、UHFリレーによる冗長経路を追加して pmissp_{\text{miss}}0.010.01 に下げられるとき、削減できる期待損失を計算し、その冗長経路にどれだけのコストをかける価値があるかを論じよ。

  5. MSPAはダウンリンクの排他制約を NMSPA\le N_{\text{MSPA}} に緩めるが、アップリンクは 1\le 1 のままである。MOI直前に最終コマンドのアップリンクを必要とする2機が同時に同じ局の可視域にいる場合、MSPAではこの競合が解けない理由を説明し、代わりに取りうる手段を本文中の緩和策から2つ挙げて、それぞれの制約を述べよ。

まとめと次回予告

この回では、複数探査機の同時運用で生じるスケジューリング競合を、抽象的な最適化問題ではなく実際に何が起きるかという視点から追いました。

競合は偶然ではなく、会合周期 Tsyn780T_{\text{syn}} \approx 780 日という天体力学の帰結として周期的に必ず発生します。各ミッションのクリティカルイベントは区間 Ii=[tiΔi,ti+Δi+]I_i = [t_i - \Delta_i^-, t_i + \Delta_i^+] として表され、その中心時刻 tit_i は設計段階で固定されて動かせません。単一アンテナに絞れば重み付き区間スケジューリングとして O(nlogn)O(n\log n) のDPで厳密に解けますが、重み wiw_i の決定そのものが政治的合意であり、wi=w_i = \infty が複数立つ状況ではアルゴリズムは無力です。そこで優先度は不可逆性 wi=Vi(1ρi)w_i = V_i(1-\rho_i) によって序列化され、最終的には国際協力による相互譲歩で決着します。緩和策はMSPA(排他制約の緩和)、クロスサポート(ArA_r の拡大)、オンボード保持(時間軸への逃がし)、Ka帯化(ToccT_{\text{occ}} の短縮)の4方向。そして局確保が最優先される根拠は、失敗時にテレメトリを失えば原因究明が永久に不可能になるという、ミッション保証上の期待損失 E[L]\mathbb{E}[L] の大きさにありました。

ここまでで「システム・運用」カテゴリは一区切りです。RF・アンテナの物理から、ハードウェア、地上局運用、リンク設計、そして運用計画とミッション事例まで、電波が探査機と地球のあいだを往復する物理と、それを人間の組織が回していく営みを見てきました。

次回からはネットワーク・プロトコルカテゴリに移ります。最初のテーマは PTP(Precision Time Protocol、IEEE 1588)による地上ネットワークの時刻同期です。今回、クリティカルイベントの時刻 tit_i と受信時刻 ti+τit_i + \tau_i を当たり前のように扱いましたが、そもそも地上局のアンテナ、受信機、記録装置、運用センターが「同じ時刻」を共有していることは自明ではありません。数十km離れたラックどうしが数十ナノ秒の精度で時計を合わせるために、イーサネット上でどんなメッセージ交換が行われているのか。物理から一段上がって、パケットの世界に入っていきます。

参考文献

  • M. D. Johnston et al., “Automated Scheduling for NASA’s Deep Space Network,” AI Magazine / International Workshop on Planning and Scheduling for Space (IWPSS)
  • DSN Telecommunications Link Design Handbook, DSN No. 810-005
  • DSN Service Catalog, JPL D-Document(MSPA運用およびサービス提供条件に関する記述)
  • CCSDS 910.4-B, Cross Support Reference Model — Part 1: Space Link Extension Services
  • J. H. Yuen (ed.), Deep Space Telecommunications Systems Engineering, JPL Publication 82-76
  • J. Kleinberg, É. Tardos, Algorithm Design, Addison-Wesley(重み付き区間スケジューリングの動的計画法)
  • H. D. Curtis, Orbital Mechanics for Engineering Students, Elsevier(会合周期・ホーマン転移)
  • NASA/JPL, Mars 2020 Perseverance Rover および ESA, ESTRACK 公式解説資料